そこにある現実

子供の<性>に関する話題から目を背けることが適切な対応であるとは、私は思いません。


むしろそれは、自身が<人間>であることを否定する行為であるとしか思えないのです。


そして<性>を蔑ろにし、軽んじ、嘲るような大人を見倣った子供が、妊娠している女性を嘲笑うような人になるのだと、私は推察します。


だから私は、自身の中に芽生えた<性的な衝動>についても、真っ向から向き合いたいと考えます。


もっとも、私が自身のそれを自覚したのは、割と最近のことなのですが。


それまで私は、性的なことについて、ヒロ坊くんと同じように関心がなかった……


…いえ、『ヒロ坊くんと同じ』ではありませんね。彼はただ関心がないだけで、性的なことをことさら嫌悪してはいません。ですが私は、明らかにそういうものを嫌悪していたのです。


蔑ろにし、軽んじ、嘲ってはいなかったとは思うのですが明らかに見くびって嫌悪していたのは事実なのです。


今から思えば私は、自身がどうやってこの世に生まれてきたのかまるで理解していなかったのでしょう。自身がこの世に存在するということは、両親の性的な営みの結果なのですから、性を嘲るということは、ひいては自らの両親を嘲るのと同じなのではないでしょうか。


まさか今時、自分がキャベツから生まれただとか、コウノトリが運んできたなどと本気で信じてらっしゃる方も滅多にいないと思います。


また、性について脚色せず、真っ当に向き合おうとしないということが、カナのお兄さんのように性についての認識を歪ませてしまうのではないでしょうか。


人間も生物の一種である以上、<性>は、人間という種の生態の一部でしかありません。それ以上でもそれ以下でもないのです。


ことさら矮小化したり、逆に美化したりというのは、性についての冷静で客観的な理解の妨げになるとしか思いません。


その一方で私は、彼のことが好きです。いずれは身も心も結ばれたいと思っています。


しかし同時に、厳然たる事実として、彼はまだ、自らの行いについて責任を負うことができません。だから今はそういうことはできないというのも分かります。


故に私は待つのです。彼に自らの責任を果たせる能力が備わるまで。


彼がもし、性について関心が強く、我慢が効かないようであれば、一緒にお風呂に入ることを避けたでしょう。彼に過ちを犯させたくありませんから。


ただ、彼にとっては、自身が男性であることも、イチコやカナが女性であることも、あくまで<そこにある現実>でしかなく、<欲望>とは結び付かないようなのです。


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