第16話 絶望

 ソラの目の前に飛び込んできたのは胸に刃を突き立てられた母親の姿だった。背中から腹部に掛けて貫通している三本の鉤爪には血がべっとりと付いている。そんな状態でソラに気が付いた母親は、途切れ途切れではあったが、しっかりと告げた。



「逃……げて……」



 それだけ言うと、まるで張りつめていた糸が切れたように膝から崩れ落ちた。それと同時に体から鉤爪は引き抜かれる。



「母さんっ!」



 ソラはスキルを使って一瞬で母親の元へと移動する。その時のソラの瞳には、先程まで母親に鉤爪を突き付けていた人間など映っていなかった。ただただ頭の中が真っ白になり、何も考えずに母親の元へと移動した。



「っ!」



 それに反応して、バジルはその場から飛びのく。瞬間的に長距離を移動するスキルで有名なのは『縮地』だが、今ソラが使ったそれは明らかにそんな次元ではなかった。予備動作など無く、数メートルを一瞬で移動していた。



(やはり移動系のスキルか……)



 バジルはソラのスキルを見てそう思うと同時に警戒心をより強めた。だが、そこにあったのは母親を腕に涙を流す、とても警戒が必要とは思えないまだあどけなさの残る少年の姿だった。



「母さんっ、母さんっ!」



 そう言いながら体を揺らしても、腕の中の母親はピクリとも動かない。やがて、ソラの腕に生暖かい母親の血液が流れ始める。次第にソラの母親を揺らす力は弱まり、止まった。息のない母親を見て理解した。もう既に命が燃え尽きていることを。

 ソラは瞳から零れ続ける涙を拭うこともせずに、今にも消えてしまいそうな声で一人呟いた。



「なんで……」



 そんな表情を見てバジルは頬を緩めた。その表情はバジルにとって一つの好物。絶望した表情。苦悶の表情。悲痛の表情。そう言ったものを見るのがバジル、そして彼に付き従うものは好きだった。

 やがて、周りからもニタニタとした表情をした人間が現れ始める。もう既に、この村で生き残っているのはソラしかいなかった。



「そりゃあ、お前がここに居るからだろう?」


「僕……が……?」



 ソラは混乱する。自分のせいで村の人間が、大事な家族が殺された。その意味が理解できなかった。自分と何の関係があるのか、ソラには思い当たる節が全く無かったから。

 そんな様子を面白がるように、バジルは話を続ける。



「そうだ。この村はお前のついでだ」



 そんな言葉を、ソラが理解できようはずもない。何よりバジルの言葉は答えになっていない。



「僕が……一体何をして……」


「さぁな。俺は頼まれたから殺すだけだ」



 その言葉を聞いて、ソラの頭には一人の男の顔が浮かんだ。ソラはふらりと力なく立ち上がり、バジルに向かって歩いて行った。ただ、それを確かめるために。

 この時点で、バジルはこれ以上楽しむことをやめた。彼らにとっては弱者を甚振り、嬲ることは一つの楽しみだった。だから狙うのは大抵弱者。それでも彼らのグループの規模、個人の実力を考えれば大抵の人間、団体は弱者の部類に入る。だが、今のソラからは異様な雰囲気が察せられた。別に殺気を放っているわけでも、刃を向けられているわけでもない。にも拘わらず、バジルは言葉にならない異常な焦燥感に駆られていた。



「止まれ。それ以上来たら殺す」



 バジルが両手に付けている鉤爪を構えると同時に殺気が放たれる。だが、ソラはそれを意にも留めず歩き続けた。その涙を流している瞳に光は全くと言っていいほど灯っておらず、ただただ無気力と言った様子だ。

 そしてソラがバジルが装備している鉤爪の間合いに入った瞬間、バジルは右腕に装備された鉤爪を右から左へと振るった。



”消えろ”



 次の瞬間、バジルの頭はフリーズした。確かに武器を振り切った。だが切り裂いた感触も無ければ、ソラの体にも傷一つ付いていない。そんなバジルの耳に、ボトボトと液体が地面に落ちる音が響く。そうしてようやく気が付いた。右腕の肩口から先が武器と共に無くなっていることに。そこはまるで鋭利な刃物で切り落とされたような切り口で、ただただ血が流れ出ていた。それに気が付いたバジルは、まるで炎で炙られているような熱と、今まで感じた事のない程の痛みに襲われた。



