夜と少年。

あわい しき

ある世界の遠い昔の話

 いつからなのか。

 何がきっかけだったのか、よくわからない。

 気が付いた時には窓の外の景色を眺める少年ばかり見ていた。

 澄んだ水のように蒼い瞳を持つ少年のこころはとても綺麗で輝いて見えた。その瞳のように。

 時折目が合ったような気がしたが、少年にこちらの姿が見えるはずもなく。それは気のせいだと分かっていた。それでもある日少年とまた目が合ったとき、浮かべた笑顔は何にも代えがたく、そして私に向けられたものなのではないかと思った。

 その時、私は世界に生まれた。

 目の前には少年がいる。

 ベッドに座ったままの少年は突然の私の来訪に驚いたように、目をしばたたかせていた。

 ややしばらくして、少年は私に「初めまして、お友達になろうか」と言ったのだった。


 少年は名はクオーレと言った。生まれつき病弱でベッドから出ることもままならないらしい。身体が細いから病弱なのか、病弱だから体が細いのか。全体的にじ筋肉はほとんど発達しておらず、骨と皮だけのような少年は見るからに不健康だ。だが、見た目に反して、少年はほがらかな笑みを絶やさず、まるで光そのもののようだと思った。

「君の名前は?」

 少年に聞かれたとき、私は答える名など持ち合わせていなかった。それもそのはず。私という個は今この瞬間に生まれたのだから当然だった。

「名前がないの?」

 少年はそういうと、癖なのか口許に手を当て考えるそ素振りを見せた。そして、何か思いついたのかぱっとした表情を浮かべ

「ヨルシュカーナって呼んでもいいかい?」

 と言った。

 ―ヨル、シュカーナ

 不思議な響きだったがとても心地の良い響きだった。

「ヨルって呼ぶね」

 こちらの返答を待たずに矢継ぎ早に話す少年は、どこか嬉しそうにも見える。

 それから毎夜、私は誘われるように彼の下を訪れた。

「この世界には神様がいるんだよ」

 いつも独り言のように話し続ける少年が、いつも通り突然話を始めた。

「夜の神様で。この世界では夜は女性を表す符合なんだ。他にも夜は眠りや暗闇、あとは」

 少年は口をつぐみ間を置いた後に「死を司るんだって」と言った。

 ―死とは?

「例えば僕みたいな生きたものが死ぬこと、うん?えっとこれじゃ結局死ぬってよくわかんないね」

 えーと、えーととしばらく悩んだのちに少年は

「何もなくなるってことかな」

 と答えた。

 ―何もなくなる?

「うん。そう、それが死ぬってこと」

 でも、と少年は続ける。

「でも、その生き物が生きたっていう事実はなくならない。なくなるのはいのちだけ」

 ―いのち

「そう。その生き物のきおくは誰かのいのちの中に残り続けるんだ。だから、きっと。僕のきおくも残り続ける」

 ―お前は死ぬの?

「うん、って言ってもいのちを持つものはいつか死ぬんだよ」

 僕だけじゃないと少年は言った。彼はぎゅっと胸に抱いた本を抱きしめながら、そう言った。


 ある夜少年は現れた私を見て、いつも以上の満面の笑み迎え入れた。

「母さんが遅くなったけど誕生日プレゼントをくれたんだ」

 そう言って私に見せたのは金細工だった。懐中時計といったか。

「時計は今を刻むもの。針は常に一定に動く。動き続ける限り僕はちゃんと生きてますよって証なんだ」

 ―生きている

「そう。そうだヨルこっちに来て」

 少年はそういうと私を手招きした。ベッドに手を掛けると、そのまま自分の胸に手を当てて「ここに耳を当ててみて」と言った。

 そっと少年の骨ばった胸板に耳を当てる。

 どくんどくんと力強く音が鳴っていた。

「時計の針みたいにここはね、一定の音を刻むんだ」

 ―お前の中にも時計があるのか

「ふふ、そうだね。それでこれが生きているってこと。この音がしなくなったら死んだってことだよ」

 ―まだ、生きてる?

