クリスのクリスタル回路

八乃前 陣

第1話 発明少年クリスティーン

☆第一章 クリスとシルヴィス


 クガーフ大陸の東に存在する、交易都市ドアオーバー。

 中規模な港や高い山々、うっそうと茂る森などがあり、大陸を旅する者たちにとっては中規模ながらも便利な中継地点であり、諸外国の船が行き来する交易の地でもある。

 城塞で囲まれた都市の入り口には、王都からの衛士が立ち、四つある城門の全てに詰所が整備されていた。

 昼下がりに到着した帆船が、荷物の積み下ろしや航海士たちの休息をとっている間に、移動手段として低価格で船を利用していた乗客たちの移動も行われる。

 運搬船で、荷物として運ばれる客たちは、食事も何も全て自前。寝床として与えられた狭い船室で、布団もなしという雑な扱い。

 そんなキビしい船旅を自ら選ぶような輩は、ほぼ冒険者たちであった。

 ドアオーバーの港に足を下した冒険者の一人は、真っ赤なビキニ鎧に身を固めた、美しい女剣士。

 長いブロンドの髪をサラサラと海風に流し、碧い瞳の鋭い視線は、踏んだ場数よりも強い決意を思わせる。

 十七歳にして起伏に恵まれる肢体は、膝までのマントで隠されている。

 しかし赤いマントが風で捲れると、豊かなバストやくびれたウエスト、広い腰やムチムチの腿が、陽光の元で露わにもなった。

 腰には長剣が下げられていて、一般的な女性用よりもやや太く、破壊力に長けているタイプのロングソード。

 手荷物であるマドロスバッグと中型シールドを担いだビキニ剣士は、初老の船長に挨拶をする。

「それでは、世話になりました」

「ああ、旅の無事を。それとな、このドアオーバーで宿をとるなら、アリア亭がオススメだ。気のいい親父がやってる店でな。俺のお墨付きだ、シルヴィア」

「私はシルヴィスです。ふふ…」

 名前を間違えるのは、この船長なりの愛情表現らしい。

 シルヴィスは美しい微笑みで初老の船長に分かれを告げると、港から街へと歩を向けた。

 港は活気に満ちていて、これから別の都市や別の大地に向かう人々も行き来している。

 シルヴィスはクガーフ大陸の北大地の出身であり、一月はかかる徒歩よりも、一週間と断然早くて安価な船旅で、ドアオーバーまでやってきたのだ。

「聞いていたより大きな街だわ…」

 田舎までやってくる行商人の情報しか知らないシルヴィスにとって、ドアオーバーは活気に溢れる大都市にも感じられる。

 建物は二階建てが当たり前で、木造だけでなく石造りも珍しくない。露店に並んでいる食べ物や雑貨なども、出身地では見たこともない珍しい物ばかり。

 行き交う人々もどこか洗練されているように感じられて、しかも別の大陸人とか、田舎ではほぼ見られない人種も当たり前に歩いていた。

「ハっ! あまりキョロキョロしていると。田舎者だとバレてしまう…!」

 大都市は田舎者を、特に女子を食い物にする悪い輩もいると、行商人たちにも教えられていた。

 つまり、剣士シルヴィスがこれまで経験した冒険は、出身地の周囲に限定されていたわけである。

「コホン…!」

 女剣士は堂々と胸を張って、なるべく余所見をせず、田舎出身だと悟られないように意識して、まずは目当ての宿屋を探す事にした。

 港から商店街を抜けるまで、珍しい食べ物の誘惑と戦いながら、繁華街に続く表通りを歩いていたら、城塞に連なる緑の斜面の人だかりに気づいた。

 集まった人々は、この町の人々がほとんどのよう。

 みんなワイワイと、何かを楽しみに集まっている様子だ。

「? なんだろう、お祭りかしら…」

 立ち止まって、なんとなく見たら、斜面のはるか上方で、一人の少年を見つけた。

 少年は、遠目でも小柄な体躯だと分かる。

 大きなメガネをかけていて、サッパリとしたショートカットがサラサラ。服装からすると、どこかの店で働く小間使いっぽい。

 どこにでもいるような、そんな少年の姿が異様なのは、背負った大きな羽根だろう。

 木の骨組みで作られた羽根は鳥の翼に似ていて、翼間には布が張り巡らされている。

 片翼だけでも自身の身長ぐらいはある羽根を背負い、少年は真面目な顔つきで、バサバサと羽ばたかせていた。

「何をしているのかしら…?」

 まさかとは思うが、あれで空を飛ぶつもりなのだろうか。

 富豪たちが趣味としての気球を所有していたり、軍隊が飛行船を配備し始めている事は、先進国では誰でも知っている。

 つまり、人間が単独で鳥のように空を飛ぶなんてまず無理な事も、誰でも知っている常識だ。

 しかも、あんな手作りの羽根で空を飛ぶなんて、子供でも無理だと分かる。

「まさか…飛べると思っているのかしら」

 シルヴィスも、思いながらちょっと興味を持ってしまった。

 人込みに紛れて、少年を眺める。

「クリスのやつ、また実験だってよ」

「いつもの失敗発明品か? 懲りないヤツだ、ははは」

(あの少年、ここでは有名らしいわ)

 クリスと呼ばれたメガネの少年が、羽根の調子を良しと判断したらしく、突然に大きな声を発した。

「よし! 試作『天使の羽根 六号』っ、行くぞっ!」

 羽根の名前を叫んだと思ったら、斜面の上から羽を畳んで、全力疾走で駆け下りてくる。

「うぉぉぉおおおおおっ!」

 すごい速さだな–。

 もしかして飛べるのかしら–。

 そんな期待で、シルヴィスの胸もちょっとドキドキ。

 自走の限界速度まで達したと思ったら、計算されて設置された足場で、思い切ったジャンプ。

「行けーっ!」

 ダンっと勢いよく足場を蹴ったクリスが、羽を広げて、向かい風を受ける。

 広げた羽根の骨部分には、小さなクリスタルが並んで填められているのが、キラっと見えた。

(クリスタル?)

