物の数では
実は、大変なのは沙奈子さんの家庭だけではありませんでした。
それどころか。私自身としてはむしろそちらの方が身近で大変な<事件>だったと言えるでしょう。
こちらは、カナのお兄さんが起こした事件です。
ですがその事件は、沙奈子さんのお姉さんが起こしてしまったものとは違い、実に身勝手極まりない、まさに唾棄すべき所業と言えるのかも知れません。
なにしろ、見ず知らずの女性の部屋に侵入して乱暴を働くというものだったのですから。
それが自身と血の繋がった兄によるものであることを知ったカナの絶望は、文字通り筆舌に尽くしがたいものだったと思われます。
この時のカナをめぐる諸々について詳しく触れると、それだけで長編小説が一本書けてしまうかもしれないほどのことですので、敢えて割愛させていただきます。
ですが、そのようなことがあった時にも、彼は、ヒロ坊くんは、混乱するカナを心から労わってくれたのでした。
小学生の男の子がですよ?
錯乱しそうになる自らを鋼のような精神力で抑え付けつつ平穏を装うカナを見た瞬間、彼は言ったのです。
「カナちゃん、大丈夫?」
彼にはカナの辛さが見えていたのかも知れません。
そんな彼の優しさに、さすがにカナも声を殺して泣き出してしまいました。御手洗さんがカッターナイフを手に現れた時でさえ怯むことなくそれを制圧してみせたカナが……
この時のヒロ坊くんの言葉は、以下のようなものでした。
「カナちゃん。よしよし。泣いたらいいよ。いっぱい泣いたらいいよ。泣いたらね、すっきりするから。僕も、イヤなことがあった時には泣くんだ。イヤなことがそんなにイヤじゃなくなるまで泣くんだよ。そしたらね、元気になれるよ」
……これを、小学生の子が紡ぎ出したのです。大人でもそういう時にすんなりと口にできるかどうかということを。
「うん…うん……ありがとうヒロ坊……ヒロ坊がいてくれて本当に良かった……」
涙声で、かすれながらようやくそれだけを口にするカナの頭をそっと撫でる彼の姿は、誇張抜きに、
『神々しい……』
とまで感じられるものでした。彼はいったい、どこまで私の心を鷲掴みにすれば気が済むのでしょう。
でもそれは、彼のお父さんである山仁さんがいつも彼やイチコに言っていたことだそうです。
だからこそ察せられてしまいました。カナのお兄さんは、ご両親にそんな風に言ってもらえたことがないのだろうということを。
<事件>が起こるには、そこに至る要因が確かにあるのだということを。
もちろん、だからといって女性に乱暴を働いていいという道理とはなりません。
沙奈子さんのお姉さんが事件に至ってしまった経緯に比べれば、それこそ物の数ではないのでしょうから。
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