「もちろん」

 顔を上げると、少年の顔がすぐそばにあった。以前よりやつれたように見える少年はやはり笑顔を絶やさなかった。


 時は刻み続ける。その針が止まるまで。そして、それは少年も同じことだった。

 ある夜少年はベッドから起き上がることが困難なほどになっていた。

「ヨル、泣かないで」

 少年は虚ろな瞳でこちらの方を見て言った。

 その姿に本当に私の姿が映っていたのか分からなかった。

 少年は最期にもう一度笑った。


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「ヨル、また会えたね」


 少年は姿が違った。だが、そのこころときおくは間違いなく彼のものだった

 今度は丈夫な体を持って生まれた彼は、私と一緒にいることを望んだ。

 彼は世界を見て回りたいといった。だから私はそれを叶えた。

 途中彼が危険な目に合ったが、私の力で何度も対処した。

 その際、獣に私の体の一部を奪われてしまったが大したことではなかった。

 旅で新しい出会いを得る度に彼は本当に楽しそうに笑った。

 かつて、自由に動くことがままならなかった彼は、水を得た魚のように生き生きとしていた。

 そんな彼と旅をしているうちに私は、いつしか彼とこの世界を永遠に回ることができたらと願うようになっていた。


 でも、それは間違いだった。はじめの彼の時からすでに私は許されないことをしてしまったのだ。

 許されないわけではないだろう。許せなかったのは私自身だった。

 そう、私が認識をした瞬間から世界は歪み、彼の事実は壊れた。

 こんなはずではなかったはずだ。

 歪みから生まれるはずのないものが生まれた。それすらも私が作り出したもので、歪みではなかった。それはもうどうしようもないくらい、救うことはできなかった。それ以上の被害を出さないために私はそれらを消した。そして、それらに反応し動くシステムを作った。

 何度も彼は死んだ。

 正確にはこころときおくはそのままにいのちだけを悪戯いたずらに繰り返した。

 本来ならば、起こりえない事象。私の認識ではいのちは死にこころときおくも消える。


 彼は決まって


 いつからか彼は目覚め私と出会った歳を迎えると、必ず私を探して旅に出るようになっていた。

 私は彼から何度も逃げた。

 しかし、呪いのように彼は終わりを迎えるその時には必ず私の下にたどり着いた。

 まるで拷問のようなそれに私は耐えきれなかった。

 だが、それを彼に伝えることもしなかった。その笑顔を曇らせるのが恐ろしくて。

 いや、違う。どうしようもなく私は彼に焦がれていたのだろう。彼を失うことを恐れていながら、その笑顔を手放すことはできなかった。

 そうして繰り返すうちに私は気付いてしまった。

 このままでは『私』がこの世界を雁字搦がんじがらめにしてしまうと。

 それは、やっぱり嫌だった。

 だから、私は自分の欠片を分けることにした。

 私の欠片は彼らに預けることにした。分ける前に私にはすることがあった。

 彼の仕組み終わらせることはできる。だが、それは今の私にはできないことだった。

 なぜなら、私はどうしようもなく彼を。

 だから、せめてもと私は彼のきおくの中から私を消し去ることにした。


 彼は何も知らないまま私にあの時から変わらない笑みを向けてくれる。


「さようなら、クオーレ」

 私はしっかり笑えただろうか?


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 何かが欠けていた。

 でも、それはとうに失われており、思い出すことができなかった。

 何度もいのちを繰り返しているというのに、その欠けてしまったものだけが思い出せない。それ以外のことならば思い出せるのに。

 遠い伝承。かつて存在した夜の女神は失われ、7人の形代のみが7つの大陸に残された。

 夜が失われ、死という概念が失われた。いや、死に関しては失われたわけではない。意味合いがこの世界のシステムが変わってしまっただけだ。

 だが、この世界から夜という概念は本当の意味で失われた。

 それを補うように世界はシステムを変えた。世界は変わる。何かが失われたところでそれは、変わることはない。

 無慈悲で平等なそれはどこか物悲しくもあった。

「女神がいなくたって構わない」

 それでも、いたはずの女神の存在を失くすのはどうしてもいやだった。

 だからこそ、僕は物語を作ることにした。形代達の話を元にした話だった。

 物語には名前が必要だ。


 ―創世ヨルシュカーナ記

 

                 筆記者■■■■・アル・サリューシア

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夜と少年。 あわい しき @awai_siki

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