 重そう。と、シルヴィスはフと思う。

 そんな女剣士の思いを余所に、小柄な少年の体が、フワ…と少し、浮いたように見える。

「「おおっ?」」

「う、浮いた…?」

 見物人たちに交じって、シルヴィスも息を呑む。

 しかし少年が浮いたように見えたのは、どうやら風が強く吹いたからだったらしい。

 一秒もしないで、クリスの羽根はバランスを崩し、回転しながら緑の大地に落着した。

「うわわわ…わああ!」

 ドシャ、と木材が壊れる音がして、大した怪我も無く、少年がムクと起き上がる。

 実験は失敗したらしい。

 見物人たちは、いつも通りの反応っぽい。

「はい失敗。仕事に戻るか」

「あはは、人間が鳥みたいに空を飛ぶなんて、どだい無理な話なんだ」

 大人たちは、笑って仕事へと戻って行く。

 実験に失敗した少年は、ズレたメガネを戻しつつ、廃材となった翼をジっと見つめる。

「う~ん…翼面が小さすぎたのかな…それともやっぱり、クリスタルに問題かが…」

 失敗にも、笑われた事にも、特に落ち込んでいる様子はない。

 心配して歩み寄った女剣士は、それでかなり、安心した。

「ホ…えっと、クリスくん、だっけ? 大丈夫?」

「ブツブツ…え、あ、はい! いつもの事ですから!」

 シルヴィスに気づいたクリスは、明るい声と笑顔で、元気に立ち上がった。


☆第一章 クリスの夢 シルヴィスの夢


 古いシーツを大きな包みとして、少年は廃材となった翼を纏めて、小さな体で背負いあげる。

「よいしょっと!」

 自身の体ほどもありそうな重量に見える荷物を、女剣士の胸くらいの身長しかないクリスがいとも簡単に持ち上げて、シルヴィスは驚かされていた。

「だ、大丈夫なの? キミ…クリスくん、だっけ? 随分と力持ちなのね」

「え、ああ、力持ちっていうか」

 歩き出しながら、少年は密かに、そして楽しそうに、ウインクと小声をくれる。

「実はちょっとした秘密があるんですよ!」

 ちょっとした秘密というのは、きっと、クリスタルが嵌め込まれた奇妙な皮グローブの事だろう。

「そのグローブに秘密があるの?」

「えっ! よくわかりましたね! 実はその通りなんですよ!」

 いかにも平民な服装の中で、異様に目立つのは、謎の皮グローブしかないから、誰でも正解すると、シルヴィスは思った。

 ドコに向かうのか、少年に興味を覚えた女剣士は、歩を共にする。

 言い当てられた少年は、金髪美女が隣で歩く栄光にも気づかず、皮グローブの説明を、頼まれもしないのに始めた。

「これは僕が作った『パワーグラブ』っていうんです! これを着けると、体重の二倍くらいの物までなら軽々と持ち上げられたりするんですよ!」

「へぇ…」

 サラっと説明しているけど、地味に凄い能力を与えてくれるグローブだ。

「それは凄い…あ」

 シルヴィスは、奇妙な皮手袋と壊れた羽根の共通点、クリスタルに気づく。

「さっき失敗してたその羽根も、つまりキミ–クリスくんの発明品なのね?」

「はい! これは人間が鳥のように飛べる為の『天使の羽根』です。まだ一度も成功したことはないんですけど、理論と設計は間違ってないから、後はきっと僕自身の問題なんですよねー」

「? 上手く飛べないって事?」

「って言いますか…そもそもこのパワーグラブもですけど、動力経路として、このクリスタルを利用しているんですよ」

「動力…経路…?」

 火や魔法が動力として活用されている事は常識だ。

 しかし「その力を伝える、という意味での『経路』という言葉の使い方」を、シルヴィスは初めて聞いた。

「簡単に言えばですね!」

 あ、トラップを踏んだ。と、少年のイキイキしだした表情に、女剣士は直感する。

「魔力を貯められない、くずクリスタルにですね、魔力反射の溶液をある配合で塗布してですね! そうすると、魔力を滑らせる特殊なクリスタルになるワケですよ! で、ですね! そんなクリスタルを途切れないようにうまいこと繋げて配置するとですね! クリスタルの表面を魔力が滑って伝わってゆく現象が起こるわけです! 理論的にはですね、つまりこの魔力が滑るクリスタル–僕は伝導クリスタルって呼んでますが–を並べればっ、一つの魔法が海の向こうまで綺麗に伝えることもできるってワケなんですよ!」

「…ふうん…」

 興奮してちょっと言葉がおかしくなったけど熱心な説明をくれたクリスの努力も空しく、シルヴィスにはさっぱりわからない様子だ。

 そんな金髪美女の空気も読まず、少年は解説を続ける。

「この羽根も、中心部分には浮遊の魔法を貯めたクリスタルがあって、伝導クリスタルで左右の羽根に伝わる仕組みなんですよ」

「…ふうん…」

「ただ、僕が魔法との相性があまりよくなくて。パワーグラブとかは上手くいってるんですけど、この羽根だけは、まだ成功できてないんですよねー」

 パワーグラブ以外にも、上手くいった発明品はあるらしい。

(…そういうアイテムって、冒険の役に立つのかしら…)

 モノによっては役立ちそうだ。

 目の前で実証してるパワーグラブとか、畑仕事に使えそうだわ。とか、なんとなく考えたシルヴィスだった。

「あ…忘れてた」

 すっかり話を聞いてしまって、宿屋を探す事を忘れていた。

「クリスくん。宿屋のアリア亭って、どこだかわかる?」

「アリア亭ですか? 丁度良かった。到着です。いらっしゃいませー!」

「ん?」

 立ち止まって掌で示されたのは、目の前の中規模な宿屋。

 釣り下げられた木の看板には「アリア亭」と彫られていて、確かに目的の場所だった。

 アリア亭は、派手さのない木造の三階建て。

 ここを起点にすると、商店街や繁華街など、この街を散策するのに丁度よい場所にあった。

「…クリスくんは、ここの人だったの?」

「はい! いわゆる従業員でもあります! いらっしゃいませー!」

 再び元気に挨拶をくれると、従業員の少年の声に、宿屋のオヤジが出てきた。

「こらクリス! 昼休みはとっくに終わってるぞ! ああ、またお前、くだらん発明品なんかこさえやがって–」

 やや恰幅の良い中年男性が、いかにも少年に手を焼いてる風な感じで、怒りながら裏庭へと追い払おうとする。

 背中を押されるクリスが、シルヴィスを掌で指した。

「親方、お客さんです」

「ん? ああっ、これはどうも、いらっしゃいましー。ドアオーバーで一番の宿屋アリア亭へようこそ! あたしは店長のドシリアといいます~」

 悪意のない笑顔は、どこかクリスと似ている気がする。

「今夜の宿をお願いしたいのですが…」

「はいはい、一泊十ゴールドで、朝食と夕食、バスも入り放題ですよ! うちは魚料理も自慢でしてねー。ほらクリス、ガラクタなんか部屋に放って、仕事仕事!」

 接客をしながら、クリスを裏庭へと向かわせる店主。

 堅苦しさのない、家族的な雰囲気に、女剣士は故郷の村を、フと思い出した。

 と、上空から大型飛行生物の風切り音が聞こえてくる。

「………」

 シルヴィスが見上げると、小型のドラゴンが、西の山へ向かって飛び去っていった。

「あれが、ブチドラゴン…」

 お客の興味に、店主は素早く反応。

「お客様は、アレにご興味で?」

「まあ、その…ブチドラゴンと言えば、宝石を貯め込む性質があるって言いますよね。実は、ちょっと頂きにやってきました」

 正直な女剣士に、店主はご注進。

「アイツはちょっと注意が必要ですよ。小型ですが、なかなかどうして。先日も、男性冒険者の三人組が返り討ちに遭ってますからねぇ」

「ほお…」

 店主の話を聞きながら、シルヴィスは一晩の宿をここと決めた。

(ブチドラゴンに恨みはないが…母の治療費と…弟たちに腹いっぱい、食べさせてやりたいんだ…!)

