朝のご挨拶
火曜日の朝。葵は学園に行く前に最低限の身だしなみを整えようと、鏡をチェックする。
鏡に映るのはいつもと変わらない葵の顔。しかし、その顔はいつもの何倍もの憂鬱さで埋め尽くされていた。
葵が考えていたのは、愛莉との関係のことだ。
今日学園に行った際の、みんなの反応を考えただけで胃が痛くなる。
葵の気持ちが、今日学園ずる休みしちゃおうかという考えに傾きかけた瞬間、まるで葵のことを監視していたのではと疑ってしまうほどの絶妙なタイミングでチャイムが鳴る。
こんな朝早くに葵の家にまでくる知り合いの心当たりは、一人しかいなかった。
「おはようさん。こんな朝からどうしたんだ?愛莉」
あまり待たせるのも悪いと思った葵がドアを開けると、予想通りドアの前には愛莉が立っていた。
愛莉の手には葵の家の鍵が握られていて、あと少し葵が出るのが遅かったら合鍵を使うところだったようだ。
急にドアが開いたからか、愛莉は一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに笑顔に切り替わった。
「おはよう、葵くん。突然で悪いんだけどさ……よかったら今日、一緒に学園まで行かない?」
「え?一緒に学園まで?」
突然の愛莉のお願いに、葵は少したじろぐ。
日南学園に入ってから、葵と愛莉が一緒に登校したことは一度もなかった。
子供のころはよく一緒に登校していたふたりだったが、歳を取り進学するにつれて周囲の視線もあり、一緒に登校するということは無くなっていた。
昨日愛莉と一緒に帰ったあれが、葵と愛莉が初めて一緒に通学路を歩いた日だったのだ。
しかし昨日一緒に帰ったのは、あくまでも葵が生徒会へとスカウトされるという特別があったからこそ成り立ったものだ。こんな何でもない朝に、わざわざ一緒に登校する理由が葵には分らなかった。
「葵くん、もう学園行く準備できてる?」
そう言われた葵は下を向き、自身の服装を確認する。着替えは済ませていたため、葵の服装はワイシャツの上にパーカー。その上にブレザーを着ている状態だった。出かけるときは、忘れないようにカバンは玄関に置く派の葵なので、振り返ればそこには必要なものが入ってるカバンが置いてあった。
ズボンのポケットは少し膨らんでいて、スマホが入っているのが確認できる。
鏡で身だしなみのチェックの途中ではあったが、葵は面倒くさがり屋なので髪をセットしたりすることはない。あくまでも、酷い寝癖がないか確認する程度だ。葵を見た愛莉が何も言ってこないということは、恐らく問題ないのだろう。
「一応出来てはいる。もう行くのか?」
「うん!準備できてるなら行こ」
そう言うと愛莉は先に歩き始めてしまった。葵は慌てて靴を履き、カバンを取る。
一緒に学園まで行こ、という愛莉のお願いだったはずなのだが葵はまだ一緒に行くか、と答えていなかった。
ただ、その強引さが、学園に行くのが憂鬱で仕方がなかった葵にとってはありがたかった。
愛莉の後を追うようにして家を飛び出した葵は、すぐさま愛莉に追いつくことが出来た。
「ところで愛莉。どうして今日は突然一緒に学園行こうなんて言ってきたんだ?今までこんなことなかっただろ」
「あ……ごめんね。昨日家帰ってよ~く考えてみたんだけど……生徒会の仕事の説明、放課後にしてるようじゃ間に合わないかなって思って」
「……え?放課後じゃ間に合わない、そんなに仕事多いのか?」
「かなり?」
愛莉は可愛く首を傾げる。
それに対して葵は渇いた笑いしか出なかった。
「まじか」
「うん、まじだよ。じゃあ早速説明はじめまーす」
愛莉は明るくそう切り出すと、生徒会の仕事について説明を始めた。仕事自体は簡単なものも多いが、どうやら量が多いらしい。
仕事内容は葵の予想していた通り。
文化祭準備の為の書類作成、予算振り分け、さらには場所の振り分け、スケジュール作成などが主だった。ただし、それらの文化祭準備のための仕事と並行して、通常業務もこなさなえればいけないらしい。
通常業務の方は最悪の場合、仕事が多少遅れても問題はないらしいが、文化祭準備の方は締め切り厳守。遅れることは許されないそうだ。
愛莉から説明を受け、わからないところは葵が質問して理解を深めていく。
そうして葵が生徒会の仕事への理解を深め、今すぐにでも生徒会の仕事が出来るくらいの理解量になった頃には学園に着いていた。
学園の生徒も多く、その生徒の多くが葵と愛莉のほうを見ている。口々にやれ付き合ってるだの、やれ羨ましいだの話しているのが聞こえてきて居心地の悪さを感じてしまう。
確かに言えるのは、葵と愛莉の周囲にいる学園生たちがふたりの関係を邪推しているということだった。
その生徒の集団の中から、ひとりの少女が押し出されるようにして葵と愛莉の前に現れた。
「あのぉ……すみません。もしかして、おふたりは付き合っていらっしゃるんですか?」
おどおどとしつつも、目の前の彼女は物事の確信をつくようなことを聞いてくる。
その問いに対して葵が答えるよりも先に、愛莉が一歩前に出る。
「私と長門君の関係ですか?生徒会の仕事を手伝ってもらっているだけですよ。ですので、付き合ってるだとかひそひそと噂話されるのは迷惑なので……やめてくださいね」
愛莉はそう言い放つ。するとその瞬間、ざわざわとうるさかった生徒たちが一気に黙った。
愛莉の隣にいる葵は、心の中で舌を巻く。家で見るゆるゆるな愛莉と先ほどのクールな愛莉。とても同一人物とは思えない。
「付き合ってはませんが、皆さんも知っての通り長門君はとても優秀な人です。私一人だけとなってしまった生徒会の手助けをしてくれます。少なくとも、私ひとりの生徒会で苦労しているときに一切手を貸してくれなかった皆さんよりは信頼しています」
周囲の生徒を黙らせるだけではなく、愛莉はしっかりと釘まで刺す。
愛莉は暗に言っているいるのだ。お前たちが葵くんに対して嫉妬したり、文句を言うのはお門違いだぞ。何もしてこなかったくせに、何か言うなと。
それだけ言って満足したのか、愛莉は葵の方に振り向くと行こと小さく呟く。
葵はその背中が頼もしくもあり、もうちょっと頼って欲しいとも思うのだった。
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