「ぐわあああああああああああああああああああああ」



 バジルが右腕を抑えて苦しむ様子を見て、周りでた者の顔から血の気が引いた。何をされたのか全く理解できなかったのだ。今までも奇怪なスキルを持った人間を狙ったことはあった。だが、彼らの目から見ても分かるほどにソラの使ったスキルは次元が違っていた。

 そんなバジルの額へとソラは手を伸ばした。それに気が付いたバジルは右腕の切断面を抑えていた左手に装備された鉤爪でソラに向かって再び振るった。



”消えろ”



 2度目のためか、バジルが起こった事態を理解するのにさほど時間を要さなかった。両腕を失ったバジルは苦痛の声を挙げながら尻もちをつくように倒れこんだ。それでもなお近づいて来るソラを右足で蹴ろうとした。



”消えろ”



 五体の内3つを失ったバジルは、残る左足で地面を蹴ってさらに後ろへと逃げようとする。



”消えろ”



 その時のバジルは、初めて甚振られ、嬲られる側の気持ちを理解した。目の前にいるのは、母親とバジルの血で体を紅くを染め、どこまでも冷めた瞳を自分へと向けるまだ幼い少年の姿だった。

 恐怖と痛みでどうにかなりそうなバジルはどうにか逃げようともがくが、ソラに胴体を右足で踏まれて動けなくなった。そんなバジルの額にソラは手を伸ばした。



「っ!」



 思わず目を瞑ったバジルだったが、何も起こらなかった、全身を襲う痛みも、熱も、血を失ったことによって感じる寒気も変わらない。変わったのはバジルを踏みつけているソラの表情だけだった。

 その口はまるで自分を嘲笑うように嗤っていて、瞳からは絶えず涙が零れ落ち続けていた。バジルは意識が薄れゆく中で、そんな表情から何故か目を離せなかった。



(僕がここに帰ってきたせいで――)



 帰ってこなければ、ルノウの手が村にまで及ぶ事は無かった。もっと言えば、ソラが王都へ行かなければそもそもこんなことにはならなかった。そして、ルノウとバジルの会話の中の”大義名分”と言う言葉がどうしても頭から離れなかった。



(僕たちが殺されることが大義名分……?)



 それがソラには理解できなかった。自分が、村の人間が死ぬことが大義名分に当てはまる理由が――。



(守るって約束したのに――)



 守ると言いつつ、間接的ではあるがソラが壊してしまった。王都で身に着けた力があれば守れると思った。いや、思い込んでいた。

 バジルのそんな様子もあり、周りで見ていたバジルの仲間さえ黙り込み、静寂が支配していたその場にソラの声がいやに響いた。



「こんなくだらない世界――」



 守りたいものを失ったこんな世界ならいっそのこと――。



「消えてなくなればいいのに」



 思ってしまった。願ってしまった。望んでしまった。

 ソラが無意識のうちに抑えていたスキルが本来の力を解き放ち始める。ソラの感知範囲は物凄い勢いで広がっていき、止まった瞬間にソラはスキルを発動させた。それは今のソラの、文字通り全身全霊のスキル。一瞬にして、ソラを中心とした半径一キロ程の球状の空間が消滅する。

 ソラは掠れ行く意識の中で、体が落下していくのを感じた。足元に地面は無く、ソラの位置から直下約一キロメートルには何の障害物も存在しない。少しずつ速度を上げながら落下していくソラの体だったが、やがて下から吹き上げる不自然な風によってそれを防がれる。



「少年、妾に状況を説明せよ」



 ソラはそんな声を聞いて、力を振り絞ってそちらを向いた。

 そこにいたのは大人びた全裸の女だった。右目は緋色。左目は黄色く、猫のような縦に細長い瞳孔。夜風に吹かれて腰のあたりまであるストレートの黒髪がたなびく。月を背景にしたその姿は神秘的に、しかしどこか不気味にも見えた。

 その女に返事をしようとしたところで、ソラの意識は途切れた。それを見た女はどうしようかと一考して、ソラのスキルの影響外の場所にあるものを見つけた。



「ほお、神獣が人間といるとは珍しいな。何か知っておるとよいのじゃが……」



 そう呟いた女はそのまま空中をソラとともに移動する。ハシクとティアから警戒の眼差しを受けながら、女は誰に聞かせる訳でもなく口を開く。



「さて、ここは妾が生活していた時から何年経っておるのかのう」

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