転生リンゴは破滅のフラグを退ける

古森真朝

プロローグ

 道に迷ったらしい。

 リュカがそう気付いたのは、戻ったつもりの道の先が途切れて消えているのを見たときだった。

 見上げた空はまだ、かろうじて明るい。狼がねぐらから出てくる夜までに、森を抜ければ大丈夫だ。……ああ、でも、折に触れて祖母が言っていなかったろうか?

 『山の日はすぐに落ちる。見えない標を探し出せるのは獣くらいなものさ。よくよく用心して、決して道を外れるんじゃないよ』

 でも、もう外れてしまったのだ。しかもまだ、探しに来たものだって見つけていない。やっぱりおとなしく、大人が持ってきてくれるのを待っていれば良かったんだろうか……

 「――あれ?」

 いきなり知らない声がして飛び上がった。恐る恐る振り向くと、

 「どうしたの、こんなとこで。森のそばにある村から来たの?」

 (わあ……)

 思わずぽかん、と口があいた。

 こちらに軽く屈んで話しかけているのは、若い女の人だ。日除けなのかフードのついたマントを着ていて、片手に薬草摘みに使うようなかごを下げていた。

 いや、それより何より、目を奪われたのはその容姿だ。長い黒髪はさらさらで、徐々に弱まっていく太陽の光を艶やかに弾いている。大きな瞳は、よく熟れたリンゴみたいに鮮やかな朱橙。――こんなにきれいな人は見たことがない。

 「村の子がこんな奥まで入って来るなんてめずらしいなぁ。どうかしたの?」

 いたってのんびりとした調子で言う相手。その表情があんまり穏やかで優しかったので、さっきまでの心細さも相まって泣きそうになる。何とかこらえて、質問に答えることができた。

 「い、妹が、ぐあい悪くて。げどくの薬草がたりなくて、とりにきた、けど」

 「道に迷っちゃった?」

 「……う゛」

 「わっごめん、泣かないで! 大丈夫だから、ねっ」

 ばっちり図星を指されて、情けなくてまた涙ぐんでしまう。必死でしゃくりあげるのを我慢していると、きれいな女の人はよしよしと頭をなでてくれた。

 ふんわりと甘い、いい香りがする。温かい手のひらの感触に気持ちが落ち着いたところで、相手はもう一度にっこり笑って口を開く。

 「そっか、えらいね。でもそろそろ帰らないと危ないよ。

 というわけで、良い子にはお姉さんからプレゼント!」

 「へ、――うわあ!」

 抱えたカゴからばさっ、と取り出したのは、薄紫の花をたくさんつけた草の束だった。間違いない、朝からずっと探していた薬草だ。

 ……でもこれ、確かものすごくめずらしいはずだ。その少なさのせいでとても高価で、街で買うと金貨2,30枚はする。だからリュカも森まで取りに来たのだ。

 「遠慮しないで、これうちで育てたやつなの。いっぱいあるから必要な人に使ってもらえると嬉しいな」

 「で、でも……」

 「いいからいいから! それじゃ送ってあげるね、ちょっと目つぶってて」

 「え、うん、ありがと……??」

 「よしよし、いい子。――お願いしまーす!」


 ごおっ!!


 明るい呼びかけが響いた直後、ものすごい風が吹き荒れた。音のすさまじさに驚いて、でも絶対落とさないように薬草を握りしめる。収まってから、おそるおそる目を開けて――

 「あ、あれっ? 村……!?」

 とっぷり暮れた空の下、佇んでいるのは間違いなくリュカの住むアンノスの村だ。中心にある広場の向こう、家の戸口で心配そうにあたりを見渡している母親が目に入った瞬間、弾かれたみたいに走り出した。

 「かあさーん!!」

 「リュカ! こんな遅くまでどこに行ってたの、心配したのよ!!」

 抱きとめた母親の腕がとても温かくて、思っていた以上に身体が冷えていたのを今さら自覚した。あの女の人に出会わなかったら、きっと凍えて動けなくなっていただろう。

 やはり戸口から現れた祖母が、持って帰った薬草を見て目を丸くする。疲れてはいるが、ケガはほぼない孫の姿に安堵した様子で口を開いた。

 「ほら、もう家にお入り。火にあたって温まりなさい。……神様が助けてくだすったんだねぇ」

 「かみさま?」

 「この草はね、森のうんと奥――エルフ族の郷に近い、神聖な場所でないと育たないんだよ。普通の人間じゃあまずたどり着けっこない。

 うちの坊やは妹想いの優しい子だから、森の女神様が情けをかけて下さったのさ」

 祖母の穏やかな語りが、少しずつ頭の中に沁み込んでくる。

 人には採ることができない、貴重な薬草。それを何の見返りもなく山ほど手渡し、村まで送り届けてくれさえした。見たこともないほどきれいで、不思議な女のひと――

 もはやへとへとだったリュカの頬に、興奮でぱっと赤みがさした。まるで、よく熟れたリンゴみたいに。

 「うん、おれ女神さまにあった! 女神さまが助けてくれたんだ……!」

 ――二つの国にまたがる大森林、ファンドルン。

 ここには古より、子供を守護する心優しく麗しい女神が住まうとされている。




 ――そんな感動の帰還を、遠くで見守る影が三つ。二つは人の姿で、一つは小さくてふわふわしている。そして人型の片方は、思いっきり頭を抱えて身もだえしていた。

 「うわあああ、なんかすごいことになってるうううう」

 「あら、いいじゃない。大体あってるんだし」

 「そりゃイズーナさんはいいですよ、ホントに神様だし掛け値なしの超絶美少女だし!

 私はしがない元人間で半精霊ですっ」

 「えー、ティナだって可愛いわよー? なんせワタシが転生させたんだもの。ね~」

 『ぴっ!』

 自分以外の全員に太鼓判を押されてしまい、その当人――先程村の子を手助けしたところの『女神』改めティナは、深々と特大のため息をついたのだった。



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