 故郷の家族を思い出し、生真面目なシルヴィスの美貌が厳しく引き締まった。


☆第二章 アリア亭での一日


 アリア亭の一階は、フロントと、夜には酒場になる食堂。従業員たちの部屋、そして奥には大きな浴室がある。

 二階と三階は客室で、三階の方が値が高かった。

 旅費も心もとないので、二階の部屋にチェックイン。

「とりあえず、ドラゴン探索に必要そうな物は 故郷で揃えてきたけど…」

 何であれ、この町で情報収集は必要だ。

 荷物を部屋に置いたシルヴィスは、食堂で遅めの昼食を注文しながら、ドシリア氏を頼りに情報収集を試みる。

「すみません」

「は~い!」

 テーブルについた女剣士の元にやってきたのは、エプロン姿のクリスだった。

「あ、先ほどはど~も! 何かご注文ですか? 親方お手製のアリア・エールがオススメですよ!」

「そ、そう…じゃ それを一杯」

「は~い! エール一杯 ご注文~!」

 少年の元気な声に、厨房から青年コックの声が聞こえた。

 しばらくして、クリスがエールをトレイに乗せて、戻ってくる。

「お待ちどうさま~! エールです~!」

「ありがとう。あ、クリスくん。オヤジさ…コホン。ドシリアさんは…」

 訪ねると、ドシリア氏は商工会のお使いでちょっと出ているようだ。

「情報ですか? 僕が知っている範囲でしたら、サービスでお伝え出来ますよ!」

 確定的ではないとか、あるいは情報屋の資格がない子供相手なら、情報料が発生しない事もある。

「そうね…西の山に住むブチドラゴンとか、目的地までの情報が欲しいんだけど」

「ああ、それなら僕でも十分ですよ。あの山は、地元民にとって庭みたいなものですし」

 笑顔で答える少年が、山道や巣の場所、休憩地点など、色々と教えてくれた。

「…なるほど。私が準備してきたアイテムで、探索は十分なのね」

「はい。それと、ご要望でしたら道案内も–」

 と申し出たところに、帰ってきたドシリア氏が、慌てて駆けつけてきた。

「クリス! お前はダメだ!」

「あ、親方。おかえりなさい!」

 息を切らしているところを見ると、目の前の光景によほど焦って走り寄った様子だ。

「ほらほらクリス! あちらでお客さんがお待ちだ!」

「あ、は~い、いま行きます~! それじゃあシルヴィスさん、ごゆっくり!」

 元気な笑顔を残して、クリスは接客に戻る。

「いやぁ。どうも…。その、クリスがまた、長話でご迷惑でも…」

「いえ、必要な情報を提供してくれました」

 女剣士の言葉に、ホっと胸を撫でおろすドシリア氏。

 そんな、いかにも父親らしい仕草が、なんとも微笑ましい。

「ふふ…父親の気苦労 というものですか?」

「え、いやぁ…あいつはアタシの息子ってワケでもなくて…」

「?」

 込み入った事情があるらしい。

 詮索するのも失礼だろうと思ったら、ドシリア氏から話してきた。

「いえね、アタシも若い頃はあいつのオヤジ–クリフトってんですがね–ヤツと一緒に 世界を冒険して廻ったモンなんです…クリスだってアレですよ、アタシゃそれこそ、オムツだって変えてやったモンでしてねぇ」

 なんだか落ち込んでいる様子のドシリア氏。

「クリフトとは、幼馴染みでしてね…。ヤツがこの街一番のマドンナと結婚した時なんざ、もう…悔しいやら嬉しいやらでねぇ」

 クリスの父親との懐かしい日々を思い出し、小さな瞳を潤ませる親方さんだ。

「この街の四方に、王国衛士隊の詰所があったでしょ? 十二年ほど前に、オークの集団に責めろ込まれましてねぇ…王城に使いを出して、救援隊が来るまで三日…。それまで アタシたち住人だけで凌がなきゃならなくなりましてねぇ…そんな防衛団のリーダーを務めたのが、クリスのおやじ クリフトでしてね…」

 三日間の攻防の果て、王都からやってきた衛士隊の活躍でオークたちは全滅。

 しかし街にも多大な被害が出て、百名以上の死傷者の中に、クリスの両親もいた。

「あの野郎…アタシたちを護るために頑張って…まだ可愛いさかりのクリスを残して、夫婦揃って逝っちまいやがって…独り身のアタシが代われたら、どんなによかったか…グスン…」

 ドシリア氏の目から涙がこぼれる。よほど仲が良かったのだろう。

「そうですか…」

 辺境の村ではよくある話だけど、それでも、いつ聞いてもやっぱり胸が痛くなる。

「ああ、いけない。アタシまで長話しちまって…すんませんです。これじゃあ、クリスのヤツを叱れませんや。へへ…」

「いえ」

 照れくさそうに、ドシリア氏はテーブルを立った。

 チラと見ると、クリスは明るく真面目に接客をしている。

「いろいろあるわ…」

 エールはほろ苦くて、しかし味わいの良い飲みごたえだった。


 必要なアイテムは十分で、買い足すものがあるとすれば、水や食料くらいだと分かった。

 それらも、そして道中の案内も。このアリア亭で揃いそうな話。

「この宿にして良かったわ」

 シルヴィスはようやく、旅の汗を浴室で流す事が出来る。

 一階の奥に向かうと、バスルームと書かれた、男女に分かれた扉があった。

 扉を潜ると、割と広い脱衣所があり、三人ほどの女性が着替えている。

 母親らしい女性が、裸の女児の体を拭いてあげている。

(親子連れ…地元の人たちにも開放しているのかしら)

 壁に設置された扉付きの物入れに、シルヴィスも自身の装備品を脱いで預ける。

 鍛えられた体は、引き締まった筋肉と、必要最低限の皮下脂肪でパツパツしていて、十七歳らしい健康な張りで艶めく。

 普段は実家の畑で働いているから、体力には自信があった。

 平均的な身長に、恵まれたバスト、くびれたウエスト、大きな広がりを見せるヒップと、シルエットは起伏に恵まれている。

 やや日焼けした肌も、シルヴィスの生命力を感じさせて、母になった際の理想的な強さも思わせた。

 タオルでさりげなく裸体を隠し、浴室へ。

 ガラス張りの扉を開けたら、石床が気持ちの良い、なかなか上質な造りを実感できた。

 窓にはガラスが嵌め込まれていて、今は閉じられていて曇っているものの、遠くに山の稜線が見える、なかなかの景色。

 広い床面積に、右側には木造の大きな湯舟があり、左側には個人用らしい樽型の浴槽が複数あった。

 樽風呂の一つは壊れているのか「今朝より使用禁止です」との札が下げられている。

 大きな浴槽には、若い女性が一人と、初老の女性が二人、肩まで浸かって気持ちよさそうだ。

 壁のノブをひねると、目の前の鉄パイプから湯が流れてくる。

(わぁ…田舎じゃ見られない作りだわ! やっぱり都市って進んでるのね)

