告白

FK

告白


 病院から出てきた彼女の足取りは重そうだった。

 車に乗せてただ走らせた。行くあてはなかった。


 車内は静寂に包まれていた。僕には責任があった。何かを話さなければならなかった。


「僕の父親が死んだのは、7歳の頃だった。トラクターの横転事故で死んだ。首の骨を折って即死だったそうだ」


 助手席の彼女は聞いているのだろうか。聞いていなくてもいい。僕は続けることにした。


「その日は4月9日だった。死と苦が同時にやってきて、僕には忘れられない日になった」


 彼女の息づかいは涙まじりに聞こえた。


「信じられなかったよ、何かのドッキリに巻き込まれているんだと思っていた。でも父親が火葬される時間がきて、それが後戻りのできない現実だと理解できた」


 その時、僕は人生で初めて自分の意思を越えて涙が溢れてきた。僕は僕を慰めるために泣いた。


「僕の中で死は身近なものになった。ある海外作家が小説のなかで言っていた。父親は神だ、と」


 神を失った僕は、祝福を信じなくなった。


「それから小説をよく読むようになった。小説の中で死は舞台装置だった。輝く死もあれば、無残な死もあった。カタルシスもあれば、慟哭もあった。でも全てに共通していたのは誰かの死だった」


 公園の駐車場に僕は車を止めた。もうすぐ夕方になる。

 彼女はもう泣いていないようだった。それは少なからず救いになった。


「大学生の頃、僕は僕の物語が欲しくて小説を書いた」


 そう、初めて知った、と彼女が呟いた。当然、誰にも語ったことはなかった。


「誰のためでもなく、自分のために書いた。何者でもない自分が、何者かになれる気がしたんだ」


 完成した小説をある公募に送った。誰かに読んでほしかった。僕はここにいる、という存在証明を得たかった。


「処女作だったが、幸いなことに三次まで通った」


 つまり最終まで残れなかった。捻くれたアイデアとキャラクターの勢いだけで走り抜けた。結果は妥当だった。


「僕は最終まで残れなかったけど、見事に受賞して出版された作品を買って読んでみたよ」


 他の人の作品を批評する資格は僕にはない。ただ残念なのはそれが、誰かの死だったこと。


「僕は、物語には三つの要素が不可欠だと思っているんだ。泣き、笑い、驚き、この三つだ」


 それを体現した作家がいる。現在も国民的ベストセラーを発表し続けている。


「その後、もう一作書いた。それが二次止まりに終わって、僕は書くことをやめた」


 どうしてやめたの? と彼女は問うた。


「単純に才能がなかったからね」


 理解してはいた。逃避は終わりにすべきだった。


「それに僕が書かなければいけない理由もなかった。僕の物語は、誰かに託すことにした」


 逃避した後にさらに逃避しなければならなかった。その結果、僕のキャラクターたちは全員、死んでしまった。


「読ませてもらえない? 小説」


 僕は彼女を見つめたが、彼女は僕を見なかった。


「ああ、いつかね」


 あの日、僕は傘を貸すべきではなかったのだろうか。傘を持っていない彼女に、僕は手を貸すべきではなかったのだろうか。


 結果、僕は傘を貸して彼女は傘に入った。そして僕らは命を奪い、罪人になった。父親にならず、母親にならず、罪を共有し、未来を奪った。


 うん、と彼女は言った。泣きながら何度も言った。


 僕はただ黙ってその涙を忘れないように、耳に焼き付けた。


 今日は4月9日、僕らにとって決して忘れられない日になった。

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告白 FK @FK1109

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