レディーな幼なじみ

夕食を食べ終えた葵と愛莉は、満足げな表情でお腹を押さえていた。


 「愛莉、ごちそうさま。すげーおいしかった」


 「そう言ってもらえるとやっぱりうれしいな~。じゃあ、私お皿洗ってきちゃうね」


 葵の言葉を聞いて嬉しそうに笑った愛莉は、お皿を洗おうと席を立とうとする。


 「あ、ちょっと待て」


 だが、愛莉が動くよりも、葵による制止の声のほうが僅かに早かった。


 「お皿は俺が洗っとくから愛莉はソファーとかでゆっくりしてろ」


 「や、でも……」


 「でももなにもない。今日の俺はすさまじくお皿が洗いたい気分なんだよ」


 葵が少し憎らしい笑顔を浮かべそんなことを言うと、愛莉は呆れた顔で笑っていた。

 ただ、呆れた顔で笑いこそしていたものの、それ以上は自分がお皿を洗うということはなく、ソファーまで移動したかと思うと、なぜか葵の背中を眺めていたのだった。


 「なーんか今日の葵くんはわがままだな~」


 「何をいまさら。俺がわがままなことくらい、十年以上の付き合いがある、幼なじみの愛莉さんなら知っていると思うんですがね」


 「知りませ~ん。ほら、しゃべってる暇があるなら手を動かす!」


 「理不尽だ……話しかけてきたのはそっちだろ?」


 「それも知りませ~ん」


 愛莉との会話を楽しみつつも、葵はしっかりと手を動かす。


 まず真っ先にやるのは水切りラックで乾かしていたお皿を棚にしまうことだ。

 この水切りラックというものはなかなかに優れもので、一人暮らしの葵は重宝している。洗い物を済ませた後のお皿を水切りラックに置いておくことによって、お皿に残っている水滴が下にポタポタと垂れていき、置いておけば勝手に乾いているというわけだ。

 一人暮らしだと、洗い物をした後の濡れたお皿を布巾で一回拭いて棚に戻すというのは重労働が過ぎるのである。

 っといっても、この水切りラックは葵が買ったわけではなく、愛莉が買ってきたもののわけだが。


 一人淡々とお皿をスポンジで洗っていく。洗剤の泡でまみれのお皿を水で洗い流し、綺麗にしていく。

 家事面は基本的に愛莉に頼りっぱなしの葵だが、仮にも一人暮らしをしている身である。お皿を洗うことくらいはちょくちょくあるので、慣れたものだ。


 十分足らずで洗い物を終えた葵は少しゆっくりしようと、ソファーへ向かう。

 特にやることもなかったため、ソファーでゆっくりしつつ愛莉と会話でもしながら、テレビを見ようかと思っていた葵だったが、ソファーに座っている愛莉を見て考えを改める。


 何故かというと愛莉は、ソファーで気持ちよさそうに眠っているのである。

 洗い物を始めた時は愛莉のほうからしゃべりかけてきていたのに、洗い物が終盤に差し掛かる辺りで会話がなくなったためもしかしたらと思っていたのだが、寝てしまったからだろう。

 起こさないようにゆっくりと、葵はソファーに腰掛ける。


 まるで葵の存在を感じたと言わんばかりに、葵が座った少し後、愛莉の頭が葵の肩にもたれかかる。


 その瞬間、愛莉からふわぁっと甘い匂いが香ってくる。

 女の子特有の甘い匂い。

 それは髪から香るシャンプーの匂いだろうか。それともボディークリーム、または愛莉本来の香りかもしれない。以前に、愛莉が香水とかはあまり使わないと言っていたので、恐らく香水などで匂いをつけているわけではないのだろう。

