第06話 解放

 痛い。

 ユーミアが目覚めて、最初に感じたのがそれだった。猿轡と手枷と足枷、そして重りを付けられ、体をロープで巻き付けられていた。背中の翼がおかしな方向に抑えつけられているせいか、異様に痛かった。



(これは……)



 口内の違和感に気が付いて、すぐに悟った。意識の無い内に無理やり水を飲まされ、何かを食べさせられたのだ。死なないようにするために。



「――っ!」



 大きく揺れ、体が打ち付けられた。

 それからも揺れは不規則に続いた。恐らく、車輪の付いた何かに乗せられて移動させられているのだろう。運転が荒いせいなのか、地面の凹凸が激しいせいなのかは分からないが、随分と揺れが酷い。

 身動きは取れなかったが、微かに差し込んでいた月明かりで今が夜だということが辛うじて分かる。

 一体、自分が気を失ってからどれだけの時間が経過したのだろうか。

 そんなことを考えながら、ユーミアは揺れに耐えていた。ユーミアには、ここから逃げ出せるかもしれない手段が一つだけあった。だが、それを今するべきではない。

 どうせ死ぬのなら、出来る限り――。



「こいつ、意識戻ってるみたいです」



 突然明かりが差し込んだと思ったら、そんな声が聞こえてきた。急な明暗の変化に一瞬目を細めた。少しの時間を要してからようやく、それが自分を捕縛する時にいた人間だということが分かった。

 ユーミアが虚ろな瞳をしていたせいか、体中を行動不可能なほどに拘束されているかは分からないが、さして警戒はされなかった。

 こちらを覗き込んできたのとは別の人間が喋る。



「それは丁度いい。……いや、その魔族からしたら最悪のタイミングと言うべきか」


「そいつはどうだろうな。どの道こいつの運命は変わらないし、城に入ったら強制的に叩き起こされる。案外、不幸中の幸いなのかもしれない」



 そんな言葉を最後にユーミアが隠されていた荷台に乗せられている鉄の棺桶のような箱の蓋は閉じられた。

 再び辺りの音が遠くなった。

 それから少しして揺れは小さくなり、ギィィィィという扉が開かれる音が聞こえてきた。音からして、それはとても大きな扉だ。そして、更に揺れは小さくなった。

 きっと、人工的に整備された平らな道でも走っているのだろう。

 少しして、もう一度扉が開かれる音がした。心なしか、先程のものよりも小さいように感じた。

 そして――。



「――っ!」



 ユーミアの体は冷たい石畳へと叩きつけられた。

 その状態のまま、右と左を繋いでいた足枷の鎖が外された。両足に一つずつついている重りの鉄球はそのままだ。



「立てっ!」



 ユーミアは二人の人間に半ば強引に立たされた。

 右と左に人間が一人ずつ付き、強制的に道を歩かされる。



「さっさと歩けっ!」



 そんな言葉と共に、背中を思い切り叩かれる。前のめりに倒れそうになったユーミアだったが、ギリギリのところで踏みとどまった。

 それからユーミアは、厳かな扉をくぐった。





 酷い騒めきだった。左右には人間が立ち並び、前方へと大きな道を作っていた。左右と言っても、そこまでの距離はかなり遠い。そして、その大きな道の先にいるのが何者なのかは、見るだけで分かった。



(まさか、人間の王の顔を見る日が来るなんて……)



 ユーミアはそんな状況に、内心でニヤリと笑った。どうせなら出来る限り多くの人間を巻き込みたい。そう思っていたユーミアにとって、これは最高ともいえる状況だった。

 ユーミアのそんな思いなど、人間の誰も想像できなかった。片翼を切り落とされ、両手両足を拘束され、見るだけで満身創痍だと分かるほど疲弊している魔族に残された手段など存在しないと思い込んでいた。



「名も知らぬ魔族よ。全てを吐いてもらおうか」



 ルノウの声と共に、コツコツという足音が近づいてくる。そして、やがて止まった。きっと、これ以上近づいては来ないだろう。



 今がその時。

 最高な状況。

 そして、これが最後――。



 ユーミアの表情には、何故か笑みが浮かんでいた。 



「……何がおかしい? 気でも狂ったか?」


「今まで私は何一つ守れなかった。私の主はいつだって優しい人だった。自分の命を犠牲にしてでも、部下を守ろうとする程に」



 ミィナの両親はその命を賭して、セントライル家の家族を守った。

 そしてミィナは、絶望的な状況であっても絶対にユーミアを置いて逃げるような選択をしなかった。



「それは随分と無能な奴だな。部下は自分を守るために使うものだ。自分の存在価値も理解できない奴ほど、上の立場にいることに向いていない」


「そうかもしれませんね。ですが、そんな人だから私はここまで付いて来れた。守ろうと思えた。主のためなら、全てを捨てても笑っていられるほどに」



 ユーミアは自分の唇に思い切り歯を立てた。

 自傷した唇から血が流れ落ち、顎の先端でその雫は今にも零れそうになっていた。



「それは素晴らしい心意気だ。だが、残念なことに今からその主の情報を全て人間に差し出すことになる。全て話すまでは死にたいと思っても死ねない。そんな地獄が今から君には課される」


「私が地獄を味わって主が助かるのならそれで構いません。私の主は立派な大人です。わざわざ道標みちしるべを立てなくても、踏み外さないように見守らなくても、自分の道を自分で作って自分の足で歩いて行ける。だから私は、例え自分がここで死ぬべきだとしても――」



 ユーミアの顎から一滴の血が滴り落ちる。それが地面に辿り着くのとほぼ同時に、ミラが呪術を使って施した背中の文様が不気味に光ってその発動を知らせた。背中から溢れ出した赤黒い霧が絡みつくようにユーミアの全身を包み込む。

 ユーミアは膂力だけで拘束を破り、残った片翼を威嚇するように大きく広げた。その両手の爪は敵を切り裂くために伸び、不気味に輝く。



「躊躇いなんてありません!」

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