終わりなき神話

@ZinFuzisima

プロローグ1

『誕生』




「産まれた、産まれた」




 大聖堂の金が反響するように声が空間にいくつもこだました。




 真っ白くどこまでも広がる、地も天もない空間に虹色の輝きが満ちている。そこには波に浮かぶキューブのような白い球体が、数字では形容できない数が浮遊していた。これが神々と天使たちである。




 人は擬人化する神々や天使は人間の空想上でのことであって、本来は形など存在しなかった。




 ここは人類が『ヘヴン』と呼ぶ場所。時間も空間も次元もありはせず、ただ終わりのない白と虹色とそこに存在する神々と天使たちの本来の姿、白い球体がどこまで行っても永劫に続いていた。そもそもこの場所に移動という概念すらもなく、本来ならば人が可視することも不可能な場所になる。生命体を含めあらゆる物質、反物質が侵入することのできない、神仏様と天使たちだけが居る場所。




 その神仏と天使たち球体の意識が漂う場所の中心に、巨大な人間の赤子の立体映像のようなものが丸まっていた。大きな産声は空間全域に広がる。赤子はこの場に存在はしないがあたかもそこに居るかのように、母親の体液に濡れていた。




「テラ人として産まれたか」




 1つの球体から声が響く。オーディンそう人間たちが呼ぶ神であった。




 オーディンはテラ人ならば、とある音楽をイメージする。すると無限の白と虹色の空間に「ベートーヴェン作曲、交響曲第九番第四楽章四部合唱」が響き渡った。




「歓喜の歌」




 テラ人として産まれたからこそ、オーディンはあえてこの楽曲を選び、これから彼が背負う苦難、苦しみ、すべての業。それらに負けぬよう、歓喜で誕生を祝ったのだった。




 神仏も天使たちも知っている。この赤子の行く道がどんな茨の道であるかを。どんな懊悩の道であるのかを。




 だから今だけは、このヘヴンでだけは歓喜で誕生を祝いたかった。神仏と天使たちはそう思っていた。









 たばこを口にくわえ、サングラスを指で押し上げながら、黒髪とレザーコート、黒いワイシャツと黒いレザーパンツ、黒いブーツといかにも攻撃的な恰好をした彼は、自身がこの肉体、つまりホモサピエンスの肉体に、デヴィルとしてのすべてを押し込めていることに、不機嫌になりながら、煙を空中に吹き上げた。




 ヘルバースからわざわざ出てきたというのに、こんな肉体に自らを閉じ込めなければならないとは、25歳の見た目のデヴィルアモンも、幸運はないものかね。そう言いたげにたばこをまた一口、口に呑んだ。






 煙のようでもあり水に溶ける絵の具のようでもあるその形が定まらない生存体を、神々とデヴィルはアストラルソウルとよんでいた。








 人類を含む数多の生存体は、人類がそうであるように複数の素粒子が構築する組織体である。その一方で精神のみの、つまり複合霊体と呼ばれる状態の生存体も中には存在する。人類が思考できず、認識を不可能とする生存体であった。








 すべての生存体は無限大という果てしない数字に等しい数だけの精神体、つまりは魂と呼ぶべき非物質が重なり合って構築されている。簡略的にいうなれば、生存体とは薄い紙のような魂が束となって1つの個人を形成している。それが自然の摂理。








 そうした無限の精神体が1つとなって個人が形成されているが、それらはすべて殻のようなものに納められている。人類でいうなれば肉体が殻である。精神体は殻に納められている以上、その本来の姿を披露することはできず、物理空間で制約が課せられているように、不自由なのである。が、アストラルソウルという生存体の上位存在へ進化した時、生存体は本来の意味での自由を謳歌できるのであった。








 ここはそうした究極の進化の先端に立った者たちが生存する世界、【アストラルワールド】と呼称される世界である。








 雲、あるいは霞のように物理的視覚の能力が認識するアストラルソウルは、けして眼に認識されるものではない。物理空間を含むあらゆる次元から独立し、離脱した場所なのだから。








 けれども例外はある。そうしたすべてを超越した存在を認識できる存在、つまり神とデヴィルがその例外だ。








 ヨセフは青と白の間を行き交う色の肩まで伸びる髪を搔き上げ、下唇を噛み、疲弊した隈のある眼を上部へ向ける。すると複数のアストラルソウルが風に吹かれるように消滅した。神は何者による意図ある消滅なのかを理解し、その消滅が兆を超える生存体の消滅である事実もまた理解した。








 髪の毛が青と白に明滅して瞳が青い神ヨセフ。本来はノアの子孫であるアブラハムを祖父、その子ヤコブを父に持つ青年であるが、死後、神としてヘヴンバースを創造するまでになっていた。








