第1話−9




 身体を揺さぶられてメシアはメシア・クライストは目覚めた。




 何度目だろう、マリアの心配する涙目を見るのは。




 高機動車は停車していた。物理シフトの効果が消滅し、高機動車が3次元へ復帰したことを示していた。




また片頭痛が首から後頭部にかけて脈動に合わせ、痛みがこだましていた。




「今日はどうしちゃったのよ」




震える細い指先で彼の腕を掴んでいるマリアが不安を口にした。ここまでの不安を漏らすのは、変事が起こり始めてから初である。




地下鉄のトンネルで意識をもうろうとさせたあげく、倒れてしまった時から、メシアがどこか遠くにいるような気がした。今も透明化した高機動車が車両をすり抜けていくのに、車内で驚きの声が少年の口から弾ける中、メシアはマリアの横で、眠るように頭を彼女の小さい肩に倒した。




 甘えてきているのかとも最初はマリアが思ったが、どうみてもそれは気を失った様子だったので、彼女は動転した。それと同時に車両は停車したので、車内には軽くパニックの渦が巻いた。




3次元へ座標を移したら車両から降りる神父は、自分の前に広がる溝を見下ろし、視線を十数キロ先で触手と戦闘を繰り返す巨人の上へ下ろすと、嫌悪感に溢れた舌打ちをした。巨人が戦いのなかではね飛ばした瓦礫が、流れ弾のように高速道路へ被弾したのは明白であった。




「下に降りて宇宙港へ向かうぞ」




 メシアの現状をかえりみずに全員へ、命令を下した。




「でも、メシアが」




興奮して、涙を丸い瞳に、溢れんばかりにためて訴えるマリア。




 ここでメシアは覚醒したのだった。




「急げ、ここにいると喰われる」




人の感情はそこになかった。




メシアは自分がどこにいるのか、どういった状況なのか、悪夢と現実の境目を抜けたことで、頭が混乱状態に陥り、脳が混乱状態の渦を巻いていた。




神父に促され、慌ただしく足音を立たせるのはイラートである。が、入り口前に座る姉と背の高い男は立ち上がろうとしない。




エリザベスはメシアの膝に手をのせて心配げに顔を覗く。




「水分補給できるものはありませんか」




若い兵士は、運転席の足元に置いてある、黒いスキンシートのようなものに包まれた、タンブラーをエリザベスに渡した。


 ここで救世主に死なれても困る。そんな顔をベアルドはしている。




彼女はそれをメシアに差し出す。




「少し飲んだ方がいいわ」




力ない指先でそれを彼は握り、干からびて鉛色に変色した唇に、水分を入れた。




マリアは彼氏を心配げに見上げると同時に、エリザベスを黒い霧がかかった瞳で一瞥した。嫉妬に近い感情が彼女の胸にかかっていた。




エリザベスの献身を横で冷静に見るとファンは、顔を神父の険しい視線に重ね湖面の口調で訊ねた。




「避難に異論はありません。しかしその前に、状況の説明をお願いしたい」




冷静でありながら、嫌悪感が蜜のように絡まった言葉は、彼の持ち合わせた独特の説得力で、神父の身体を助手席へ戻させた。




眼鏡を上げ、未だ手に所持する銃をひとつ撫で、神父は開口した。どこまで未来を口にしていいものか。50を過ぎた白髪混じりの神父は迷いながら口開いていた。




「君たちはたいへん、危機的状況にいます」




と、ラジオのスイッチを入れて、つまみを調節した。耳に砂嵐が吹き込み、チャンネルを合わせようとしているのが耳だけで理解できた。




切れぎれに声が砂嵐に混じる。




「まだ、放送を試みる人たちもいるのか!」




ファンが驚きと愕然を声に乗せた。




「引き続きお伝えします。異常事態です。


今日、午前8時23分、複数の隕石が天文台で確認されました。NASAの発表では直径数メートルから十数メートルの大きさの隕石が少なくとも70個確認されたとのことです。


それらは世界数十ヶ所に落下しました。被害は現在までに分かっているところで、アメリカ合衆国で3000万人、ロシア2500万人、中国で2億7000万人、インドで5億2000万人――」




これまでに聞いたことのない死者数が読み上げられていく。




みるみる全員の顔が氷に閉じ込められ、意識が蜃気楼の中をさまよっていたメシアの顔も、能面のように更に青白くなっていた。




 どうなってじったんだ? これは現実っていうのか。心中でメシアは呟いた。




 しかし耳を塞いだところで、現実は不動の残酷を彼らの前に提示し続けた。




「隕石の落下に伴い、世界各地では自然災害が相次いでいます。


日本ではマウントフジ、アメリカのベーカー山、ドミニカのトロワ・ピトン、エチオピアのエルタ・アレ、カメルーンのカメルーン山、トルコのアララト山などが噴火しました。また、地球各地のプレート連動して地震が断続的に発生しています。沿岸部にお住まいの皆様は、津波が発生していますので、高台に避難してください」




