番外編 星雲特警と怪獣映画

 ――20XX年、4月中旬。

 桜が散り、新学期という時期ではなくなり始めた春の日。火鷹太嚨は1人、寂れた商店街に足を運んでいた。


 黒のレザージャケットに袖を通し、赤いスカーフを首に巻く、優雅な顔立ちの少年は――薄気味悪さが漂う街道を、静かに歩む。学校も、孤児院のバイトもない休みの日は、こうしてここに訪れるのが定番になっていた。


「うわっ、とと……ごめんなさい」

「……あぁ、大丈夫。気をつけて通りなさい」

「はい、すみませんでしたっ」


 目的地手前の曲がり角。そこで身形みなりのいい通行人の男とぶつかりそうになり、太嚨は咄嗟に身をかわす。その後、穏やかに対応する通行人に頭を下げた彼は、足早にその場から立ち去って行った。


「……」


 自分の背を見送る、通行人の男。その鋭い視線に、気づくこともなく。


 ◇


 少年の行き先は――薄暗い街角の地下で、ひっそりと経営されている小さな映画館。掃除が行き届いていないのか、床や壁は汚れで変色している。


 その内装を一瞥した後、太嚨は受付に足を運んだ。向かい側から顔を出してきたのは、口をへの字に曲げた小柄な老人。

 彼は太嚨の顔と首元の赤いスカーフを見るなり、これ見よがしにため息をつく。


「へいらっしゃ……なんじゃ、また坊主か。ここんとこ毎週通いつめとるなぁ、お前さん」

「館長さん、こんにちは。……学生1枚、いいですか?」

「うちには学生割引なんぞない、いつも言っとるじゃろが。……またあの映画じゃろ。今時の若もんにしちゃあ、随分偏屈な趣味しとるのう」

「あはは……」


 太嚨は財布から小銭と札を出し、1枚のチケットを受け取る。その後、受付の隣にある、劇場への入り口で座っていた老婆にチケットを渡した彼は――汚れた廊下を渡り、暗く狭い劇場に向かって行った。


「……」


 席はほとんどガラガラ。自分以外にも数名の客はいるが、年配者ばかり。そんな見慣れた光景を眺めながら、太嚨はお気に入りの席に着く。

 画面全体を見渡せる、最後列だ。と言っても、劇場自体が小さいのでそこまで前列との差があるわけではないのだが。


「よっ、と。坊主、ここ最近ずっとコレ見とるのう。若もんにはそんなに珍しいか?」


 すると。さっきまで受付にいた老人が、太嚨の隣に腰掛けてきた。その状況に、少年は目を丸くする。


「え? 館長さん、受付は?」

「どうせ今日の上映はこれで終わりじゃからの。……館長権限じゃ、ケチケチ言うでない」

「は、はぁ……」


 一方、館長であるはずの老人本人は気にした様子もなく、間も無く上映を迎えようとしている大画面に見入っていた。足が床まで届かないのか、小柄な老人は両足をプラプラと降り続けている。

 そんな彼をどこか可笑しく思いながら――太嚨も、上映が始まった画面に視線を移すのだった。


 ◇


 ――それは、戦争を知る世代が前世紀に制作した、モノクロの特撮映画だった。


 ある日突然、地質調査を行なっていた樹林警備隊を襲った謎の怪獣。50mにも及ぶ巨体である、その怪獣は――まるで、キノコ雲のような異様な面相を持っていた。

 その正体は核実験による環境破壊の影響で突然変異した、ジュラ紀の恐竜だったのだ。

 圧倒的な耐久力と破壊力を兼ね備えた怪獣は、警察や軍隊を圧倒。街は破壊され人々は逃げ惑い、人類はなす術がなかった。


 ――そんな時。ある1人の天才科学者が、怪獣を抹殺する超兵器を作り上げる。だが、その超兵器が軍事利用される事態を危惧した彼は、機密が漏れないよう資料を焼却。

 さらに超兵器を、親友の樹林警備隊隊員に託して――拳銃自殺してしまうのだった。


 そんな彼の想いを受け止めた隊員は、怪獣を仕留めるための特別攻撃に志願。超兵器を誰にも利用させないため、仲間達にもその存在を隠したまま死地に向かい――やがて、怪獣の眼前で超兵器を作動させて、自爆した。