 姿は他の神々と違い常に人間の姿をしているが、その明滅する髪の毛が神の力を象徴し、筋肉質の腕が出た白い、あさぬのの衣服を身にまとい、白いなめし皮のパンツをはいている。年齢は36歳程度に見えるが肉体的年齢は神にとって意味がなく、アラブ人顔をしていても、それも旧約聖書に記載されている時代の残像が今の神の肉体を作っただけである。








 彼には1つの霞の集合体にしか認識できないそれは、人類概念の数字では数えきれないほど、アストラルソウルが集結した、コミュニティなのだ。だから風に吹かれるように霞が消えたように、穏やかな光景に見えたとしても、それは凄まじい数の生存体を消滅させた残虐行為にほかならなかった。








 ヨセフの青い瞳が正面をまた見据えた時、自らの虐殺行為が甘い味のするものであることを噛みしめるアモンが、悪戯をした子供のように微笑んで神を見据えていた。








「なにをそんなに憂うことがある。生存体を消滅させる。それがデヴィルの摂理であって自然界の掟だ。それを悲しみで見るとは、つくづく貴様も変わった神だな」








 黒く短い髪を撫でつけ、アモンはヨセフの感情が理解できない様子で、首を人形のように傾けた。








 黒い髪の毛、黒い衣服、黒い革のロングコート。そしてサングラス。悪魔というイメージからかけ離れた白人の姿をした容姿のアモン。25歳程度の見た目の人間の肉体に入っている。








 本来アモンとは、梟の頭、狼の胴体、蛇の前足として描かれるデヴィルであり、魔界の最強の戦士と称されることもあるデヴィルなのだ。








「貴方へ言うのはきっと違うのでしょうけれど、わたしには分からないのです。生存体は産まれます。そして生きて必ず終着地点には死が待ち受けているのですよ。それなのになぜ、生存体は生きるのです。なぜ死ぬために産まれるのでしょう」








 神とも思えぬ問いに、アモンは絶句した。ここまで神が甘いことを言い出すとは思っても居なかったからだ。








「馬鹿じゃねぇのか。貴様ら犬が構築したシステムだろうが。産まれて死ぬ。ルールがなんのために存在するかなんぞ、俺が知るわけねぇだろ。それに、魂ってやつは生存体から離脱しても永劫にあり続ける。つまり生死とは一時のことであって、すべての魂は生死を1つのプロセスとして通過するだけのこと」








 と言いつつアモンは呆れた笑みを口元に浮かべた。自分が神のように説いているのが馬鹿馬鹿しく思えたのだ。








 だが、ヨセフはそれが疑問の種にしかならず、種を奥歯で噛み砕く感覚をおぼえた。








 神々の意見の総意として、世界はそうした構造となった。魂と呼ばれる存在がつまりは生存体という器へ入り、あらゆる多次元にその存在を置き、多次元生存体として生から死へと向かう。そして器の崩壊により魂は霊界へ一時保管され、生存体であった期間の行いが魂の位を上昇させる。








 しかしそれが正しいのかヨセフには疑問であった。生から死というその期間、神々にとっては一瞬でしかないその僅かな時間に、生存体は大なり小なり波を経験する。








 心という不確定なところに癒えない傷を負うこともある。それが位を高めるための鍛錬だというのが神々の考えであるが、それほどのことをしてまで、魂の位を上昇させて、いったいその先になにが待ち受けているというのだろうか。魂は魂、生存体は生存体、個人を差別するだけなのではないだろうか。








 ヨセフの心理にはそうした疑問が浮いては沈みを繰り返していた。けれどもこの疑問を口走ることは、つまり神々への離反と見なされ、堕天する可能性もあった。だからこの場でしか口にできなかった。皮肉にも最大の天敵たるデヴィルの前でしか思想の主張は許されないのだ。








「答えをここで出すのは時期尚早。わたしが結論づけることではないし、君と議論する問題でもない。忘れてくれ」








 ヨセフはそう言うなり右腕を掲げた。すると腕全体が青く燃える。まるで丸太が青い炎に包まれるように。








「次ぎは戦いというわけか、ヨセフ。いいだろう。世迷い言をぬかすより、そっちのほうが分かりやすくていい」








 アモンも戦いに賛同し、ニヤリと好物を前にしたように微笑する。と、彼の身体から黒く、粘度の高い液体が放射された。刹那、それは一匹の獣へと変化した。豹や獅子の類いに容姿が類似したそれは、アモンの下部として、ヨセフの前へ躍り出て対峙した。








 この時、ヨセフは戦いの間際でも思うことがあった。








 彼がきっとすべての答えを導き出してくれるだろう。彼の考えこそが、世界のすべてを変え、きっと良き未来を導いてくれるのだから。








 例え、神々の考えと相違があったとしても、良い未来なれば。ヨセフは深く心に呼吸のように刻み、炎に包まれた腕を振り下ろした。

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