淡々と機械的にしゃべっているよだが、アナウンサーも現実感がないのである。だから、目の前に提供された情報を読むしかなかった。




「未確認生命体が各地で発生していますので、命を守る行動をとってください。なお、未確認生命体の詳細は不明です。現在、各国で戦闘が繰り広げています。この軍事行動による、国同士の戦闘も、未確定情報ですが、始まっているとのことです。


なお各国は核兵器使用情報もありますので、なにが起こっても不思議ではありません。繰り返しますが命を守る行動をとってください」




神父はラジオのスイッチを切った。同時に胸元で十字を描いた。


車内は空気が氷のように張りつめた。




「・・・・・・終末、ハルマゲドンが現実となったのですか」




 やはり妙に落ち着いたファン・ロッペンが尋ねた。




 けれども神父は答えようとはしない。未来を知るからこそ、何も言えなかった。




「世界規模でこことおんなじ状況が繰り返されてるってこと」




 今度はエリザベス・ガハノフが長い髪を耳にかけながら、不安げに眉をひそめて尋ねる。




 ここでようやくマックス・ディンガー神父は、2人の問いに同時に答えるように、眼鏡をあげながら言った。質問ばかりで避難する気配がないのを焦燥して、思わず口を開いてしまったのだ。




「単位が違います。全世界規模ではなく、全宇宙規模、全次元規模で終末が到来している。つまり君たちが未だ知らぬ世界、生命体すらも人類が遭遇する前に絶滅しようとしている。今の人類が直面しているようにね」




 そこに誰1人、現実の味を感じることはできなかった。けれど車外で来る返される光景、死者の数、巨人の戦闘は真実であり、まぎれもなく現実なのだ。そこが妙に神父の荒唐無稽な話に骨組みを与えていた。




「冗談じゃねぇぜ」




 憤慨した様子でイラート・ガハノフは脚を組んだ。イライラしながら25歳には見えない彼は言った。




「だいたいどこから沸いたんだよ、あの化け物どもは」




 それもまた疑問の1つである。面々は身勝手に隕石から沸いて出たとばかり認識していたし、宇宙生命体だと思い込んでいた。




「全員外へ」




 神父は1人、先に車外へ出る。このままだと避難が遅れると神父は思ったのだろう。




 若者たちも重い石のような脚と引きづり、車外へ出た。




 空は夏の夕暮れがおおい、空気は暑さを未だはらんでいるものの、身体に突き刺さる陽光が皆無なだけでも、夏の拷問のような暑さがなく、和らぎを覚えた。




若い兵士はライフルをしっかりと抱き、周囲へ睨みを配る。いつ化け物どもが襲ってきても、不思議ではないのだから。




ファン、イラートに続き、足取りが鈍いメシアを、身体の小さいマリアと背丈がメシアと同等のエリザベスが両脇から抱え、荷台から下ろした。




マリアは彼氏を必死に支えてはいるが、ほぼ支えているのはエリザベスである。




それを見つつ、マリアも彼を支えようとするが脚がもつれ、逆に邪魔になってしまう始末に、顔が赤く染まるのだった。彼女はエリザベスへの対抗心が空回りしたのを恥ずかしく思った。




全員が高機動車にから降りてて、20キロは離れているにもかかわらず、その巨体は間近に眼に写る巨人は、未だに戦闘を繰り広げていた。




「あの触手を君たちはどう見る?」




神父から唐突に問われても、若者たちは返す言葉はない。生物であるのは確かな事実なれど、あれほど巨大な生命体を、彼らは知らない。




「この世には科学では証明できない事柄が、確実に存在する。今、人類は公にそれを認めさせられているのだ」




神父は実感のこもった眼差しを戦いの渦へ落とすと、リボルバーのグリップを握りしめた。そして確信を口にする。




「デヴィル。奴等はその汚らわしき子供たち、デヴィルズチルドレンだ」




唐突にでもあり荒唐無稽の、大味の言葉でもあったせいもあって、若者たちはあっけらかんと口を開いていた。




「荒唐無稽に聴こえるだろうが、真実は君たちの目の前に提示されている。それがすべてだ」




 確かに眼前には暴れ狂う触手とこの数時間、死闘を繰り広げる巨人の姿が見えていた。高速道路の眼下には肉の波が渦を巻き、人を喰らい、血しぶきで街は濡れている。




 それでもデヴィルの存在を信じろ、という方が無理なのだ。




「おっさん、冗談はその辺にしといてくれよ。ばけもんがいるのは承知してるけどよ、あれが、デヴィルず、ち、ちるどるん? なんて悪魔の子供だっていうほうがどうかしてるぜ。それこそ映画か小説かコミックの世界の話だ」




