ドス黒なずみ童話 ⑥ ~どこかで聞いたような設定の血まみれの鍵~(後編)


 アンヌお姉さんのただならぬ悲鳴を聞いたクレマンティーヌも慌てて駆けつけてきました。


 エミリアン様は運動不足かと思いきや、栄養と睡眠はたっぷりととりまくっているため、ブヨブヨとした肥満体ではありましたがその割には足は速いと言えるのかもしれません。伸び放題の青髭に包まれた口から発せられている、「グオオオオオオ」や「ゴラアアアアアア」という怒声は、もはや人間のものではありませんでした。エミリアン様は、殺意の塊となってアンヌお姉さんに猛突進しています。

 この光景は、ブランシュがアンヌお姉さんや二人のお兄さんたちと、今までにくぐり抜けていたどんな修羅場よりも恐ろしいものでした。


 元々の原因はアンヌお姉さんです。アンヌお姉さんに非があります。だからといって、アンヌお姉さんをみすみす殺させるわけにはいきません。それにアンヌお姉さんだって、みすみす殺されるわけなどないのです。


「アンヌお姉さん、反撃よ! 早く! 早く反撃するのよ!!」

 ブランシュが叫びました。

 半泣きのアンヌお姉さんは、エミリアン様の”背後”にあった花瓶へと視線を走らせ、それを持ち上げました。


 しかし、花瓶の動きよりも速く、エミリアン様の拳がアンヌお姉さんの顔面中央にストレートに入りました。アンヌお姉さんの真っ赤な鼻血が磨き抜かれた真っ白な床に飛び散ります。エミリアン様の拳は、なおも振り上げられました。女でも一切の容赦なくボコボコです。


「やめなさい! エミリアン!! やめなさいぃぃぃ!!!」

 泣き叫ぶクレマンティーヌが、自身の倍以上の体積を持つ我が子を止めようとその背中に飛び掛かりました。けれども、やせ細った彼女はあっけなく振り払われ、壁へと吹っ飛びました。


 このままだとじゃ、アンヌお姉さんが……!

 ブランシュも近くの花瓶を持ち上げました。いいえ、ブランシュは花瓶だけでなく廊下に飾られていた、とっても重たい甲冑なども次々に持ち上げ、エミリアン様へと”飛ばした”のです。けれども、予想以上に重厚で頑丈なエミリアン様の背中のお肉は、それらをもボヨヨヨンと弾き返してしまいました。

 卓越した念写と千里眼の力に加え、攻撃力と防御力にも優れているエミリアン様。エミリアン様の能力値のレーダーチャートは、コミュニケーション能力以外は、ほぼ最大値を描いているでしょう。


「ぐがあああああああ!」

 エミリアン様がアンヌお姉さんの首を締め上げました。

「ぐげえええええええ!」

 アンヌお姉さんはもがきました。


「いやあああああああ!!」

 ブランシュは叫びました。そして、お兄さんたちに助けを求めました。

 ”お願い! お兄さんたち、助けに来てぇぇ!!”と、心から願いました。


 すると……

「ブランシュ!! 大丈夫か!?」

「助けに来たぞ!!」


 ブランシュの二人のお兄さんが、廊下の向こうから駆けつけてくれました。お兄さんたちはすぐに助けに来てくれたのです。

 そう、”本当にすぐに”。

 この超修羅場に、剣を手にした頼もしいお兄さんたちの登場は非常に助かりますが、彼らが駆けつけるのはあまりにも早過ぎるとは思いませんか? いくら何でも、これは早過ぎますよね?