 などと、出身地との違いに驚かされても、顔に出すのは恥ずかしく、無表情を装う女剣士だ。

 湯を体にかけると、綺麗な肌をサラ…と流れる。

 細い背中やしなやかな脇、タップリと広がるお尻が濡れて、室内用のランプがヌラヌラと反射して魅せていた。

 石鹸は備え付けで、良い香りがする。

 全身を洗って湯舟に浸かると、一週間ほどかかった船旅の疲れが、ジンワリと抜けてゆくのがわかった。

「ふ~…こんなに広いお風呂、初めてだわ…」

 しばしジっと温まっていたら、ジワジワと汗が染みだしてくる。

 見ると、先客たちは上がっていて、浴室にはシルヴィス一人。

「…誰もいないし、いいわよね」

 湯で熱くなった体を涼ませたいのと、窓ガラスの向こうを見てみたくて、窓をスラっと開けてみた。

「わぁ…素敵な景色だわ」

 宿の裏庭と、高い壁。教会などの高い建物のてっぺんは覗けるけど、それ以外は、山の影と赤い夕空。

 シルヴィスは、つい田舎での習慣丸出しで、裸身のまま窓際に立って、心地よい風を全身に受ける。

「ああ…気持ちいい」

 山からの風は緑の香りが強くて、胸いっぱいに吸い込むと、気分がスッキリとした。

 田舎にも似たこういう景色を見ていると、家族の事を思い出す。

「…………母さん…弟たち…」

 幼くして父を亡くしたシルヴィスたち五人姉弟を、女手一つで育ててくれた母。

 家族六人で畑を耕して生活しているものの、暮らしは決して楽ではない。

 長女であり体力もあるシルヴィスは、二年ほど前から、冬の農閑期などには探索をして、僅かながらの収入を得ていた。

 田舎とはいえ安全とはいえない探索を、母はいつも、申し訳なさそうに、しかし深く感謝してくれていた。

 そんな母が、体を壊して寝込んでしまっている。

 弟や妹もまだ幼く、父譲りの体力派だった自分が、畑仕事の中心にもなっていた。

 治療さえできれば、母の健康は確実に取り戻せる。ただ、薬代が非常に高価。

 悩んでいたところに、ブチドラゴンの噂を聞いて、弟たちの説得もあり、シルヴィスは冒険にやってきたのだ。

「弟たちも、なけなしのお金を預けてくれた…私は必ず、ブチドラゴンから宝石を頂かなければならないのよ…!」

 ブチドラゴンにはすまないと思いながら、やはり家族は助けたい。

 西の山を厳しい決意で見つめる裸身のシルヴィス。

 その裸身が夕日を受けて、赤く美しく、燃えるように染まりあがる。

 と。

「ゴホゴホっ…あー。煙が目に染みる~!」

「え…あぁっ!」

 クリスの声が近くで聞こえて、シルヴィスは自分が裸だと思い出し、慌てて湯舟に飛び込んだ。

 窓からソロソロと裏庭を見ると、小屋の煙突から煙が立ち上っている。

 漂ってくる煙の臭いから、クリスが小屋の中で作っているのは、宿で販売している薬草だろう。

「あ~、ちょっと一休み!」

 メガネの下で染みた涙を拭きながら、小走りで少年が出てきた。

「クリスくん、薬草づくり?」

「あ、シルヴィスさん! お湯加減はいかがですか?」

 屈託のない笑顔で応える少年に、弟たちの姿が重なる。

「ええ。おかげさまで、とても気持ちがいいわ」

「それは何よりです! お風呂上りには、冷たいシュガージンジャーもオススメですよ!」

「ふふ、商売上手なのね」

「あ、それと、シルヴィスさんももしかして、ブチドラゴンの宝石を狙ってるんですか?」

「ええ…よくわかったわね」

「お昼に、ブチドラゴンを見上げてらしたので。アイツは地中の宝石を掘り出して、巣の中に貯め込むのが生態みたいなモノですからね。あ、道案内が必要でしたら、ゼヒ僕が–」

 アピールを始めたとたん、小屋からの煙が焦げ臭くなった。

「ん…? すんすん…何か、焦げ臭くない?」

「え、あわわっ! 焦がしちゃう!」

 慌てて小屋に駆け込んだクリスだ。

「ふふ…」

 せわしない少年も、幼くして両親を亡くしている–。

 シルヴィスはどこか、親近感を覚えていた。


☆第三章 二人道中


 翌朝。食堂で朝食を済ませたシルヴィスは、薬草や食料など必要な物を購入。

「ドシリアさん、もし可能であれば 道案内できる方を紹介願いたいのですが」

「案内人ですね、はい。それでは–」

「西の山ですよね! 僕っ、すっごく詳しいですよ!」

「あっ、こらクリス!」

 会話が届いていたらしく、クリスが目をランランと輝かせて割り込んでくる。

「ブチドラゴンの処ですよね! 僕でしたら 道案内だけでなく、発明品でとてもお役に–むぐぐ」

 アピールする少年の口を、ドシリア氏が必死に塞いだ。

 女剣士にニコニコな笑顔を見せながら、親方さんは従業員たちに声をかける。

「お、お~いっ、体力自慢のマイケル!」

「マイケルさんでしたら、港に荷物のチェックに行ってます~!」

 若い女性従業員の返答に、ドシリア氏は焦って。

「お、おおそうか…! それじゃあランディ…」

「ランディさんは、浴場の樽風呂の修理です。今日中に直せって、親方から言われたって」

「そ、そうだった。ネルソン…は配達に忙しいし、ジョージア…は、そもそもコックだし…」

 適当な案内人が思い当たらない親方さんに、クリスがニコニコと、積極的な笑顔を向ける。

「お、お前はなぁ…」

「親方っ、僕も十三歳ですよ! 親方たちだって 十三歳で初めて冒険に出たって、言ってたじゃないですか!」

「そ、そりゃあ…っていうか、年齢の話でなくてだな」

 とはいえ他にいないし、若い女性の従業員では、道案内も危険だし荷物運びも無理だ。

 困り果てるドシリア氏に、ちょっと笑ってしまったシルヴィスが、希望を告げた。

「それでは、クリスくんにお願いしようかしら」

「えっ!?」

「はいっ!」

 驚くドシリア氏に比して、嬉しさ満点なメガネ少年。

 親方さんの手を振りほどくと、まるで子ネズミみたいに走り出した。

「それではすぐに準備をいたしますっ! ではっ!」

「ああクリスっ…なんて素早い…。しかしお客様、あいつは…」

 困り果てる店主を、シルヴィスなりに安心させようと、計画を伝える。

「いえ、道案内と言ってもブチドラゴンの巣が分かれば、クリスくんには安全なところで待機してもらいます。それに、出来るだけブチドラゴンとは対峙せず コッソリと宝石を頂けるよう努めますし、クリスくんにも無理はさせません」

