第06話 正義

 蝋燭の明かりを頼りに、机上の書類に目を通していたビトレイはぎょっとした。自分一人しかいない部屋で作業をしていたはずなのに、突然肩に手を置かれたからだ。



「初めまして、ビトレイさん」



 その声で、ビトレイはそれが誰なのかを察した。

 ビトレイは簡単に来れるはずのないその場所に突然現れたネロに対する恐怖を抑えつつ、どうにか返答する。その声は若干ではあるが、上ずっていた。



「初めまして。よくここが分かりましたね、ネロさん」


「ビトレイさんの仲間から情報を引き出しただけのことです」



 それを聞いて、ビトレイの全身に緊張が走った。どこまで知られているのか。いや、なぜ自分の元へ来たのか。ベウロが失敗したことは予想できても、そこから情報を引き出した方法が分からない。この場所をベウロには伝えていないのだから、情報が漏れるはずがないのだ。なにより、周囲にいるはずの護衛が動かないことも不気味だった。

 自分の置かれた状況を把握しきれないビトレイに、ソラは言葉を続ける。



「俺の本当の名前はソラ。兄であるルノウ大臣から話を聞いているあなたなら、これだけで分かるんじゃないですか?」



 それは三年前に聞いた名前であり、ルノウから再三にわたって危険だと忠告されてきた人物だった。そして、ソラが『属性(黒)』というスキルを使ってスキルを消せることも、記憶を覗けるかもしれないことも聞いていた。



「随分と用心深いんですね。おかげで十人以上の見たくもない記憶を見る羽目になった」



 その声には不気味なほどに感情が籠っていなかった。

 ビトレイの体は小刻みに震え、動かなかった。体を机に向けたまま、ソラへと声を振り絞って問いかける。



「……ここに来る道中、記憶を覗いた人間はどうしたのですか?」


「……」



 ソラは何も答えなかったが、ビトレイはそれだけで察することが出来た。



「……私をどうするつもりですか?」


「殺します。ビトレイさんの記憶からギルド内の仲間はおおよそ把握できた。ビトレイさん達の記憶を辿っていけば末端の仲間まで辿り着ける」



 ソラは躊躇うことなくそう言い放った。

 ビトレイはソラが記憶を覗けるという事実から、素直に疑問を抱いた。なぜ理解してくれないのだろうと。



「僕の……いや、僕と兄の過去を知っても、あなたはその選択をするのですか?」


「……俺は今まで少なくない人間の記憶を覗いてきた。一人の人間が持つ意思は、その人が辿ってきた過去で決まる。でも、同じ環境に置かれても全員が同じ意思を持つわけじゃない。人は元から根本的なナニカを持ってる。俺は他人の記憶を覗く中でそれを知った」



 ソラが記憶を覗く中で気が付いたそれは、ミラの言う魂に値するものだった。



「だから俺には分かる。俺とあなたたち兄弟は絶対に分かり合えない」



 ビトレイは絶対に分かり合えないという事実が、自分が兄と共に歩いてきた道が否定されているようで納得できなかった。ビトレイの感情は自然と昂ぶる。



「ふざけるな! 僕と兄さんは人間のために動いてきたんだ、これが間違っている訳ないだろ! なんで僕の記憶を見た上でそれが分からない!」


「あなたの言う人間は全ての人間じゃない。少なくとも俺は入ってなかった」


「それは危険物を事前に排除しただけだ! 僕だって今までそうしてきたし、そうしなければもっと大きな被害が出る! 僕の記憶を覗いた君なら分かるはずだ! それを防ぐための犠牲の、どこが間違っているんだ⁉」



 ルノウとビトレイは、多くの人間を守るために行動してきた。二人にとって危険要素の除外は仕方ない事だった。そうしなければ、より多くの人が被害を受けるのだから。

 しかし、ソラにはそれが理解できなかった。危険要素を否応なしに排除しようとする、その考えが。



「だから俺はどこにも属さなかった。集団にとって必要な犠牲は正義で片付けられる。そんなことで仲間が失われることに俺は耐えられない。何より、今俺がやっているのはあなたたちと同じことでしかない」


「同……じ……?」


「あなたたちにとって、多くを守るために必要最小限の犠牲で済ますことは正義だ。でも、俺にとって守るべきは集団じゃなく自分の仲間だ。そのためにあなたたちを犠牲にする」



 多数のために少数を犠牲にするか、少数のために多数を犠牲にするか。どちらも自分にとっての正義であり、互いにとっての不義である。



「そんなこと、まかり通るわけが――」



 まかり通るはずがない。それもそのはず、助ける人数の差でのせいもあってソラのそれを正義と捉える人間などほとんどいないのだから。

 それでもソラは――。



「通らないかもしれない。誰も許さないかもしれない。でも、俺はその選択肢しか選べない。だから出来る限りの力を以ってその選択を通す。幸いなことに、俺には”デスペラード”程度が相手なら自分の意思を突き通せるだけの力がある」



 何を言っても変わらない。そう理解したビトレイは、懐に忍ばせていたナイフを手にとった。それを鞘から抜くと、振り向きながらソラの方へと振り払う。ビトレイの視界に入ったソラは、冷めきった視線でビトレイを見下していた。

 そんな景色を最後に、ビトレイの意識はその体と共に消滅した。

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