 それに、先ほどはさらりとした感じでお伝えしたのですが、ブランシュの細腕では花瓶はともかく、重たい甲冑を持ち上げてエミリアン様へとぶつけるのは無理です。

 さらに言うなら、ブランシュは花瓶にも甲冑にも一切、手など触れていないのです。それなのに”飛ばす”ことができたのです。


 全身の痛みをこらえ、ヨロヨロと立ち上がったクレマンティーヌは、理解しました。

 息子エミリアンが、クレヤボヤンス(千里眼)とソートグラフィー(念写)の力を併せ持つ超能力者であることは、彼女もとうの昔に知っていました。

 けれども新妻ブランシュも、そしておそらく彼女の姉のアンヌも、その力の種類こそ違えど息子と同じ超能力者――サイコキネシス(念力)の力を持つ超能力者――であったのだと!

 さらに、いつのまにやら屋敷内に現れたブランシュの二人の兄もまた、おそらくどちらかがテレパシー(精神感応)、どちらかがテレポーション(瞬間移動)の力を持つ超能力者であったのだと!


10


 お兄さんたちの救いの姿が瞳に映ったアンヌお姉さんの血だらけでボコボコの顔は輝き、腫れあがった唇の間からは欠けた前歯がのぞきました。


 当のお兄さんたちですが、てっきりブランシュが青髭様に襲われているものだと思っていました。ですが、アンヌお姉さんが見知らぬ男――不気味な青髭様を小一時間茹で上げてふやけさせ、横にぶよぶよと広げたような年齢不詳の男――に襲われているなど、想定外でしかありませんでした。


 ですが、一刻も早くアンヌお姉さんを助けないと!

 剣を手にしたお兄さんたちは再びダッと駆け出しました。

 すると先ほどまでの勢いはどこへやら、立派な大人の男の人であるお兄さんたちを見たエミリアン様は、豚が締め上げられたような短い悲鳴をあげ、即座に逃げ出そうとしました。

 けれども、エミリアン様の足がアンヌお姉さんの足にからまりました。そして、二人の足はなかなかに激しくもつれ合い……さらに、バランスを崩したアンヌお姉さんとエミリアン様は、そのまま一緒くたとなり、ズドドドドドド、ゴロゴロゴロドスン!!! と長い長い階段を転がり落ちていったのです。


 二人の首の骨がほぼ同時に折れたであろう、ゴキッという嫌な音もしっかり聞こえました。

 ブランシュも、二人のお兄さんも、クレマンティーヌも、アンヌお姉さんとエミリアン様の体の下でみるみる広がっていく真っ赤な血だまりを目撃することになりました。


 いくら超能力を持っていても、人間に死んだ者を生き返らすことはできません。いえ、それは神様にだって無理なことです。

 ブランシュは、クレマンティーヌと同じく、泣き続けることしかできませんでした。


 しかも、なんというタイミングなのか、青髭様が予定よりも早くご帰宅されたのです。青髭様も、事切れたばかりの息子と妻の姉の遺体を目にすることとなりました。

 いったいどういった経緯でこの結果となったのかは妻のブランシュ含め、家の中にいた者たちに、話を聞かなければ分かりません。

 ブランシュに預けたはずの例の小さな鍵――アンヌお姉さんが持ったままであった小さな鍵――が、まだまだ広がりゆく真っ赤な血だまりの中に浸かっているのを見た青髭様は、溜息をつきました。


11


 青髭様のお屋敷にて繰り広げられた超能力バトルもどきについては、死者二名を出し、ひとまずの終結となりました。

 青髭様からの形ばかりの事情聴取に、ブランシュもクレマンティーヌも二人のお兄さんも応じました。

 事故ということで話がついたようです。というよりも、アンヌお姉さんとエミリアン様の死は、真実、事故であるのですから。


 青髭様は、事故の目撃者たちを屋敷の一室に集めました。青髭様の頭上では、豪奢であり重たげなシャンデリアが輝いていました。

 自分の血を分けた唯一の実子が亡くなったというのに、青髭様の表情はどこかすっきりとしており……そう、まるで長年背負ってきた重い荷物をやっと下ろし、清々しい青空を見上げているようなものでありました。

