呪い
アール
呪い
「助けてくれぇ!
早くここを開けてくれ!」
とある朝のこと。
僕は慌てて部屋の戸を開けた。
するとその声の主は何かの追われているかのように部屋の中へと飛び込んできた。
「ど、どうしたんですか?
そんなに慌てて」
僕は声の主の顔を確認し、知り合いだと安心すると、そう声をかけた。
だが彼は答えない。
僕の問いが耳に届いていないらしかった。
彼は隣に住んでいる、同じアパートの2階の住人である。
時たま口を聞くが、単なるあいさつ以上に発展することはなかった。
そんな彼がただならぬ様子で僕に話しかけてきた。
よほど切羽詰まった状況なのだろうということは、よく鈍感と言われる僕にも察することができた。
とにかく僕は彼に一杯の水を飲ませ、落ち着かせることに努めた。
そしてそれからしばらくした後、僕は彼に対して当然の質問をもう一度投げかけた。
「……そろそろお話ししていただきますよ。
一体何があったのですか」
隣人は僕の言葉にゆっくりとうなづき、椅子に腰を下ろすと話し始めた。
「……あなたは呪いというものを信じますか?」
「呪い、ですか?」
日常生活ではあまり聞かない単語に、思わず僕は質問で返してしまった。
「ええ、そうです。
ここから遠く離れた山の奥に、わたしの家族は人目をはばかって暮らしていました。
わたしは養子として引き取られ、のちにこの街へと働きにやってきたのです。
母親、そして妹は今でもそこで暮らしているのですが父、そして兄の二人はその呪いによって命を落としたのです……。」
「……どんな、呪いなんです?」
興味深いその話にすっかりのめり込んでいた僕は、先を促した。
「なんの前触れもなく、突然その死神は現れるのです。
そして呪いの対象者を捕まえにやってくる。
しかしそれも徐々に捕まえにくるのです」
「……徐々に、ですか?」
「そうです。
毎日約1メートルずつ、その死神は必ず距離を詰めてくるのです。
それは、どれだけ遠くに逃げても無駄。
兄は、それで一時期海外にまで逃げた事がありました。
しかしその後死んだのです……」
「な、なるほど……」
僕はそう力のない返事を返した。
それ以外の言葉が見つからなかったのだ。
隣人の話はまだ続く。
「……そしてついに今朝、俺は見てしまったんだ!
アパートの一階に続く階段の下に立つボロボロの服をきた不気味な女を…………。
あれは間違いなく死神でした!」
隣人はとうとうガタガタと震え、泣き出してしまった。
そんな様子を僕は首を傾げながら見つめていた。
引っかかる点が2つあったのだ。
その疑問を僕は隣人に尋ねた。
「しかし、あなたは先ほど養子だと言った。
なのにどうしてあなたにまで、その呪い降りかかってきたのでしょうか?」
「……もしかしたら、血のつながりは関係ないのかもしれません。
わたしは戸籍上、父の息子ですから……」
そう言って隣人は力なくうなだれた。
そんな彼を質問責めにするのは少し酷なようにも思えたが、好奇心には勝てず、僕はもう一つの質問を投げかけた。
「……どうしてあなたの一族は呪いなんて受けてしまったんですか?
なんのきっかけもなくこんなこと起きるはずがないですし……」
「あ、そうでした。
それを話すのを忘れてしまっていましたね。
実は、呪いの原因は父にあるのです……」
そう言うと、隣人は一呼吸置いた。
なにか話すのに躊躇いがあるようだ。
だが聞かないわけにはいかない。
もう僕の好奇心は彼の話にくすぐられっぱなしだった。
「わたしの父は大の遊び人でした。
定職にもつかず街を遊び回り、挙句の果てには母がいるにも関わらず何人もの女と浮気をする。
そんなどうしようもない人でした。
でもある日、妻の存在を浮気相手の一人に悟られたのです。ショックのあまり、浮気相手の女は自殺しました。
そしてそれからなのです……。
死んだはずのその女が、私たちの暮らしていた村に現れたのは……。
"あの女が近づいてくる……!
あの女が近づいてくる……!
早く逃げなければ……!
魂を抜かれる……!
そう父はしきりに呟いたのち、原因不明の病で息を引き取りました。
そしてそれから8年後。
今度は兄が先ほどお話しした通り、海外で死んだのです。
女が! 女が近づいてくるんだ! 助けて……!
そう兄は半狂乱になって、走ってきた車に轢かれたそうです……。
ああ……、今度はわたしの番なんだ。
わたしが父の浮気相手の女の霊に殺されるんだ!」
そう言って再び、隣人は頭を抱えてその場にうずくまるとブルブル震えだしてしまった。
そんな彼の肩を僕は励ますようにトントンと叩いた。
「とりあえず、今日は僕の部屋に泊まって行きなさい。
その方があなたにとってもいいでしょう……」
その僕の提案に隣人の顔は慌てて顔を上げ、僕に向かって拝み始めた。
「うう……、ありがとう、ありがとう。
わたしがどれだけ心細かったか……。
本当に助かります。ありがとう…………」
「いえいえ。
困ったときはお互い様ですよ」
これは本音ではなかった。
僕はそこまでのお人好しではない。
面白い事になってきた。
この男の話が本当なら、その女幽霊が現れるのは今日か、それとも明日だろう。
僕の好奇心を満たすには、もはやその女幽霊をその目で確かめる以外の方法はなかったのだ。
そしてその夜。
僕は読書にふけりながら、女幽霊の出現を今か今かと待ちわびていた。
隣人の男は僕の隣でぐっすりといびきを立てて眠りについている。
否、僕に眠らされているという表現の方が正しいだろう。
日頃、不眠症気味の僕が服用している睡眠薬の効果を再確認することができた。
本当にすごい効き目だ。
と、そんな事を考えていると、後ろで血の底から響くような不気味な声がした。
「……うらめしや。……うらめしや」
必ず来るとはわかっていたが、僕は思わずぎょっとした。
慌てて振り向くと、そこにはボロボロの服を着た血色の悪い女が浮かんでいた。
背筋に冷たいものが走る。
「……来たか。
この隣人の話は本当だったのだな。
まさか本物の幽霊にお目にかかれるとは……」
僕がそうぶつぶつと言っていると、それはまたも近づいてきた。
「うらめしや……。うらめしや……。
私を裏切ったあの男がうらめしい……。
あの男の一族は必ず呪い殺してやる……」
こうなったら、その呪い殺す瞬間をも見てみたい、と僕は思った。
そばにぐっすりと眠りこけている男の体を指差すと、女幽霊に向かって話しかける。
「……貴方の探していた男の一族はこの男でございます。
どうぞ、その恨み。今こそ存分に晴らして下さい」
「違う……。
この男はあの男の一族ではない……。
あの男の一族はお前だ……」
その次の瞬間、なんともいえない嫌な気分が僕を襲った。
「……まさか、お袋のやつ。
僕や親父に隠れて浮気してやがったのか?」
そして気がついてみると、眠りこけている隣人と、床に倒れている自分の死体をはるか上から、僕は女幽霊と共に見下ろしていた。
呪い アール @m0120
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