其の伍 二つの月
こうして、俺の決めこんだ日常スケジュールの中には、新たな余暇の過ごし方ができたと言っても良かった。なんせ、フィクションの中でしかあり得ない事が自らの身に降りかかったのだから、それは当初こそ、俺に相当な刺激をもたらしたのだ。
俺の世界でいうところの光野リーンの住む「神奈川県」は、横濱市有する横濱県と、相模湾に面した湘南県、山間の足柄県の三つに分かれてはいたが、電車は普通に通ってはいるし、改札も自動改札機ではありながらも、駅のホームにやってくる先頭車両の形状は往年のSLを模したものになっていたし、単なるコンクリートジャングルじゃないアールデコ調な街並みの特徴も含め、利便性のみというよりも、いづこかにレトロな美的感覚を未だ優先した時代が息づいていたのだ。行き交う人々の服装も、こちらと大差はなかったりしつつも、たまに袴にブーツの者もいれば、シルクハットものぞいたし、それらの個性が当たり前のように、街の景観に溶け込んでいた。そして、帝国鉄道、通称国鉄は、こちらと同じように、時の内閣総理大臣の改革政策によってJRとなっていたのである。
(……高島屋はあるんだな……)
その日、俺たちは横濱駅前にあるデパートのレストラン街にきていて、カジュアルな店内の活気の良さはあまりこちらの世界と大差はない様子の中、運ばれてきた料理も、まるで、自分の世界で久々に外食をしたような気分であった。
「どう……? おいしい……?」
目の前では、未だ、自らの食事には手をつけないままに、光野リーンはこちらの様子を伺うようにしていて、俺は、自分のこっぱずかしさを誤魔化すために、すかさずがっつきはじめたのだったのだが、口一杯にほおばると、
「うむ……」
上目遣いのように相手を見つつ、親指を突き出すのであった。
「よかった……!」
光野は屈託なく喜び、俺はなんだか、更にこっぱずかしくてしょうがなくなった。
これだけの年齢差があると共通の話題は難しいというものだ。ましてや俺たちは互いに異世界(?)の住人なのだ。会話らしい会話もないままに、ランチタイムは終わっていってしまいそうだったのだが、ここは、俺も、遥かに年長である者として気を使ってみたのだ。
「ところでさ……」
口火をきると、光野のスプーンの手が止まった。アホみたいにがっつく29歳の目の前の少女は、スープをすくう仕草すら、自分の身の内側からというフォーマルなテーブルマナーが当たり前にしみついていたりしている。そして、俺は、話しかけたはいいものの、内容まではまるで何も決めていなかったのだ。
「……『奇跡』ってなんだろね」
「それが……」
結局、話題と言えば、今、俺たちの身に起きている出来事でしかなく、それは、あの「老婆」が話していた事のどれ一つとして、俺には何も響いてこなかった事が理由だとしても、光野が話しはじめたら、遥かに年長である者らしく、俺はウンウンと聞いてってやろうと思う心算でもあったのだが、
「……私にも、わからないん、だケド……」
(わからないんかぁ~~~~い!)
呟くような末尾へのツッコミは心の中だけにしておいた。
会話は、もはや潰えてしまいそうだったが、一度、話題にだしてしまえば、この謎多き世界設定に、まるで連想ゲームのように、疑問はますます湧いてくるというものだ。
「あのさ……」
「ん?」
此方は目もくれずに食事に明け暮れ続けているのだが、話しかける度に、目の前の少女は、しっかりとこちらを見つめてくるではないか。
「……あのばあさん、何者よ?」
それは、二人のやりとりを見ている限り、少なくとも俺より以前からの親交があるように思えた故の質問であった。
「それが……」
そして、今度こそ、年長者らしい振る舞いをする事となるかと思ったのだが、
「……私にも、わからないん、だケド……」
(なんでやね~~~~~ん!)
心の中のツッコミはリフレインされた矢先、
「……はじめて会ったのは、私が、十歳の時、だよ」
(…………)
今回こそは物語の続きが用意されていたのであった。
母親も仕事で家に不在な事も多い光野リーンは、どうやら俺の世界でいう所の「鍵っ子」であった。そしてある日の学校から帰り、自室で大人しく宿題をすまそうとしている最中の事であったそうだ。
ツンツン……と、何かが自分の背中をつついてきたので、振り向けば、あの真っ黒づくめな魔法使いの老婆は既に其処に現れていて、その時は手にした杖だけでなく、なにやら大きな水晶の玉の上に腰を下ろして、浮かんですらあったと言うのだ。
(……な~んだそれ……)
こちらが早速、白目も向きたくなるような体験談であるのに、
「けど……なんか、怖い、って感じはなかった、かな……」
述懐する少女は、寧ろ、当時の思い出を微笑ましく思っているような表情で続けた。
ただ、呆然とは見ていた少女を、老婆はじっと見下ろすと、
「来年、『迷子』がこの街に訪れる。その『迷子』を救ってやるのじゃ。この事は他言無用じゃ。今から、時と場所を言う。しっかりメモせい」
言われるがままに、少女は老婆の言う事を、その場にあった用紙に記した。そして、次に顔をあげた時には姿は消えていたのだという。
(……な~んだそれ……)
今一度、白目も向きかけたのだが、
「けど……あの日の事は、よく覚えてるな……だって、そこにいたのが、ナーモ君、だったんだよ……!」
そう言い終わってから、少女は真っ直ぐにこちらを見つめたのだ。
(…………!)