 青髭様は、まずはブランシュに言いました。


「ブランシュ、前の四人の妻たちも全員、私の言いつけに背いて、あいつを封じ込めていた部屋の鍵を開けてしまった。私が鍵を渡したのは、第一に誘惑に打ち勝つことができるか、第二にあいつの凄まじさに耐えうることができるか、という二段階の試験だったのだ。あの部屋の鍵を誘惑に負けて開けてしまったお前も不合格ではある。けれども、私を長年にわたり煩わせていた”元凶”はいなくなった。お前の姉は気の毒だったが、その犠牲に免じて、お前は特別に合格とする。私の妻として引き続きこの屋敷で暮らすがよい」


 ブランシュの返事を待たずに、青髭様はクレマンティーヌへと向き直りました。


「クレマンティーヌ、長い間、ご苦労だった。お前もやっと肩の荷が下りただろう。あいつを気味悪がって出て行った四人の妻たちと同じく、お前にもそれなりの金はもたせてやる。ただし、この屋敷でのことは他の妻たちと同じく他言無用だ。そして、私の目に入らぬ土地で暮らせ。一度はお前と愛し合い結ばれたが、今の私にはブランシュがいるし、そんな姿になったお前を私はもう女としてみることはできない。私ほどの財産と地位があれば、若くて綺麗な娘など、これから先、”いくらでも”娶ることができるからな」


 俯いたままのクレマンティーヌの両肩は震えていました。哀しみで震えているのでしょうか? それとも怒りで震えているのでしょうか?

 そして、ブランシュの両肩も震え始めました。そして、彼女の瞳からは涙が溢れ出しました。熱い涙が頬を流れていくというのに、ブランシュの心は冷たく凍りついていっています。

 けれども、青髭様はそんな彼女たちの様子も気に留めることはなく、今度はブランシュのお兄さんたちへと視線を移しました。

 

「そなたたちはまだ決まった妻がいないのだろう。もしよければ、私の遠縁の娘でも紹介してやろう。妻選びは本当に大切だ。”子供の出来にもしっかりと影響する”のだからな。私も次こそは、望み通りの子供を授かりたいものだ」


 その言葉を聞いたブランシュの心は、完全に凍りついてしまいました。凍りついてしまった心は、もう動くことはありません。

 なんということでしょう!

 やはり青髭様は青髭様だったのです。妻たちの”心を”残酷に殺す青髭様だったのです。


 青髭様は、親としての役割をただ一人で懸命に果たそうとしていたクレマンティーヌの長年の苦しみを労おうとする気もありません。そればかりか、エミリアン様の不出来具合は全て母親である彼女のせいだと思っており、これを機にとお屋敷から追い出すつもりです。

 また、今現在のブランシュは確かに若くて美しい娘です。けれども、ブランシュもいずれ年をとります。年をとったブランシュも、お払い箱になるということでしょうか?

 さらに、仮にブランシュが青髭様の間に子供を授かったとしても、青髭様の理想を詰め合わせたような子供となる保証はありません。あれほどまでに強烈な青髭二世・エミリアン様までとはいかなくとも、本人の資質も含め、しっかり教育したとしても何もかも親の思い通りに育っていかないのが子供というものですのに。


 この時、青髭様の頭上で輝く豪奢で重たげなシャンデリアが、風もないのに揺れ始めたことに気がついていないのは、青髭様ただお一人だけでした。


12


 ブランシュは、クレマンティーヌと二人のお兄さんとともに、アンヌお姉さんとエミリアン様を弔いました。

 そして皆で、エミリアン様の気配というか体臭の残り香がまだ漂っているあの部屋を片付けました。埃まみれのカーテンで閉め切らたままの窓を開け、空気も入れ替えました。

 エミリアン様の膨大なエロスコレクションも、次々に火へとくべられ、灰となり青空へと昇っていきます。


 実のところ、お兄さんたちはエミリアン様のエロスコレクションを一枚一枚じっくり眺めてみたかったし、”お兄さんのお兄さん自身”のために使いたかったというのが本音ではありました。しかし、ブランシュがクレマンティーヌとともに「こんなものを残しておいてはいけないわ。ここにいる私たち以外の誰の目にも触れさせてはいけない物よ」と至極真っ当な意見を言ったため、火にくべるのを手伝いました。