「そ、それは結構なんですが…ただアイツは…」

 ドシリア氏が別な事で困っていると、少年が駆け足で戻ってきた。

「お待たせいたしました!」

 背負った大きなバッグが歪に膨らんでいて、何やら発明品が詰め込まれていると、一目で確信できる。

「ああ、やっぱりだ。クリス、その危険なガラクタは置いていかないか? またはせめて絶対に使わないとか–」

「何を言ってるんですか親方! 僕の発明品がようやく、人様のお役に立てるんですよ!」

 言いながら、別に取り出した更に大きなバッグを開けると、少年はシルヴィスの荷物を手早く収めて、ひょいと背負う。

「さ、準備オッケーです! 出発しましょう!」

 やる気満々な少年に、頭を抱えるドシリア氏だ。

 宿の玄関まで出ると、クリスは自分の荷物をドサっと下ろす。

「まずは…これです!」

「ああ、こいつまた勝手に…!」

 自分の荷物から二メートル四方の羊皮紙を取り出すと、宿屋の入り口わきの壁に貼り付けた。

 羊皮紙には、細いクリスタルで形作られたサモンサークルがキラキラと輝いていて、何かを呼び出せそうな雰囲気だ。

「お? 見ろ見ろ」

「クリスのヤツ、また何か始めたな?」

 宿屋の前で始められたクリスの発明品の展示に、街の人々も興味を刺激される。

「これは、え~と…テレポーターのトラップ魔法を応用したテレポーター…といいますか」

 自分でも上手く説明できないらしい。

「とにかく、このリボンを体に着けていれば、ここから目的地に行って、ちゃんと帰ってこれます! なので絶対に無くさないでくださいね」

 手渡された白いリボンにも、虹色のクリスタルが縫い付けられている。

 これがあれば、このゲートを通れる。という事らしい。

「なるほど。分かったわ」

 シルヴィスは、ビキニアーマーのお尻側サイドに、前腕くらいの長さなリボンを括り付けた。

「さあ、このゲートの出口は、ちょっと前に実験で山の入り口に設置したゲートです。これを潜れば、西の山の入り口までひとっとび! あ、親方。こっちのゲートを剥がしたりしちゃ ダメですよ。仕組みの中核ですから 出入りでちゃんと動作を完了しないと、紙を張り付けたこのお店ごと、ドコかに飛ばされちゃいますから」

「お、お前このやろ…!」

「では出発~!」

 ドシリア氏の心配をよそに、リボンを付けたクリスはシルヴィスと共に、ゲートを潜って宿屋の前から姿を消した。

「おお、本当に消えちまったぞ!」

「おいおい大丈夫か? あのまま帰ってこれないんじゃないか?」

 街の人々の憶測が、ドシリア氏に重く圧し掛かる。

「…ア、アリサ。このゲート、シッカリ監視しといてくれ」

「は~い」


 クリスの後について、羊皮紙へと向かって走った次の瞬間、シルヴィスは虹色の空間を瞬く間に駆け抜けて、直後には林の前へと出現していた。

「あ、あれ…? ここは…」

「はい、西の山の麓ですね!」

 言われて見ると、目の前には確かに、昨日、町から見上げた西の山。

 振り返ると、ドアオーバーの街を見下ろす高台でもあった。

「す、すごいわ…本当に、テレポーターの移動なのね…!」

「えっへん!」

 鼻高々な少年が、出口として使用した羊皮紙ゲートを丸めている。

「これをドラゴンの巣の入り口付近に設置すれば、帰りも素早く安全に、ドラゴンから逃げて帰れます!」

「な、なるほど…」

 クリスの発明品を体験して、シルヴィスは初めて「実はすごい少年なのかも」とか思ったりする。

「それでは、ブチドラゴンの巣までレッツゴーです!」

 二人分の大荷物を背負ったまま、少年は山の中へと突き進み始めた。

 足場の悪い上り坂な山道を、クリスは大荷物を背負ったまま、サクサクと歩いて進む。

 荷物は、今日の食料だけ。というわけにはゆかない。

 巣に到着したタイミングでブチドラゴンが留守という保証なんてないし、一日~二日に一度は外出をするブチドラゴンのタイミングを伺う意味でも、数日は泊まり込みで待たされる可能性もあるからだ。