未だ口いっぱいにほおばっていた俺だったのだが、名を呼ばれれば、思わず見返す他なく、まるで走馬灯のようによぎるのは、自分の事を「ナーモ君」と自己紹介するので精一杯だった頃の、俺自身のあの断続的に見続けた夢の日々の事で、
(……夢、じゃなかった……)
それは、尚、真っ直ぐに視線を送る光野リーンの証言が裏付けていたのだ。
「……びっくりしちゃったな……。お母さん、ほんとにテレビ局に電話しようとしちゃってね。止めるの大変だったんだよ。撮っとけばよかった、なんて、本気でくやしがっちゃってさ」
その後もたまに「老婆」は光野リーンの自室に現れたのだと言う。少女の事をじっと見ると、
「元気かえ?」
と、様子を伺うにし、
「……はい」
答えれば、「うむ」と満足気に頷いて、目の前で消えてみせたそうだ。
「けど……なんか、怖い、って感じはなかった、かな……」
(おっかしいだろ~~~! 充分におっかね~だろ~~~~~~~!)
もう、何度目かの声なき声のツッコミを叫びつつ、俺は咀嚼を続けるしかなかった。
「で、あの日は、ニュースで、確か、炎星が中球に最接近するとか言ってて……」
その日、現れた老婆はどこか様子が違ったそうだ。真剣な眼差しで少女を見上げると、
「『システム』が『稼働周期』に入るぞえ」
と、語りはじめ、そして、かつて少女が助けた迷子、「ナーモ」が多摩川に現れる。これと必ず会うようにと、時間と場所を告げてきたのだそうだ。
(…………!)
何もかもが事実であった事を延々とうたい続けていっているかのようで、俺は、またもや驚くほかなかった。
「『保全』のため、『対象者』であるおぬしたちには『世界越え』の『特権』が付与されるぞ」
老婆の真剣な語りは続いた。こうして、俺たちはどういうわけか互いの世界を行き来しあえるようになったのである。
(……『対象者』……? 『特権』……?)
またもや、気になるワードやらが飛び出して来たり、とりあえず、あの場所がやはり多摩川だった事も驚きだったりしたのだが、ふと思い立ち、俺は、自分がこちらの多摩川に立ち尽くしていたのが、いつ頃であったかを彼女に問うた。そして、返ってきた内容に、
「……そういや、そのニュース、思い出した……確か、火星が地球に最接近するとか言ってた……!」
未だ、なんやらかんやらを口に含ましたままの俺は呟くように口を開くと、バイト帰りの中央線の車両内で、掲示されたニュース画面をぼんやり眺めた記憶が、ぼんやりと脳裏に浮かんだのだった。
「……そう、なんだ……」
光野は相槌を打つようにしてから、尚、話を続けた。
「『保全システム』は我ら人類にとって大事な事なのじゃ」
老婆は、俺が多摩川に立ち尽くした後にも、尚、彼女の前に出現し、語り続けたのだと言う。その内容には、俺のいる星の名が「地球」と呼ばれている、などという事も含まれていたらしいのだが、
「……あの人、自分の事は、『システムマイスター』だ、って言ってたよ」
「え、おとぎの国の魔法使いなんじゃねーの?」
思わず、答えた俺の一言には、光野は、プっ、と笑ってみせ、俺もつられたりもしたが、
(…………)
やはりどうも色々と相変わらず釈然とはしなかったのだ。
「あの、あれ、なんだよ。ダイナマイトがどうとかってやつ」
「フォボスとダイモス、だね」
俺は、尚も、質問を続けると、少女は、再会した多摩川での意味深な内容を、とうとう紐解きはじめるのであった。
火星に二つの月があるなんて知らなかったが、その二つの名がフォボスとダイモスであるらしい。帰還後に検索までかけたが、それは本当の事であった。ただ、光野は、
「ナーモ君のほうの、私が住んでるはずの星の、月? の名前みたいだよ」
と、いう言い方をしていて、彼女達にとって、夜間の暗黒の中に星しかない空の中、自らの頭上に浮かぶのは、肉眼で確認できないほどの小ささでしかないため、月という星が、夜空に浮かんでいるという概念がなかったのだ。ただ、古来から洋の東西問わず、直近の第三惑星、炎星の衛星、リムレーン(和名はツキヨミ、というそうだ)を熱心に信仰する考え方はあったのだと言う。
自分たちの惑星の周囲を回る衛星の事は、第壱衛星、第弐衛星、という名称でしかないので、「フォボスとダイモス、二つの月と伝えよ」と老婆に言われた時には、
