ふたりの食卓
葵が寝ぼけて愛莉の胸に顔をうずめてから十分ほど経った頃だろうか。体制が悪かったのか、葵は呻きつつも目を覚ます。
目を覚ました時に真っ先に目に入ってきたのは、愛莉が制服の上に着ているカーディガンだった。十一月になってから急激に冷えてきたので、愛莉もカーディガンを着用し始めたのだろう。
そして状況を把握するために顔を上げた時に葵の目に飛び込んできたのは、愛莉の優しい笑みだった。
普段は愛莉に対して甘えることがない葵が、寝ぼけていたとはいえ胸に顔をうずめふにゃふにゃと緩んだ寝顔を見せていたからだろう。愛莉は葵のそんな様子に母性本能をくすぐられたといわんばかりの笑顔と、葵の頭を撫でるのをやめようとしない。
いくら幼なじみとは言え葵は男で愛莉は女なのだ。
葵とて愛莉のことは兄弟のように思っており、今更異性として意識するようなことはない。今だって愛莉の胸に顔をうずめていたことを恥ずかしいとは思うものの、性的興奮を覚えて押し倒したいと思うようなことはない。
ただ、葵だって男だ。そんな反応をされると自身に男としての魅力が一切ないといわれているようで、何気に傷つくのだ。
だからだろう。寝起き一番で葵の口から出た言葉は、葵自身が思っていたよりも鋭いものだった。
「……おはよ。おい愛莉、このことは忘れろ」
葵にしては珍しい命令口調。
だが、愛莉の反応はそっけない。
「ん、いいよ。で、オムライスの卵は半熟でいいんだよね?」
「あ、ああ。って、はぁ……もういいや」
葵だってわかってはいたのだ。葵と愛莉は幼なじみ。今回のようなことは今までにも何回もあったことを。
何度経験しても葵からしたら恥ずかしいことこの上ないが、愛莉からしたらどうせ今日は可愛い葵くんが見れた程度だろう。
諦めた葵は、少し不貞腐れつつもオムライスの卵を焼くためにキッチンに戻った愛莉を恨みがましい目で見て、ソファーに体重を預ける。
チキンライスやスープなどが出来ているのか、すでにいい匂いが香っていた。
ソファーに座り続けており、無理な姿勢で寝ていたからか葵は体の節々が痛みを訴えているのを感じていた。
もう若くないな、なんてふざけたことを考えつつも、葵はソファーから立ち上がる。
「愛莉、座るのも疲れてきたからやることあるなら手伝うぞ」
「ん~?別にいいよ」
「や、暇だからなんかやりたい」
「そっか。じゃあ、お皿出しといて」
食器棚の前まで行った葵は、食器棚を物色するとオムライスを載せるのにちょうどよいサイズのお皿を見つける。それを二つ持って、布巾で綺麗にしておいた机に置いておく。
そんな葵を見ていた愛莉が急に笑い始める。
「なんか今日の葵くん、甘えん坊さん?」
「はぁ?」
「だって、さっきは私に抱き着いてきたし、それになんか優しいし」
「んなわけあるか。名誉棄損甚だしいわ」
葵はそう言うと自分のやることは終わったと言わんばかりに、ソファーまで戻る。
そんな葵の後姿を見た愛莉はごめんごめんと、全く悪いと思ってないような声で言う。
「でも、手伝ってくれてありがとね」
ぞわっとした葵はソファーから飛び跳ねる。
そんな葵の後ろでは、いたずらに成功した子供のように楽しそうに笑っている愛莉の姿があった。
葵は慌てて自身の耳を手で隠す。
先ほどの言葉は、音もなくソファーに座っている葵の後ろまで忍び寄った愛莉が、葵の耳元に口を近づけ言ったのである。
「愛莉……ああいうの驚くからやめろよ」
「あはは!葵くん、びくぅ!ってしてたよ!」
仕返しにデコピンでもしようとした葵だったが、その動きを察知した愛莉によって躱されてしまう。
悔しそうに顔をしかめる葵を見てひとしきり笑ったのか、愛莉は満足そうな表情を浮かべていた。
「あ、葵くん。ご飯できたよ。ほら、一緒に食べよ?」
「美味しいご飯に罪はないか」
愛莉に急かされた葵はテーブルまで行き、椅子に座る。
美味しそうな料理が並べられている、少し小さめのテーブル。元々これは、葵の家になかったものだ。愛莉が葵の家に来てご飯を作ってくれるようになってから買ったもののため、席は対面の二つしかない。
そのため、葵からは愛莉の笑顔がよく見える。
「「いただきます」」
ふたり一緒にいただきますというと、葵は真っ先にオムライスにスプーンを伸ばした。
オムライスの卵の上にはケチャップでハートが描かれていたが、葵は気にすることなくスプーンで一口分をすくうと、口に運ぶ。
「ん!うまい!」
オムライスを一口食べた葵は、思わず笑顔でそう言ってしまう。
それを聞いた愛莉は嬉しそうに笑っていた。
オムライスは口に入れた瞬間、チキンライスが味蕾を刺激する。チキンライスの味は上にケチャップをかけることを想定していたからか、少し薄めだ。しかし、上にかけられているケチャップと、ふわふわと半熟気味の卵と一緒に食べることでよくあっている。
今までは毎日のように食べていた愛莉のごはんだったが、最近はあまり食べれていなかったからか、それだけで少し嬉しくなる。
「えへへ~。やっぱりそんな美味しそうに食べてもらえると作る側としてもうれしいよ~」
愛莉はそう言って笑いながら自分で作ったオムライスを食べて、おいしと小さく呟いていた。
「うん、しばらく愛莉のご飯食べてなかったけど、やっぱり美味しい」
「そっかぁ……じゃあこれからもちゃんと作ってあげるからね?」
「ああ、頼む。ただまあ、料理の手伝いは出来ないかもしれないけど、買い物するときの荷物持ちぐらいはできるからいつでも呼んでくれ」
葵がそう言うと愛莉は一瞬、ぽかんとした表情を浮かべる。
ただそれも一瞬のことで――
「分かった!じゃあこれからはもっと葵くんに頼らせてもらうね!」
そう言って朗らかに笑うのだった。
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