 食料は三日分を二人分。更に飲み水やテント、寝袋など、荷物は大量だ。

 なのにクリスは、まるで重さを感じないかのように、楽々と歩いている。

 田舎育ちとはいえ山道にさほど慣れてはいないシルヴィスの方が、武装のみという身軽さなのに、少し速足で付いていく感じだ。

「クリスくんは、山道に慣れているのね」

「はい。薬草づくりに必要な野草取りとか、食堂で使う山菜取りとか、今は僕が言いつけられてますから!」

 元気に答える少年は、なんだかんだで重宝されているのだろう。

「野草取りも、そのグローブで沢山取って帰れるわけね」

「はい! こみのパワーグラブは、自分の体重の半分くらいまでなら楽々運べるんですよ!」

 自身の発明品を自慢げに語るメガネの少年。

「半分、ね…あ、すごいわね!」

 体重の半分とか言われると、あまり凄くないように感じてしまう。

 しかし女性なら約三十キロ、男性なら四十キロ以上を軽々と背負える。と、シルヴィスは理解して、あらためて関心する。

「はい! ただ、自分の体重の倍以上の重量とかを持ち上げたり運んだりすると、すぐに筋肉痛がヒドいですけど!」

 明るく話すけど、結構、危険な話でもある。

「…ビミョーなのね…」

 山道を進んだら、道は左側に下り坂になっていて、右側は高い崖になっていた。

 遠くを眺めた女剣士が、山の中腹にあるというブチドラゴンの巣を思い、道程を考える。

「ここを下って、遠回りしてまた昇る…感じかしら…?」

「いえ。それだと丸一日ぶん遠回りになってしまいますので、この崖を上りましょう!」

「え…?」

 高さだけでも二十メートルはあろう、断崖絶壁。

 シルヴィスは、投げ縄のように上るのかな。と、シンプルに考えた。

「そう…なら、いったん荷物はおろして–」

 縄でくくって、自分たちが先に登って、荷物を引き上げる。

 と、常識的な判断を口にしようとしたら、クリスが口にしたのは、非常識と言える方法だった。

「このままで大丈夫です! この『カメレオン・マスク』を使いますから!」

 言いながら、少年が自分の荷物から取り出したのは、カメレオンの頭の形をした大きな被り物。

 緑色を下地に、そこそこ鮮やかに彩色されていて、目の中心と周りには、様々な色の小さいクリスタルが張り付けられていた。

「…それは?」

 頭にかぶる事は見てわかるけど、どんな能力があるのか、全く想像できない。

「このマスクがあれば、高さ三十メートルくらいまでなら、どこでもシュっと登れます!』

 マスクをかぶって頭だけカメレオン化すると、クリスはこもった声で得意げに発明品の能力を説明して、早速に披露する。

『それじゃ、ちょっと失礼します!』

「何…わ!」

 年下の少年とはいえ、正面から抱き着かれて、男性に慣れていないシルヴィスはちょっと驚いてしまった。

 豊かな双乳の下に、少年の頭が押し付けられている。

『では行きます!』

 そういうと、上を向いたカメレオンの口がバカっと開き、桃色の舌がビュンっと伸びて、崖の上に粘着。

 あ。と思ったら伸びた舌がシュっと縮み、抱き抱えられた女剣士と共に、少年は瞬く間で崖の上へと到着していた。

『はい、到着しました!』

 一瞬の出来事すぎて、女剣士は認識が遅れて、到着にハっと気づいた。

「あ…! そ、そうね…」

(…年下の男の子に抱き着かれて、驚いちゃった…恥ずかしい…!)

 弟たちをお風呂に入れてやってるし、子供の裸にだって慣れている。

 なのに、少年に抱き着かれて胸に頭を押し付けられて、ドキっとしてしまったのだ。

「す ごい…マスクだったわ」

 必要以上に、冷静を装って応えたシルヴィス。

『さ、ブチドラゴンの巣はもう少し先です。午後には到着できると思いますので、途中の湖で休憩を取りましょう!」

「そ、そうね…」

 説明の途中でマスクを外したクリスは、発明品の効果を発揮できて、嬉しそうだった。


 山道を二時間ほど歩くと、日当たりのよい平地に出る。

「へぇ…綺麗な処ね」

「ちょっと休みましょうか」

 針葉樹に囲まれた大きな湖のほとりで、二人は休憩しながら、少し早めの昼食を摂る事にした。

「まずは 火をつけて…と」

 たき火用の枝を拾うと、クリスは背中のバッグをゴソゴソし始める。

(今度はどんな発明品がでてくるのかしら…)

 シルヴィスはちょっと楽しみになり始めている。

「あった!」

 きわめて普通の火打石で着火して、なんとなく肩透かしを食った気分だ。

「お肉を焼いて、野菜も食べましょう!」

 そう言いながら取り出した箱は、一般的な食糧箱。

 ただし、蓋の中央にはクリスタルの球が嵌め込まれていて、淵は細長いクリスタルで飾られた、珍しい装飾。

「…それもクリスくんの発明品?」

「そう言っていいと思います! この『保存箱』は鈍速の魔法を貯めたクリスタルを利用していて、三日で食べられなくなる食料を、四日まで大丈夫にしてます!」

「またビミョーね」

 少年は慣れた手つきで、小さなフライパンを使って、肉を焼き始め、同時に野菜も炒めてゆく。

「はい! でも まだまだ改良の余地があるって事は、それだけ能力値のアップに繋がるって事でも あるんですよ!」

 先ほどのカメレオン・マスクも実は、あまりにも重すぎる物を抱えて上がろうとすると、装着者の首だけ引きちぎってしまう危険性があるとか。

「そ、そうなの…」

パワーグラブといい、クリスの発明品に完璧さは、いまのところ無縁らしい。

 それでも、開発と実験を楽しむ少年を、シルヴィスは気に入り始めている。

「クリスくんは、本当に発明が好きなのね」

「はい!」

 明るく答えるメガネ少年に、ちょっと気になる事を尋ねそうになる。

(やっぱり、お父様の影響とか…)

 と考えて、寂しい思いをさせてしまうのも…と、思い直す。

「僕は、僕の発明品がみんなの役に立てれば、それが一番嬉しいですね! 僕の両親は、僕が生まれてすぐに死んじゃったんですが–」

「そ、そうなの…」

 自分から話し始めてくれて、少し助かった気持ちだ。

「はい。ですが、親方とか街のみんなが、今でも両親の事を話してくれたりして、みんな両親を好きでいてくれてるんです! 僕も、街もみんなも好きだから、発明品で喜んでもらえるように、頑張るつもりです!」

「…そうなのね」

 屈託のないクリスの笑顔に、シルヴィスも元気づけられる。

「そしていつか、僕の発明品が世界中の人たちの役に立てるように、なりたいです!」

「立派な心掛けだわ。きっと叶うわ!」

「はい! ありがとうございます!」

 肉と野菜が焼けて、二人は温かい料理で昼食を済ませた。

 その後、山道を一時間ほど登って林を抜けた岩壁に、大きな巣穴を見つける。

「ここが、ブチドラゴンの巣です!」

「ええ…」

 シルヴィスは緊張しながら、暗い巣穴を注視した。


☆第四章 ブチドラゴンとの闘い


「中に、ブチドラゴンはいるのかしら…?」

 薄暗い洞窟の奥から、ただならぬ雰囲気が漂っているように感じられるのは、恐怖心の所為だろうか。

(…今まで、オーガくらいしか倒した事ないけど…)

 今回の相手は、小型とはいえドラゴンである。用心しながら注視する女剣士。

 そんなシルヴィスの背後では、メガネの少年が、丸めていたゲートの羊皮紙を取り出していた。

 巣の出入り口からなるべく直線状にある、林の木に、羊皮紙を張り付ける。

 そのすぐ脇に、荷物も下した。

「? 何をしているの?」

「逃走経路です! こうしておけば、ブチドラゴンから宝石を奪って逃げる時、真っ直ぐ走るだけでゲートを潜れますから」

「ああ…なるほど」

 納得しながら、シルヴィスはビキニ鎧のお尻に結び付けた、ゲート通過用のリボンを再確認。

 脱出の準備も整ったところで、いよいよ巣の中へ。

「クリスくんは ここで待っていて」

「いいえ、お供致しますとも!」

「ダメよ! 危険だし、道案内の契約はここまでだわ! 第一、あなたにもしもの事があったら–」

 と言いかけて、クリスの両親の事が頭をよぎり、つい口をつぐんでしまう女剣士。

 そんなシルヴィスに、クリスはやはり、自信たっぷりな笑顔で応えた。

「大丈夫です! 僕は自分の発明品で 自分の身くらいは守れますし! それに、僕の発明品を僕が使ってみなくちゃ、とても人様に勧められませんから!」

「そ、それは…」

 反論に窮する女剣士に、少年は更に、持参した発明品を装着して見せる。

『パワーグラブとこのカメレオン・マスク。それとこの、対ドラゴン用の攻防一体ガントレット「ドラゴンバスター レッド&ブルー」があります!』

 銅甲冑に使用される銅のガントレットの、左手には青いクリスタル、右手には赤いクリスタルが嵌められている。

『炎を吐きつけられても、左手で吸収して、右手からそっくり返してやります! まあそれに、たとえドラゴンを倒せなかったとしても、一緒に脱出するくらいは余裕です!』

「う…」

 この場に置いて行っても、聞かずに巣の中まで付いてくるであろう少年である事は、この道中でなんとなく理解している。

「…それじゃあ、絶対に危険な事はしないでね! 危なくなったら、私を置いてでも逃げる事! いいわね!」

「解りました!」

 絶対に解ってないであろう明るい笑顔だけど、しかたがない。

(…とにかく、出来るだけの事はやらなきゃ…!)