「ツキ? ってなんですか? って聞いちゃった」
と、彼女は笑い、
「綺麗だったな。あれが、月、なんだよね」
以前の高円寺のファミレスから横濱までの帰り道にて、夜空に煌々と光っていたリムレーンを思い返すようにしていたのであった。
(…………)
尚、ひっかかりを感じつつも、俺が年長者らしく、彼女の話を聞き続けると、多摩川で出会った旨を少女が報告すれば、その日の老婆は多少、表情をゆるめたりはしたが、今度は少女の姿を上から下まで真剣に見る様にした後に、
「……では、……『状態』が『適齢』に入り次第、マイスターの権限を行使した、『ミーティング』じゃ」
と、言い放ったそうだ。こうして、今年の夏の終わり、俺ら三人は、この世界にて、顔を突き合わす事になったのである。
(…………)
聞けば聞くほど、解決できたと思った矢先から不可思議な単語がポンポンと湧き出てはくるが、やがて、俺らは食事を終えれば、店をでる事にした。
駅前の雑踏を抜けると、一角のショッピングセンターのテナントに楽器屋が入っているというので、覗いてみる事にした。自分の世界の方でも大変お世話になってる楽器屋は、店名も、店の中の雰囲気すら、ほとんど瓜二つで、当たり前のように物色する俺の隣では、はじめて入る楽器屋に興味津々とした光野リーンの碧眼がキラキラと輝いていた事など、この時はまるで知る由もなく、
(…………)
売り場で手にした、愛用のギターの弦のパッケージすら、メーカー名もデザインもそっくりだったりする事に、俺は目を丸くしているだけだった。
やがて、俺たちは、港町横濱が一望できるという公園の公衆トイレに来ると、互いに、周囲に人がいない事なんぞを確認しながら、とりあえず俺は、頭をかきつつ切り出したのだ。
「やー、なんだ……」
声に気づいて、こちらを見上げた赤毛碧眼の少女の顔が、なんの屈託もなければ、俺はますます罰を悪そうにしつつ、
「……流石に、いい大人が、子供に、飯から、ギターの弦のおみやげから、おごられすぎだわ。こりゃまずい。次、来たら、俺、たらふく食わせっから」
通貨は同じ円通貨だったのに、俺たちのそれぞれが持ち合わせている円は、例えば、硬貨一つとっても、国名の記載が「日本国」と「大日本帝国」であるくらいに違いがあったのだ。
「…………!」
全く相手の顔も見れないような心境で告げたので気づきもしなかったのだが、光野リーンはそれを聞いた途端に、目を更に大きくして表情を明るくしていたそうだ。間もなくして、俺の「発光」がはじまると、
「じゃ!ま! そういうことで!」
漸く、相手の顔を見た時には、少女も、少し慌てふためくようにしながら、
「う、うん!」
と、頷き、
(…………!)
最早、俺は便所の一角へ駆け出そうとしているところであったのだった。
「……気をつけて、帰ってね……!」
眩い発光の最中、少女の一声が届くと、次に目の前に現れていったのは、自室の売れないミュージシャンの個室であった。
玄関に向かい靴をぬぎつつ、
「……で、結局、あれは何処なんだ?」
俺は、ふと、呟いた。
興味本位で聞いてみると、
「皇紀、の方がよく使うケド……」
光野は前置きした上で、今年の西暦を俺に告げ、その年は、全くもって俺の世界と一致していたのだ。互いの人生の時系列があまりにずれにずれまくっている事は多少びっくりする事態たが、今までに起きた出来事たちに比べれば、最早、些末な類の事かもしれない。
「……けど、火星なんだよな」
では、我らが、生命あふれる母なる星、地球のパラレルワールドのはずなのに、俺の世界の宇宙にある、光野リーンの住む星は、人も住めない、言わば、不毛の死の星である意味とはなんなのだろう。
「……じゃあ、やっぱ、あいつ、火星人?」
なんだか同じ考えがいつものようにループしそうな気持ちであった。ただ、「(保全システムを)はじめなければならんのじゃ……」と、一瞬、悲壮な表情すら漂わした一言を少女にもらしたという「システムマイスター」は、俺たちの事も光野リーンたちの事も同じ「人類」として語っていた気がする。
「……で、結局、何処なんだ?火星なんだか地球なんだか……」
結局、今日も笑うしかなかった。
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