だらしない恰好

正直申し上げて、かつての私は、イチコのような女性を心底軽蔑していました。


女性としての自覚のない、ましてや自宅で家族の前だけとはいえ、下着だけの格好で過ごすような方は、<人>ではなく<獣>だとさえ思っていました。


ですが、イチコもカナも、まぎれもなく<人>であり、<女性>なのです。特定の誰かが思う<人間らしさ>や<女性らしさ>とは違っていても。


そう。世間一般で言うそれらは、所詮、顔も知らない<誰か>が唱えているだけの主観でしかないと、私は思い知らされました。


イチコもカナも、とても思い遣りがあり、他人の存在を否定することを良しとしない、あたたかい心の持ち主なのですから。


そういうイチコ達の存在を否定する方々の方がよほど独善的で、自分達の価値観にはそぐわないというだけで他者の存在を平然と否定する、狭隘な価値観の持ち主であると思い知らされたのです。


なにしろ、イチコは、自分のことを否定する人の存在すら否定しないのです。自分のそれとはまったく相容れない価値観を持つ人のことさえ、彼女は容認します。


「別に好きにすればいいじゃん。私のことはお父さんが認めてくれてるから、他人が何を言ってたって平気だよ」


そう言って微笑むのです。


彼女は、お義父さんに心を満たしてもらっていることで、他人からの承認を必要としていないのでした。


自分をこの世に送り出した張本人である両親から認められているという確かな実感がある彼女には、他人の承認は必要ないのでしょう。


だから翻って、自分を承認しない他人を否定する必要もないのでしょうね。


私の両親は、私のことを間違いなく認めてくださっています。でも、それはあくまで言葉の上だけのことで、実感が伴っていなかったことも事実です。かつての私は、その<実感>が欲しくて暗中模索していたことが今なら分かります。


それを気付かせてくれたのも、イチコ達なのです。


そして今では、カナもその実感を得ているのでしょう。どんなにだらしなくても、どんなに女性としてみっともなくても、彼女という存在そのものを認めてくれる。


故に彼女は救われ、幸せを得ました。


私は素直にそれを喜びたい。


だからといって私もイチコやカナと同じように下着姿でお義父さんの前でだらしない姿を晒せるかと言われれば、それはまだ無理です。


けれど、イチコはそれさえ認めてくれます。


「私はこの方が楽だしリラックスできるからだらしない格好してるだけで、だらしない格好してる方がリラックスできない人は別に無理してだらしない恰好する必要ないじゃん」


と。


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