 シルヴィスは剣を抜くと、自身が前衛となって、暗い巣の中へと足を踏み入れる。

『これを使いましょう』

 用心するシルヴィスの緊張感をものともせず、クリスは、クリスタルを括り付けた木の棒を取り出して、女剣士より一歩前へ。

「ク、クリスくん…!」

 少年が、クリスタル部分を岩壁でコンと軽く叩くと、クリスタルが明るい光で洞窟内を照らし始めた。

『この「クリスタル松明」は、ご覧の通り魔法の光を使った明かりですので、ほとんど熱を発しないうえ、水に濡れても消えたりしません!』

「…つまり、イザという時の武器としては 役に立たないのね」

『その通りなんですよねー! そのあたりも、今後の改良点ですよー!』

「またビミョーなのね」

 なんだか緊張感のない会話だし、ブチドラゴンに気づかれたりはしないかと心配にもなる。

『まあどのみち、明かりが無いと洞窟の中はデコボコで危ないでしょうし、ブチドラゴンの鼻だったら、いれば洞窟に入ったあたりで、コチラの臭いを感じ取ってるでしょうから』

「それも…そうかもね」

 人間の臭いを感じてるとすれば、今の時点で出てこないという事は、つまり留守なのだろうか。

(…だとすれば、願っても無いチャンスなんだけど…)

 なんであれ、洞窟の奥から奇襲攻撃でもされない事を祈るだけだ。

 思ったよりは歩きやすかった洞窟の奥に進むと、開けた空間があり、ほのかな明かりがこぼれている。

「…宝石の光…」

『ですね。ちょっと覗いてみましょう』

 二人で恐る恐る、岩の影から覗き込んだら、空間の真ん中でブチドラゴンが寝っていた。

 全長が十メートルほどのブチドラゴンは、ドラゴンの中でも小型の部類だ。

 宝石を掘るという点で、ガイアドラゴンの一種と思われがちだが、羽を広げて自由に空を飛べるあたり、翼龍の仲間である。

 呼吸で収縮しているお腹の下で、宝石がキラキラと輝いていた。

 二人は小声で話す。

「寝てたのね…出かけてくれてたら ラッキーだったのに…」

『しかも宝石、お腹の下ですね…。そうだ! 僕がドラゴンを引き付けますから、その間にシルヴィスさんは宝石を奪取してください!』

「え…ちょっと–」

 止めるが早いか、少年はベッドの周りを、女剣士の反対側まで一気に走った。

「ク、クリスくん!」

 つい叫んでしまったシルヴィスの声に、ブチドラゴンが目を覚ます。

「しまった…!」

 焦る女剣士。

 メガネの少年が、自分の提案に則って、ドラゴンの注意を引き付ける。

『お~いブチドラゴン! こっちこっち!』

 呼びかけながら、両手のガントレットをガンガンと打ち付ける。

 甲高くて耳障りな金属の打撃音に、眠りを邪魔されたブチドラゴンは、いきなり激怒。

 クリスを見据えると四つ足で立ち上がり、正面から向き合う。

「クリスくんっ…こ、こうなったら…!」

 クリスの安全の為にも、とにかく今は宝石を頂くのが最善だ。

 女剣士は、足速にドラゴンのベッドへと接近。

 宝石に手を伸ばしたタイミングで、ブチドラゴンは五月蠅いクリスに向かって、激しい火炎を吐きつけた。

 ゴオオオオッ!

 小柄な少年の全身が、激しい炎の滝で完全に包まれる。

「ク、クリスくんっ!」

 少年の死を想像してしまい、シルヴィスは思わず体が止まってしまった。

『熱ちち…! 上手くいった! 大丈夫です!』

 炎のカーテンに隙間ができて、見ると、クリスが左のガントレットで炎を受け止めている。

 少年の全身を覆うほどの火炎を、ガントレットが吸収して、完全に無効化していた。

「ぶ、無事なのねっ!」

『はい! シルヴィスさんは宝石を!』

 敷き詰められた宝石を手早く拾おうとしたら、ドラゴンが女剣士に、大きく振り向く。

「!」

 ドラゴンと初めて、しかも間近で視線が合った女剣士が、一瞬の硬直を挟んで、盾で全身を防御する構え。

「お、思ってたより…大きくて凄い…!」

 宝石を狙う女の侵入者に、ブチドラゴンは再び大きく息を吸う。

『火炎を吐く気だ! ええいっ!』

 左のガントレットに貯められた炎を、右手のガントレットから、ブチドラゴンの顔へと放出。

 ブチドラゴンは、自身の放った火炎と同じ炎をアゴに食らって、思わず顔が横に傾く。

 それでも、強く吐き出された火炎がシルヴィスのすぐ左を掠め、女剣士はとっさに飛び退いた。

「きゃっ–なんて、火力…っ!」

 低レベルとはいえ、鎧に施されていた対熱の魔法のおかげで、ビキニ鎧を纏う白い肌に、怪我はなし。

 しかし、ゲートを潜るリボンが消失してしまった事に、シルヴィスもクリスも気付いていなかった。

『シルヴィスさんっ!』

 少年が急いで駆け戻ってくると、三度、火炎が吐かれる直前に、シルヴィスの盾となって左ガントレットを掲げた。

 ゴオオオオッ!

「きゃあっ!」

 炎の熱と圧力に、シルヴィスは思わず目を閉じてしまう。

『なんのっ!』

 クリスの左ガントレットが炎を吸収するものの、青かったクリスタルが、すぐに濁った赤色へと変色してゆく。

『うわわ! 凄い勢いですっ! このままじゃ、もうすぐ受け止めきれなくなって…っ!』

 クリスタルが燃えるような真っ赤になった瞬間、左のガントレットが崩壊。

『うわっ! なんのっ!』

 防御が無効化された直後、クリスは右ガントレットから、吸収した炎を吐き出して、ブチドラゴンの火炎と相殺を試みる。

 ゴオオオオオオオオオオオオオッ! 

