貫クベキ正義ハ誰ガ為ノ
背伸びした猫
第一篇 ライリス王国
プロローグ
黒髪黒目のどこにでもいそうなパッとしない少年が一人馬車に揺られていた。馬車を操作していた40代半ば程の強面で、だがそれでいてどこか優し気な雰囲気を醸し出している商人の男が少年に声を掛ける。
「ソラ君は王都に何をしに行くんだい?」
「魔物を簡単に倒せるような力を付けにです」
「その歳でかい? 余計なお世話かもしれないけれど、あんまり両親にはつらい思いはさせちゃダメだよ」
「分かってます。でも、そうしたら次は誰かを救えるかもしれないから……」
「正義感の強い子だねぇ。うちの息子にもその言葉、聞かせてやりたいもんだ」
ソラの言葉に答えながら、商人の男は少し涙ぐんでいた。
商人の男に向けて答えた言葉通り、ソラは戦いの技術を身に着けるために村を出て、王都へと向かっていた。それに、ソラが肩から掛けている鞄には、王都の兵士長ルバルド直筆の推薦の手紙が大切に仕舞われている。一介の村人であるソラがそんなものを持っているのには勿論、理由がある――。
~数週間前~
ソラのいた村の近くは元から魔物があまり寄り付かなかったため、魔物への対策はほぼしていなかった。その村が魔物に襲われたらどうなるか。滅ばない道に進む方が困難だろう。そしてその悪夢は突如として起こった。
夕日が沈みかけていた時――。
「ま、魔物だ! 逃げろ!」
その声と共に村は悲鳴や泣き声で埋め尽くされた。それはソラ達も例外ではなかった。
「ソラ、早く逃げるわよ!」
「母さん、でも……でも、父さんがまだっ――」
「いいからっ!」
ソラの母親の目には涙が浮かんでいた。村の女子供を逃がすために、村の大人の男たちは時間稼ぎのために武器とも言えない武器を、普段農具ばかりを持っている手に取ったのだ。まだ15歳のソラにも、その様子から自分の父親が何をしようとしているのかは察していた。だからこそ全力で抵抗した。
だがいくら相手が母親と言えど、15歳のソラの膂力では本気で息子の命を守るために動いている母親に敵うはずもなかった。そのまま魔物が来た方とは逆の方向にただひたすらに逃げた。だが――。
「そんな……」
「なんでこんなことに……」
「もう終わりだ……」
彼らが目にしたのは村の方からやってくる狼の姿をした魔物の群れだった。数は数十匹。もしここが兵士のいる大きめの街や王都ならさほど問題はないのだが、辺境の村に兵士などいるはずもない。いるのは女と子供、老人だけだ。全員が膝をついて諦めていた中、ソラは別れ際に父親が笑顔でかけてくれた言葉思い出す。
”母さんのことは任せたぞ”
ソラは今自分出来る事は無いか考える。だが、こんな状況で得策なんて浮かぶわけがない。そもそもソラに出来ることなんてたかが知れている。
そんなソラに幸運の女神がほほ笑んだのか、ソラ達村人の背後から魔物に向かって数本の矢が放たれる。その矢はソラ達の頭上を通過して魔物の群れへと飛んでいく。それに驚いてその場の全員がそちらを見ると、数名の馬に乗った兵士がこちらへと向かって来ていた。村人たちは安堵の表情を浮かべる間もなくそちらへと一斉に走り出した。
「ソラ、行くわよ!」
「分かってる!」
その時、兵士から声が掛かる。
「こんな障害物のないところで散らばると守り切れません! 出来るだけ一か所に固まってください!」
そう言われて村人たちは一か所に固まった。その周りを数名の兵士で取り囲む。兵士達にとっては大したことないのか、飛び掛かってくる魔物を次々と切り伏せていく。だが辺りも暗く、数で劣っていて、且つ村人を守りながらとなると当然どこかに綻びは生まれる。
「っ!」
ソラの目の前に魔物が飛び掛かってくる。
「隊長っ!」
「くっ――!」
ソラには確実にその牙が近づきつつあった。だが――。
「ソラ!」
ソラに母親が覆いかぶさる。ソラの頭には父親の言葉が再び頭をよぎる。
”母さんを頼んだぞ”
ソラは母親を押しのけようと試みるが、それは無駄に終わる。母親の腕の中でもがきながら、すぐそこまで迫ってきている魔物の姿が目に入る。近づいて初めてその口周りの血に気が付く。
それを見てソラの頭に一瞬、血まみれの母親の姿が浮かんだ。そして、ソラは願った。母親にその牙が届かないことを。誰かが助けてくれることを。だが、そんな願いがかなわないことはソラにも分かっていた。それでもソラは願う。いっそのことこの魔物が――。
