カラッポ城の歌王子

都茉莉

カラッポ城の歌王子

 町の外れには人の寄り付かない古城がある。古城といっても、つい十数年前までは魔王が住み、魔族が集っていた。魔王が勇者に討たれてからは誰も住んでいないはずなのだが、時折美しい歌声が聞こえてくる。気味悪がった町の者たちはさっさと城を壊してしまいたいのに、中に入った人たちは誰一人として帰ってこない。結局、触らぬ神に祟りなしと放置されていた。


 古城の側にある町に住むミアは、古城から漏れ聞こえる歌声に魅了されていた。荘厳にして繊細。これほどまで美しい音楽を、ミアは聞いたことがなかった。

 初めのうちは近くに行って聞き入っているだけで満足していた。決して大きいとは言えない歌声は、それでもミアを捕らえて離さない。すると段々欲が出てくる。

 恐る恐る自分の歌声を重ねてみた。その頃にはもう、漏れ聞こえる歌を覚えてしまっていた。最初は細かった声も、慣れてくるとのびやかに響き始める。漏れ聞こえる歌と合わせるのが楽しくて、ミアが古城を訪ねる頻度はどんどん高くなっていった。




 ある日、いつものように歌っていると、いつもは閉め切ってある門が開いた。まるでミアを招くように。古城にまつわる恐ろしい噂は知っていたけれど、美しい歌声の主への好奇心が勝った。もっと近くで歌を聞きたくもあった。

 ミアはゆっくりと門の中へ向かった。かつては美しく整えられていたであろう庭は荒れ放題で、建物へと続く石畳以外はびっしり背の高い草が生い茂っている。

 歩みに合わせて建物の扉が開く。足を踏み入れると、そこは別世界だった。

 外の姿が嘘みたいに煌びやかで、人などいないはずなのに手入れも行き届いているように見える。いなくなったはずの侵入者は痕跡すら残していない。

 備え付けの燭台がひとりでに灯りを灯し、ミアを導く。見たこともない装飾に目を惹かれながらも、灯りを追った。


 辿り着いたのは城のてっぺん。いっとう豪華な扉がゆっくりと開きミアを誘う。


 きっとここに歌声の主がいるのね。


 期待に胸を高鳴らせたミアを待っていたのは、人形のような少年だった。

 透き通る金髪はたっぷり長くて背中まで垂らしてある。きっと日の光を通したら宝石みたいにきらめくのだろう。でも、少年自身には太陽よりも月が似合う。白磁のように白い肌は太陽を知らない。背面だけ丈の長いローブは線の細い体躯を際立たせていた。覗く足も眩しいほど白く細く、少女めいた雰囲気を醸し出している。だが何よりも目を引くのは、その瞳。長い睫毛に縁取られたそれは、ぞっとするほど美しい紅が鈍く輝いていた。


 紅い瞳は魔王の色。


 いつだか大人からそう聞いたことを思い出した。もし紅い瞳の人間を見つけたら、関わり合いにならないうちに逃げなさい、生気を吸い取られて死んでしまうぞ。町の子どもたちはそう何度も忠告されて育つ。でもそんなこと、今のミアには関係なくて、この美しい少年が美しい歌声の持ち主ということ、それだけが重要だった。

 高ぶる感情に頬を上気させ、ミアは自己紹介を試みた。

「わたしはミアっていうの。あなたに会えて嬉しいわ。ずっとずっとあなたの歌を聴いていたの。何と言っているかはわからないけれど、あんなに心を揺さぶる歌は初めてなの。本当よ」

 あのね、あのねと、まとまらないまま言葉を重ねるミアに、少年は表情を変えず小首を傾げた。ほとんど通じていないのかもしれない。そういえば、歌詞のある歌は聞いたことがなかった。


 ずっとひとりぼっちだったのだから、無理もない。言葉なんて知らなくて、持ってるものはカラッポのお城と自鳴琴オルゴールだけ。自鳴琴オルゴールの奏でる旋律だけが、意味を成す音だったのだ。


 魔王さまと人間では言葉が違うのかもしれない。思い至ったミアは、いつものように歌い始めた。それに少年が続く。いつもとは逆だ。互いの声が間近で響き合うのがたまらなく気持ちいい。

 少年は言葉を知らないからか、旋律に感情を乗せるのがうまかった。すぐ近くで歌声を重ねていると、乗せた感情まで重なるように感じた。今までばらばらだったことの方が可笑しいようにすら感じられた。