 甘いミルクのような、ふんわりとした優しさがある。

 いつからだっただろうか。愛莉の体からこんな女の子の匂いがするようになったのは。ただ確かなのは、葵はこの香りが大好きだった。

 どこか安心するのだ。


 「あー、動けん……」


 ただ、肩にもたれかかれたのは想定外だった。

 愛莉が寝ているため起こしてしまう可能性があるテレビはつけたくないし、せっかくもたれかかってきてくれたのだから、どかすようなこともしたくない。


 葵はただ何をするわけでもなく、ぼーっと時間を過ごす。

 先ほど昼寝をしていなかったら葵も愛莉と一緒に寝ていたかもしれないが、昼寝をしていたため眠くなかったのだ。

 ただそれでもゆったりとした雰囲気と、暖房の暖かさでついうとうとしてしまう。


 葵は落ちる寸前、ズボンのポケットに入れていたスマホのバイブレーション機能で意識を引き戻された。

 着信者の名前は渋谷蓮しぶやれん。葵と同じクラスの、クラスメイトだった。

 だが、そんなことよりも葵はスマホに表示されている時間に目が奪われた。ゆっくりし過ぎていたのか、すでに二十二時を回っていた。


 「おい、愛莉。もう二十二時だ。起きろ」


 葵は愛莉を起こすために、愛莉の頭をぺちぺちたたく。


 「むぅぅ……なぁにぃ?」


 寝起きの悪い葵と違い、愛莉の寝起きは良い。ソファーという苦しい姿勢での睡眠だったため、睡眠が浅かったのだろう。愛莉はあくびを漏らしつつもすぐに目を覚ます。

 それでも、葵の肩にもたれかかったままではあったが。


 「愛莉、もう二十二時だ。どうする?泊ってくか?」


 葵は寝起きで未だ頭が働いていないだろう愛莉に、自身のスマホを渡し時間を確認させる。

 最初に葵の口から二十二時と聞いた時はぽかんとした表情を浮かべていた愛莉だったが、スマホに表示されている時間を見てしっかりと理解したのだろう。少し慌てていた。


 「わわ!もうこんな時間なんだ……。ん~、帰ろっかな」


 「別に遠慮しなくてもいいぞ。今更愛莉を泊めるくらい、俺にとって迷惑にもならん」


 今までも何度か愛莉が葵の家に泊まったことはあった。

 そのため、葵の家には愛莉がいつでも泊まれるように、最低限とは言えある程度の準備は整っているのだ。


 来客用の布団や、歯ブラシなどの日用品、念のために下着や替えの服なんかもある。もちろん、それらを買ったのは愛莉であって、葵が一人で女性用の下着を買いに行ったなんてことはないが。

 以前、クラスメイトが葵の家に来た時に、愛莉の服を見られ散々からかわれたという苦い思い出もあるが。


 何はともあれ、葵の家には愛莉がいつでも泊まれる準備が整っているのだ。それに愛莉が葵の家に泊まってくれるというのならば、葵の翌日の朝食がいつもより豪華になる。

 だから葵は愛莉に気にするなと言ったのだが、愛莉はゆっくりとかぶりを振る。


 「ううん。葵くんに遠慮してるわけじゃないの。むしろ……今からわがまま言っちゃう」


 「ん、言ってみ」


 「あのね、最近生徒会での仕事が忙しくて帰るのも遅いし、お母さんとお父さんに疲れた顔しか見せてなかったの。だから、今日は帰って安心させたいかな」


 「確かにおばさんも心配してたしな」


 「だから今日は帰る。でももうこんな時間だし、私は、ほら、ね。学園でもモテちゃうような可愛いレディーじゃないですか。だから、ね」


 「分かったよ……可愛いレディー。よろしければ私がお家までご一緒させていただきます」


 葵はそう言うと、ソファーから立ち上がり、愛莉の前まで移動する。そして片膝を床につけて、愛莉に片手を差し出す。


 「はい。私をちゃんと、送り届けてくださいね」


 愛莉はそう言うと、葵の差し出した手を取って、楽しそうに笑っていた。

 自分のことはよくわからないが、きっと笑っていたのだろうと思う。

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