 それはそうでしょう。性交中の念写絵など、秘密どころか”プライバシー中のプライバシーの侵害”に該当する代物なのですから。エミリアン様の性犯罪の証拠品でもあるこれらは、青空へと永久に葬り去るのが一番です。


 エミリアン様の超能力自体は世に類を見ないほどのレベルでした。彼は自分がシコシコすることだけにその力の全てを注いでいましたが、彼ほどの力を持ってすれば地域社会のみならず、国や世界までをも表ではなく裏で操ることができていたかもしれません。

 ですが、愚かな野望を抱いたり、力によって得られたものを悪用をすることは自らの身を滅ぼす結果へとつながります。アンヌお姉さんの死は自業自得の要素が強いものでしたが、こんなことになってしまった今でもブランシュも二人のお兄さんも、アンヌお姉さんのことが大好きでした。

 ”血のつながりのないアンヌお姉さん”に可愛がられ、ともに笑いあった日々の思い出は、ブランシュの心にも二人のお兄さんの心にも、これからもずっとあり続けるのです。


 そう、ブランシュたち四人には、血のつながりなどそれぞれ一滴もありませんでした。ただ、別のつながり――四人全員が超能力者であるという稀有なつながり――によって、一個の家族として強く結ばれていたのです。皆で助け合い、差別や迫害に遭わないよう、超能力者であるという秘密を守り抜くため数々の修羅場をくぐり抜けながら生き抜いてきたのです。

 そのことを聞かされたクレマンティーヌは驚きましたが、彼女たちのことを羨ましく思ったのも事実です。血のつながりはなくとも、男女の愛で結ばれていなくとも、こんな形の家族もあるのだと。


「ブランシュ、青髭様は……?」

 お兄さんの一人がブランシュに聞きました。

「……どうしようかしら? あのままにしておいたら、虫も湧くだろうし腐り出して悪臭を放つのは分かっているんだけど……」


 困ったように眉根を寄せたブランシュは、クレマンティーヌに目で助けを求めました。

「奥様の……いえ、”ご主人様”のお好きなようになさってください。私はそれに従います」とクレマンティーヌは、青髭屋敷の新たな主となったブランシュへと答えました。


 え? 青髭様はどうしているのですかって?

 もちろん、まだお屋敷の中にいらっしゃいますよ。

 ブランシュがそのサイコキネシスの力によって引きちぎった、それはそれは重たいシャンデリアの下敷きとなったまま……


――完――



~後書き~


 本作を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 私、なずみ智子でございますが、2019年10月末締め切りの新潮社様の「第19回 女による女のためのR-18文学賞」に3作品ほど応募しておりました。


 本日2019年12月26日、公式ホームページにて一次選考通過作品が発表されましたが、なずみ智子が応募した3作品のうち1作品が一次選考を通過しておりました。

 よって、通過しなかった以下の2作品は『なずみのホラー便』として、ネットに公開いたしました。


・ 『【R18】野をかき分け、火を付けよ【なずみのホラー便 第50弾】』

※ アルファポリス電網浮遊都市でのみ公開中

 ”火を付けよ”とありますが、放火魔の話ではありません。

 しかも、程度の度合いこそあれ、登場人物全員がクズな胸糞ストーリーです。


・ 『【R15】ドス黒なずみ童話 ⑥ ~どこかで聞いたような設定の血まみれの鍵~【なずみのホラー便 第51弾】』

 ちなみに、本作の応募時のタイトルは『青髭屋敷の秘密』でした。 

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【R15】ドス黒なずみ童話 ⑥ ~どこかで聞いたような設定の血まみれの鍵~【なずみのホラー便 第51弾】 なずみ智子 @nazumi_tomoko

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