御大尽与力と稲荷神使

克全

第1章

第1話与力株1

 坪内七右衛門は今日から南町奉行所の与力見習いである。

 昨日までは日本一の大店の七男だったのだ。

 だが孫を溺愛する当主が、将来の事を考えて与力株を買ってくれた。

 俗に同心三百徒士五百与力千両と言われているように、抱え席の御家人株は商人でも購入できるのだ。


 だが表立って売買などできないから、建前は養子縁組による持参金付き入り婿だ。

 しかし七右衛門の祖父河内屋善兵衛は日本一の大商人だ。

 額面通りの千両を簡単に出したりしない。

 大阪で鴻池に匹敵する両替商を一代で築いた善兵衛は、大阪の店を長男の徳太郎に任せて、自分は江戸に出て札差となっていた。


 江戸でも札差として大成功した善兵衛は、多くの旗本御家人に金を貸している。

 困窮する旗本御家人に、二年先三年先の蔵米を担保に金を貸していた。

 そんな返済の見込みのない御家人の内、南町奉行所の与力坪内家に溺愛する孫を送り込んだのだ。


 町奉行所の与力は、力士や火消の頭と並んで、江戸の三男と持て囃されていた。

 それくらい羽振りがよく裕福だと思われていたが、それは一部の与力なのだ。

 勤番侍の不調法を内々で処理してもらいたい大名や、色々と融通してもらいたい商人から付け届けが贈られるのは、年番方吟見方や同心支配役などの要職につける、一部の与力家だけなのだ。


 七右衛門が養子に入った坪内家は、河内屋から借金をするくらいだから、付け届けのない貧乏な与力だ。

 関ヶ原から二百年の太平は、日本を豊かにした。

 関ヶ原直後に千万石だった米の取れ高が、今では三千万石になっている。

 だが、旗本御家人の俸給は二百年前と同じだ。


 それなのに、兵役義務で抱えていなければならない家臣の給与は高騰している。

 年二分だった下女の給与が、今では二両二分と五倍に高騰している。

 二〇〇石与力の兵役義務は、本人に加えて若党二人と中間六人だ。

 奉行所に出仕する時は中間五人を連れていけばいい。

 だが江戸城などに公式出仕する場合は、馬に乗って若党二人と中間六人を供にして行かなければならない。


 そうそうある事ではないので、普段は馬を飼わず、その時だけ貸し馬を手配する。

 江戸市中で馬を飼おうと思うと、飼葉代だけで年間十両もかかってしまうのだ。

 士分の若党二人と中間二人は口入屋から雇う。

 そうしていても、赤字が積み重なるのだ。

 そんな事をつらつらと考えていた七右衛門は、ついに養父となる平八郎と対面することになる。


『坪内家主従』

養子 :七右衛門

当主 :平八郎

妻  :ゆう

長男 :格之助

妻  :みね

孫  :弓太郎

使用人:若党:曽我岩吉

   :  :杉山三蔵

   :中間:木八

      :吉助

      :伊之助

      :熊蔵

      :伊三郎

      :栄五郎

奥女中:  :文   :行儀見習いで無給

下女    :うた

      :りつ  


『坪内家家計』

「俸禄米:禄高二〇〇石(二〇〇俵)」

消費 :自家主食            :七二俵

   :男一二人×五俵=六〇俵

   :女四人×三俵=一二俵

   :餅米(暮れ)          :二俵

   :餅米(赤飯、牡丹餅、初午祭など):二俵

   :菩提寺斉米           :一俵

   :味噌・麹米           :二俵

   :小計              :七九俵

差引 :残の一二一俵

   :一石一両で現金化(収入四八両一分二朱)


現金 :俸禄米売却収入         :四八両一分二朱

収入 :夏成綱運上           :三両一分

   :帆原盲検校地代         :六両一分

   :岩間地代            :九両三分

   :笹岡南方同心地代        :二朱

   :合計              :六七両三分


月支出:薪               :二四〇〇文

   :炭               :一三五〇文

   :蝋燭              :一〇〇文

   :野菜              :二四〇〇文

   :味噌              :九〇〇文

   :醤油              :九〇〇文

   :油               :七五〇文

   :神仏入用            :六〇〇文

   :客入用             :一二〇〇文

   :当人小遣い           :一五〇〇文

   :勤めのときの入用        :一五〇〇文

   :家族小遣い           :一二〇〇文

   :年間小計            :二七両

年支出:武具・武器の修繕と普請料    :七両

   :着服入用            :二両一分

   :交際費             :一二両一分二朱

   :盆三両

   :暮六両

   :五節句一両三分二朱

   :吉凶金一両二分

   :その他一両二分二朱

   :札差の手数料          :一両一朱

   :当人手元金           :三分

   :臨時費用            :二分二朱。

   :馬の飼葉代           :一〇両

給料 :共侍   :二兵:若党:三両一分:六両二分

   :馬口取り :二人:中間:二両二分:五両

   :槍持ち  :一人:中間:二両二分:二両二分

   :草履取り :一人:中間:二両二分:二両二分

   :鋏箱持ち :一人:中間:二両二分:二両二分

   :合羽篭持ち:一人:中間:二両二分:二両二分

合計 :                :七二両一分一朱

赤字 :                :一五両一分三朱

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