 火炎同士がぶつかり合い、洞窟の中が灼熱と化す。

『シルヴィスさんっ、貯め込んだ炎がもうすぐ切れます! とりあえずシルヴィスさんだけでも 逃げてください!』

「クリスくんを置いて逃げられるわけないじゃないっ!」

 少年の身の上、ドシリア氏の想い、母や弟妹たち–。

 ブチドラゴンのブレスとクリスの炎が、同じようなタイミングで終わったのは、幸運だったのかもしれない。

『次のブレスがすぐ来ます! シルヴィアさん–っ!』

 様々な光景が頭をよぎり、女剣士はイチかバチかの賭けに出た。

「クリスくんが先に逃げなさい!」

 命令しながら飛び出した女剣士が、盾を構えてドラゴンに吠える。

「宝石泥棒はこの私よっ! 戦うならっ、この私と戦いなさいっ!」

 シルヴィスの叫びが、洞窟内に木霊する。

 女剣士に注意を引かれたドラゴンが、ブレスを吐かんと息を吸う。

『危険ですっ–あっ、ええいっ!』

 背後で、焦げた岩に気づいたクリスが、ガントレットを外したパーグラブで岩を掴み上げると、体重以上の重量を思いっきり投げつけた。

 ドスンっ!

 グアゥッ!

 開いた口にガッチリと岩を投げ込まれたドラゴンは、数舜ほど戸惑い藻掻いて、炎ではなく息を吐き出してしまう。

『いいぞ! いけるかもっ!』

 クリスは更に岩を探すも、周囲には小さな石しか見当たらなかった。

 ドラゴンが強力な顎の力で岩を噛み砕くと、ブレスを吐こうと、今度は鼻から息を吸う。

「クリスくんっ、早く逃げてっ!」

 少年だけでも逃がそうと、シルヴィスが促す。

『岩は–ない! あっ、あるぞっ!』

 クリスの目に、天井の岩が映った。

『ブチドラゴンっ、こっちだっ!』

 大声で呼んで、カメレオンの口から長い舌をシュっと伸ばして天井へ。

 ブレスをかわして天井に張り付いた少年は、パワーグラブで、天井の大岩を掴んで引き離す。

『うむむむむううううっ!』

「無理よっ、クリスくんっ!」

 ブチドラゴンが天井の少年に更なるブレスを吐こうとした瞬間、クリスの体重の五十倍はありそうな巨岩が、ボゴンっと剥がされて真下に落下。

 岩塊はドラゴンの尻尾へと落石して、ブチドラゴンは激痛の悲鳴を上げた。

 グラアアアアアアアアアッ!

 もんどりうって転がるドラゴンの振動で、洞窟が揺れる。

 体力を消耗しきったクリスが天井から落下して、慌てて駆け寄るしシルヴィス。

「クリスくんっ!」

『だ、大丈夫です…! それより、今のうちに宝石を…っ!』

「まったく…!」

 女剣士は小柄な少年を背負うと、片手で拾えるだけの宝石を掴んで、急いで逃走開始。

 背中のクリスも、カメレオンの舌でくっつけられるだけの宝石を奪取していた。

 足元の悪い洞窟を走り出ると、すぐ後ろから、ブチドラゴンが怒って追いかけてくる。

 ゲートの脇に置いた荷物を持って帰る余裕はないだろう。

「あのゲートに飛び込めば…っ!」

『帰れま–あっ、シルヴィスさん待って–』

 シルヴィスのリボンが消失している事にクリスが気づいたときには、ブチドラゴンが火炎を吐いて、刹那だけ早く女剣士がゲートへと飛び込んでいた。

 一瞬の虹色を通り過ぎると、シルヴィスの目の前に広がるのは、アリア亭の玄関。

「か、帰ってこれた…ふぅ」

『シルヴィスさん、あのっ!』

 無事に生還した二人に対してなのか、街の人たちが驚いている。

「さ、クリスくん。帰ってこれたわ。宝石も手に入ったし、これもみんな、クリスくんの…おか…げ…」

 周囲の、特に男性たちの好奇な視線に「?」が浮かび、背中のクリスを下して、初めて気づいた。

「!?」

 リボンを失ったままゲートを通ったシルヴィスは、ビキニ鎧のビキニ部分だけを消失した、半裸の姿だった。

 豊かなバストも大きなお尻も、全て衆目。

「きゃあああああっ!」

 鎧よりも真っ赤になって、女剣士は丸まってしまう。

『シルヴィスさん、リボンなくしてましたから。渡そうと思ったんですが』

 少年の手の上でひらめく白いリボンを、シルヴィスは羞恥の混乱で見つめる。

「いやぁぁぁああああんっ!」

 頭を抱えるドシリア氏。

「ああ…だから言わんこっちゃない…」

 それでも、とにかく目的は達成できたのだ。

 二人の生還を、街の人たちは拍手を以て喜んだ。


☆エピローグ 世界を発明品で埋め尽くすまで


 翌朝。少し不機嫌っぽく頬を染めたシルヴィスが、アリア亭を後にする。

 起伏に恵まれた肢体は、新しい赤いビキニ鎧で飾られていて、美しいシルエットを魅惑的に引き立てていた。

「まぁ…クリスくんのおかげだわ」

「いや~、お役に立てて何よりです! いてて…」

 ドシリア氏だけでなく、全身包帯姿のクリスもお見送りに出ている。

 自分の体重をはるかに超える巨岩を投げつけたり持ち上げたりしたから、その反動で、体中が筋肉痛なのだ。

 それでも、少年の笑顔は屈託のない、誇らしい輝きで眩しかった。

 発明品が、必要な人の役に立った。その事が、何よりも嬉しいのだ。

「クリスくん、本当にいらないの?」

「はい!」

 奪取した宝石はクリスの方が多く、鑑定してもらった結果、予想を大きく超える価値で引き取ってもらえた。

 母の薬代を確保して、新しい鎧を買って、弟たちにも珍しいお土産を買えて、それでもまだタップリな余裕がある。

 それ以前に、半分はクリスの取り分だと、シルヴィスは思う。

 しかしメガネ包帯の少年は、その取り分を全くと言っていいほど、受け取っていないのだ。

「僕は、発明品を使ってお手伝いできただけで充分ですし、道案内の代金は頂いてます。それに」

「?」

「今はなにより、シルヴィスさんのお母さんが元気になる事の方が、大切です!」

「…そう…」

 優しい少年の真心に、シルヴィスの心が温かくなる。

 ドシリア氏も、誇らしげに少年の頭をクシャクシャと撫でていた。

「わかったわ。それじゃあ、私はこれで」

 別れの時が来た。

「それとこれは、特別報酬…♡」

 そう言いながら、メガネ少年の頬に、優しくキスをくれた。

「あわわ–ど、どぅも…」

 発明一途なメガネ少年も、さすがにキスを貰うのは、恥ずかしそうだ。

「じゃ、またね」

 女剣士は、故郷へ向かう船に乗るため、港へと向かう。

 去り行くシルヴィスに、恥ずかしいながらも、元気な声で手を振るクリス。

「道中のご無事を~! またお越しくださ~い!」

 クガーフ大陸の空は、遠くまで晴れ渡っていた。


                         ~終わり~

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クリスのクリスタル回路 八乃前 陣 @lacoon

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