”消えればいいのに”
次の瞬間、ソラは何かを感じ取った。それが何かは分からなかった。でも、不思議とそれを使えば母親が助かる。そう思えた。
魔物に向かって、ソラは徐に手を伸ばした。やがてその指に魔物の爪が触れる。次の瞬間、何の前触れもなく、まるでそこには何もなかったかのように魔物は消え去った。
「え……?」
背中に何の衝撃もなかったソラの母親は不思議そうに顔を上げ、腕の中のソラを見る。
ソラはそんな母親の顔を見て満足げな笑みを浮かべ、それと同時にソラの意識は徐々にかすれていった。
父親との約束を守ることができて、母親の命を守ることができて良かった。母親の顔を見て心の底からそう思った。そんな満足感に駆られながら、ソラの意識はそこで途絶えた。
☆
ソラが目を覚ましたのはそれから数日後のことだった。目覚めたソラは涙で顔がくしゃくしゃになっている母親に抱き着かれた。母親は落ち着きを取り戻すと、兵士たちは魔物が狂暴になり始めたから警備のために村に配備されたのだとソラに話した。それから数分後、ソラの目覚めを聞いて一人の男がソラの前に現れた。
「ソラ君……だよね? 俺は国で兵士長をしているルバルドだ」
ソラはその名前を聞いたことがあった。ソラのいる村にまで名前が広まっている、国最強と名高い兵士長だ。黒い短髪に顎からもみあげまであるどこか力強さを感じさせる髭。そして、その体つきは誰もが圧倒されるほどの、まさに筋骨隆々といった様子だ。
「なぜルバルドさんがこんなところに?」
「最近魔物が凶暴化していてな。たまにあちこちに出る兵士達について行っているんだ。それで、君はあの時のことを覚えているかい?」
ソラはあの時と言われて、魔物に襲われた時だろうと思い、記憶を辿った。
母親に抱かれながら見た魔物が近づいてくる景色を。その時自分の中に巻き起こった魔物に対する感情を。そして、自分の中に感じた力を。
「覚えています。経験したことないような不思議な感覚だったので、上手く説明できませんが……」
ルバルドはふむと一息つくと、ソラに問いかける。
「ソラ君、王都に来てみないか?」
その言葉に迷うソラを見て、ルバルドは王都に着いた時にこれを見せたら入れるからと貫禄のある紋様の描かれた書筒をソラに渡した。それが目的だったのか、ルバルドはその日の内に自分は用があるからと数人の兵士を残して王都へ戻ってしまった。
ソラがルバルドから聞いたのは、ソラには何かスキルが備わっているだろうこと。意識を失ったのは初めて力を使った反動だろうということ。王都に来ればそれを調べる道具があるから分かるということ。そして、ソラが望むのならば兵士としての鍛錬を付けてもいいということ。
ソラは目を瞑って少し考えた。そして、その結論は時間をかけることなく出される。もしあの時、自分に力があれば――。そう考えれば自然と答えは導き出された。翌朝、ソラは母親にそのことを伝えに行った。
「母さん、僕――」
「ルバルドさんから話は聞いてるわ。私はソラの可能性を潰すようなことはしない。でも、行くのは父さんたちの葬儀が終わってからにしなさい」
「ありがとう、母さん」
「それと……」
ソラが言葉を詰まらせた母親の顔を見ると、それは少し寂しそうに見えた。
「絶対死んだりしちゃダメよ。お母さんより先に死んだら許さないんだから!」
その時、ソラは初めて気が付く。自分のことで頭がいっぱいで気が付けなかったのだ。自分が王都に行けば母親が一人になってしまうことに。
(それでも――)
それでも、同じ惨劇は繰り返したくない。村を守れるぐらい強くなって帰ってくる。2度と同じようなことは起こさせない。
数日後、ソラは時間稼ぎをして亡くなった村人たちの墓前でそう誓った。
準備を終えたソラは、村に偶然来ていた商人に頼んで馬車の片隅に乗せてもらった。商人は初めは断ろうとしていたが、村の様子を見て何があったのかを村人から聞いてソラの事情を知った彼は涙を目に浮かべながら了承した。そうして、皆に見送られながらソラは村を出たのだった。
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