 少年の自鳴琴が奏でる旋律に合わせてみたり、ミアが知っている歌を歌ってみたりと、何度も何度も歌い続けた。言葉など通じなくとも二人の心はかよっていた。


 楽しい時はすぐに過ぎて、帰らなければいけない時間になってしまった。

「ごめんなさいね。わたし、もう帰らないと」

 扉へと向かうミアに手を伸ばした。ミアは小さく横に首をふる。

「お母さんに怒られちゃうわ。明日きっとまた来るから」

 少年は名残惜しそうにミアを見送り、伸ばしていた手をじっと見つめていた。




 それから毎日毎日、ミアは古城へ通った。もともと人は寄り付かなかったから、ミアがいつでも来れるようにと、少年のへや以外は開けっ放しにされるようになった。


 共に歌い続けているうちに、感情が重なる感覚はどんどん高まっていった。元が少年の感情だったのか、ミアの感情だったのか、もはやわからなくなっていることすらあった。感覚を共有しているとすら思った。元は同一人物だったのではとすら思った。


 ミアに感化されてか、少年の表情はだんだん人間らしく暖かくなってきた。生気のなかった白い頬はほのかに染まり、目尻は柔らかく下げられる。町の子らとなんら変わりない、愛らしい子どもに見えた。

 言葉もだいぶわかるようになってきて、ミアの話を熱心に聴いていた。少年の知らないことは、全部ミアが教えてくれた。家族の話、幼馴染の話、地域に伝わるお伽話ーーミアの話ならなんでも面白かった。

 ミアは名前のわからない少年を王子さまと呼び、彼が人間らしくなっていく様を見るのが楽しくて、嬉しくて、どんどん古城にいる時間が増えていった。


 王子さまが大人たちが恐れている魔王かもしれないということは、すっかりミアの頭から抜け落ちていた。


 最初は夕方少しだった古城で過ごす時間は、昼食後から訪ねて夕食前までに変わり、次第に食事すら疎かにするようになっていった。

 ミアは王子さまを最早半身のように感じていた。片割れと引き離される時間は魂を引き千切られた心地がした。

 当然町での時間は侵食されていく。

 気持ちだけは常に王子さまの方にあったので、違和感を持たれたら一瞬だった。


 ーーミアの魂が魔王に囚われたぞ!


 大人たちは恐れおののき、ミアはすぐに外出禁止を言い渡された。

 誤解よ。違うの。何を何度言っても聞き入れられず、泣きながら自鳴琴オルゴールの曲を歌い続けた。王子さまと共に歌ったことは数知れず。半身だけに感情の乗せ方もよく似ている。歌声に託された悲哀は、周囲に漂っていた。

 人々は古城の歌声と同じ曲を歌うミアに困惑した。

 古城の歌は破滅の象徴だった。魔王の手下になったのではないか、魔王に身体を乗っ取られたのではないか。そんな噂がまことしやかに駆け巡る。

 家族ですらも疑って、遠巻きにするようになった。


 そんななか頻繁にやってきたのは、幼馴染であるシーアだけだった。古城で何をしていたのかを聞きたがるので、事細かに話してやっていた。

 自鳴琴オルゴールが紡ぐ旋律。王子さまの歌声。ミアの話を熱心に聞く王子さま。

 宝箱から取り出した宝物を愛でるように思い出を確かめる度に、どうしようもない思いがこみ上げてくる。


 ああ、半身が呼んでいる。どうして誰もわかってくれないのかしら。


 止めどなく溢れる涙をそのままに、来る日も来る日も歌い続けた。


 自分のことにいっぱいいっぱいだったミアは、シーアが思い詰めた表情を浮かべていることに気付けなかった。




 しんと静まり返った夜更け、シーアは厨からくすねた包丁を携え、古城を見上げた。ミアと同じ色の髪、同じ服装で。


 このままじゃあいけない。ミアは魔王に騙されているのだ。生気を吸い取られて死んでしまう! ーーその前に、倒さなければ。


 シーアの決意は固かった。嫌な噂しか聞かない古城を前にして身震いする。が、武者震いだと言い聞かせて歩を進めた。


 見たことのない美しい装飾の数々は、人間業では作れまい。改めて魔族を意識し恐ろしく思う。

 覚悟していた白骨はなく、塵一つ落ちていない回廊は逆に不気味だ。いったい幾人もいたはずの死体はどこに消えたのだろうか。疑問を振り払い歩を進める。

 ほのかな燭台の灯りだけを頼りに上へ上へと登っていくのが、とてつもなく長い時間に思えた。


 ようやくてっぺんに辿り着いた。いっとう豪華な扉は、魔王の力を示しているようだ。

 小さく深呼吸して息を落ち受ける。


 大丈夫。大丈夫。なんの問題もない。


 シーアが扉と向き合うと、一人でに扉が開いた。恐れを噛み殺し、長い前髪で顔を隠すために俯いたまま中へ入る。こちらへ駆け寄ってくる音が聞こえた。シーアも駆け寄り、胸に飛び込んだ。