 髪の毛をなで上げる少年っぽいイラート・ガハノフは、初めてに近いまっとうな言葉を神父に投げかけた。




 それを不本意そうに姉が、両肘を抱えて援護する。




「非科学的ですね。第一、この現代においてデヴィルなどという非科学的な存在が現出するなどありえません。しかも何故、今なのです? 古代からデヴィルと呼称される存在は書物に登場しています。神の信仰と同時に対峙する存在として登場したデヴィルがもしも実在するのでしたら、遠い昔に現実へ溢れ出ているはずではありませんか」




 ハッキリ物を言う女性は、神父に疑問と否定を投げつけた。神父だから仕方ないのかもね。そういう呆れた気持もエリザベスの心にはあった。




「悪魔の最大の能力は、気づかれないことだ。昔ある人物が残した言葉です。デヴィルは人間社会に確実に太古から存在していました。古くは自然災害、病気を悪魔の仕業と定義していた。世界最古のゾロアスター教にも、悪の存在はある。


神父らしいことを言わせてもらえば、エデンの園からアダムとエバが追われたきっかけ、知恵の実を食べさせる誘惑をした蛇、イエスがゴルゴダの丘まで歩いた道すがら、顔を覗かせた悪魔。これら最古の書物、聖書に描かれたのも、デヴィルの真実なのです」




メシアは頭が渦巻き、目の前が歪んで、まだ意識がはっきりしない中で、神父が無理を言っているのは承知していた。けれども、神父が嘘を語る道理はなく、そうした人物でないことも理解していた。だからといって全てを咀嚼することはできないが、自分がこの1日に経験したことを追憶すると、どちらとも言えぬ、曖昧な気持ちになった。




それがマリアの方を抱く手の曖昧な力の加減となって現れた。




「お父さんは、本当にわたしのお父さんなの?」




マリアはようやくの思いで、薄い唇から風に飛ぶほどの小声で、囁くように訊いた。




神父は娘の顔を見る。が、すぐに顔を背け戦場の渦巻く死闘へ眼を向け、喉を上下させた。




銃を神父は衣服をめくりあげ、腰のホルスターへ戻し、少し溜め息をついてから、短く息を素早く鼻で吸い、真実を口にした。


いずれ乳飲み子の、握れば砕けてしまいそうな娘を抱いたときから、この時が来るのを恐れていた。だが、その時は到来してしまった。この運命を呪いながら、神父は口を開くのだった。




「わたしも、ここにいるベアルド・ブルも現代の人間ではない。君たちが考えもつかない遠未来からタイムリープしてきました。端的に言えば未来人なのですよ」




またもや荒唐無稽な話題となった。




威厳のある神父の風貌からは想像できない言葉であり、メシアたちは違和感を禁じ得なかった。




「なるほど。確かに整合性はとれる。物理シフト、あのデヴィルを殺傷しようとする巨人。現実ではないことが我々には提示されているが、未来の科学力ならば、あるいは」




口を結び沈黙を保っていたファン・ロッペンが咀嚼したような顔つきで神父を視線で射ぬいたい。




本気でいってるのか! と言いたげにエリザベスが横目で見た。弟も理解できぬとばかりに地団駄を踏んだ。




「そう。僕たちは君たちには理解できない技術を用いている。当然、これからの出来事も分かっています」




若い兵士ベアルド・ブルは高みから見下ろすように嘲笑し、若さゆえの人を蹴り下す態度を取った。




上官神父は、余計なことを、と言いたげにキリッとベアルドを


睨み付け、吐き出したい声を飲み込ませた。




これからなにが起こると言うんだ。メシアの胸に言い知れぬ不安が疾風の如く吹き抜けた。




その時、数キロ先の巨人が倍の大きさもある触手のひと薙ぎが銅を横殴りに入り、金属を肉で叩くような音が都市を振動させた。そしてあれだけの巨人の巨体が枯れ葉となって中空を跳ね、海原へ波を起こして、海底へと沈んでいった。




「HMが退却とは、事態は深刻だな」




口の中で誰にも聞こえない言葉を言った神父は、眼で部下に合図する。




兵士はライフルのベルトを袈裟懸けに駆けて背負い、高機動車の幌の中へ入った。ものの数秒後、幌から吐き出されるように、黒いロープの束がアスファルトへ投げ出された。




若い兵士はロープの束を担ぐと、高速道路からむき出しになってしまった鉄棒に手際よくロープを縛り付けると、奈落のような直下へロープを投げ出した。




若者たちは気付く。魑魅魍魎が渦巻く下界へ、自分たちは降りるのだと。




第1話―10へ続く

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