 手には包丁。心臓を一突き。

 魔王の目が驚愕に見開かれる。

 腕に力を込めて引き抜くと、鉄くさい液体が噴き出した。血のように紅い瞳がシーアをとらえて離さない。音を立てて凶器が手を離れた。さっさと逃げ出したいのに、身体は壊れたように動かない。紅い瞳以外は人間と同じ姿形。人殺し。その三文字がこびり付いて剥がれない。後から後から恐れがこみ上げてきて崩れ落ちそうだ。


 逃げないと。帰らないと。早くーー


 纏まらない思考はぐるぐる回る。自分でも何を考えているのかわからない。ぐるぐる回っているうちに何もわからなくなって、気づく間も無く意識は消えた。




 家の外が騒がしかったが、外出禁止令を出されているミアには関係のないことだった。いつものように歌っていたが、ふと思い立って、そっと外を覗いてみた。

 人々は慌ただしく行ったり来たりしていて、よくよく聞いてみると、シーアが行方不明だとわかった。

 ミアは隙をみて抜け出し、古城へと向かった。慣れた道でも、いつも以上に人目を気にしなければならないから時間がかかる。やっとのことで辿り着いた古城は、いつもとどこか違った。てっぺんに向かう途中ふと思い当たった。


 王子さまの歌が聞こえないんだわ。


 何かあったのだろうか? それとも、しばらく来れなかったから心配している?

 長いこと部屋に閉じこもっていたせいで重くなった身体を急がせた。

 てっぺんに近付くにつれて、何か異臭がし始めた。だんだん明らかになっていったそれは、死の臭い。袖口を鼻にあてて室に乗り込んだ。

「な、なに……これ……」

 愕然としたミアが目にしたのは、人の形をした消し炭と、側で呆然とへたりこむ王子さま。きっと消し炭はシーア。古城を気にしていたのは彼くらいだし、行方不明だと騒ぎになっていた。王子さまの服は胸元に穴があき、血に染まっていた。でも怪我は見当たらない。

「……」

 暗く紅い瞳が力なくミアを写した。少し前まで人形じみた無表情だったのが嘘のように人間らしい複雑な表情が浮かんでいる。ゆっくりと開けた口から紡がれる歌声に乗せた感情は、ミアに浸透した。

 途惑い。失望。孤独感。

 巧妙に絡み合った溢れ出る感情。


 その全てを受け取ったミアは、急にストンと納得してしまった。

 王子さまは魔族で、ミアは人間。

 ミアはご飯を食べなければ死んでしまうけれど、魔族である王子さまは魔力があればご飯はいらない。帰ってこなかった城への侵入者は、王子さまの魔力になったのだろう。

 魔族は魔力を糧に生きる。他の生物の生気を魔力にして。


 そう気付くと、ミアは笑ってしまった。何が半身だ。欠片も相手のことを理解できていなかったくせに。

 ミアはじっと王子さまを眺めてみた。シーアを殺したのは王子さまだというのに、不思議と怖くはない。これまでとなんら変わらない王子さまだ。

 変わったのはミアの方。

「あのね、わたし、ここに来てることバレちゃったの」

 歌声を遮り、ミアはゆっくり切り出した。

「本当は外に出ちゃいけないんだけど、何も言っていなかったから……。だから、ね。もう、お別れなの」

 魔王の証である紅い瞳を真っ直ぐ射抜いてそう言った。動揺する王子さまは人間くさくて、人形のようだった頃を思い出して、決心が鈍りそうになる。

 口を開こうとする王子さまを無視して、ミアは続けた。

「ありがとう、さよなら。ーー大好きだわ」

 突き刺さるような視線を感じたが、決してふり返らず町へ走った。

 振り返ってはいけない。偶然が重なって、本来交わるはずのなかった人生が交錯したに過ぎなかったのだから。決して半身などではなかったのだから。


 人間と魔族は一緒にいられない。


 取り残された魔族の王子さまは、溢れ出る熱いものをそのままに、ミアの去った扉を見つめていた。




 町の外れには人の寄り付かない古城がある。古城といっても、つい数十年前までは魔王が住み、魔族が集っていた。魔王が勇者に討たれてからは誰も住んでいないはずなのだが、時折美しい歌声が聞こえてくる。

 悲哀が滲む、歌詞のない旋律だけの歌声と、懐旧が滲む、誰もが知る童謡が…………。

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