 怪獣との相討ちに持ち込んだ彼の死を悼む警備隊隊長は、「この悲劇を繰り返させぬためにも、自然を守らねばならない」と、決意を新たにする。


 ――それが、この映画の内容であった。

 過去のノウハウも何もなく、手探りの中で制作されたこの作品は、非常に粗も多い。だが、それを感じさせないほどの作り手達の想いが、画面を通じて観客達を惹きつけていた。


「ええのう……やっぱCGなんぞ邪道だわい。あの爆煙と臨場感は、生の映像でしか出せん。やはり昔ながらの特撮じゃないとなぁ」


 隣で、そう独りごちる館長を一瞥しつつ。太嚨は、怪獣を倒した後のラストシーンを、神妙な面持ちで見つめていた。


『……あの怪獣は、本当に最後の1匹だったのだろうか。奴という存在は、氷山の一角でしかなかったのではないか?』

『本当にそうだとしたら、我々人類は……どうなってしまうのでしょう』

『わからん。……だが、環境破壊の悲劇が繰り返される限り。この戦いも、犠牲も……同じように繰り返されて行くのだろう』


 沈痛な面持ちで空を仰ぐ隊長。その場面で映画は終わり、エンドロールが流れ始める。隣を見やると、館長が満足げな笑みを浮かべていた。

 太嚨のことを偏屈な趣味と言いつつも、実のところはこの映画が好きでたまらないらしい。


「やっぱ特撮はええのう……わしらが坊主くらいの頃は、仲間達と一緒に通い詰めたもんじゃわい」

「……今日も、来れて良かったです。今じゃ、ここでしか見られないから」

「そうじゃろ、そうじゃろ。……なぁにが不謹慎じゃ、全く。偉い連中はこれの良さがまるで分かっとらん」

「……」


 ――前世紀、それもこのような特撮映画が作られていた時代においては、怪獣も異星人もフィクションの存在でしかなかった。人が空想で作り上げた、幻想のものでしかなかった。

 だが、度重なる外宇宙からの侵略を受けて、それらのジャンルは単なる娯楽とは言えないようになってしまったのだ。映画の中だからと笑っていられたことが全て、現実になってしまったのだから。


 そのため、こうした怪獣や異星人の類を扱った特撮映画は「遺族の心傷を軽視する不謹慎な作品」と見なされ、弾圧されてしまったのである。

 以来この手の作品群は、ここのような場末の映画館でしか見られない程の、肩身が狭い状況に立たされてしまったのだ。

 観客が年配者ばかりなのも、怪獣や異星人が架空のものだった時代を、懐かしむ層が集まるからなのだろう。


「地球守備軍も随分強くなったと言うとるし、ちょっとは融通利かしたってええじゃろが。のぅ、坊主」

「……そうですね」


 不遜な口調で文句を並べ、鼻を鳴らす館長。その様子を横目に見遣りながら、太嚨は暫し物思いに耽る。


 ――3年前。星雲特警として戦う日々の中で、太嚨は異星人達が地球を襲わなくなった本当の理由を知った。

 この星にはもう、襲うに値するほどの「資源」がないのだと。その「資源」を失わせてきたのは、他ならぬ地球人なのだと。


(同じように、繰り返されて行く……か)


 その事実と向き合った上で、太嚨は映画の中で隊長が放った台詞を反芻する。

 ――地球の資源を犠牲にして、ドゥクナス星人を撃退し、平和を掴み。シンシアの犠牲を以て、シルディアス星人を滅ぼし、安寧を取り戻した。地球人は歴史の中で、絶えず「命」を切り捨て、目の前にある未来を守り続けて来たのだ。

 それはきっと、間違いではない。そうしなければ、今の平和はないのだから。


 だが、その平和はそれまでの「過程」によって今、脅かされようとしている。人類が自分達のために始めた核実験のせいで、誕生してしまった怪獣に脅かされていた――この映画のように。


 ――もしかしたら、この映画を作った当時の人々には、分かっていたのではないか。こうして人類が、痛みを繰り返して傷ついて行く未来が、視えていたのではないか。

 その思いゆえに、強いシンパシーを感じたから。太嚨はこの映画を観るために、ここへ足繁く通っているのだ。


(……じゃあ……オレは一体、どうしたらいい。これ以上、悲劇は止められないのか? 本当にオレは、全てを知りながら……死んで行くこの星を、見つめて行くしかないのか?)


 ――地球資源はまだ、すぐに枯渇するほど失われているわけではない。少なくとも太嚨が生きている間は、保つだろう。

 だが異星人達にとっては、奪う価値すらないほどに枯れているのだ。地球人よりも遥かに長く、悠久の時を生きる彼らから見れば、この星は枯れかけた井戸のようなものなのだろう。


 太嚨は、それをよく知っている。現在の彼の保護者である軍の高官も、その状況は理解している。だが、軍拡の気運が高まりつつある世情の中では、資源の減少を押し留めることもできない。

 それでも太嚨の素性を世間に明かし、説得力を得た上で地球の危機を訴えれば、世論を味方につけることも可能だっただろう。だが、それは太嚨の安全を気遣った蒼海将軍ユアルクの思いに、反することになる。


 そのジレンマを抱えていることも、彼が映画館に通う理由の一つであった。

 ――地球の資源という危難を知りつつも、何もできない。そんな苦悩を抱えた彼にとって、自分と同じ懸念を訴えるこの映画は、ある意味では救いだったのだ。


(コロル、ケイ。シンシア……)


 ただ生きているだけなのに。殺されるために、生まれて来たわけではないのに。強者の都合で犠牲を強いられた、映画の怪獣に重ねるように。

 太嚨は、亡き少年少女達の幻影を悼み、目を伏せる。


「はぁ〜あ。世の中、つまらなくなっちまったもんじゃのう。せめて、現実の樹林警備隊もカッコ良けりゃあなぁ」

「……!」


 館長のぼやきに反応した彼が、ハッと顔を上げたのは、その直後だった。太嚨は真剣な面持ちで、への字に口を曲げた老人を見つめる。


「……そういえば、この映画に出てくる樹林警備隊って……実際に在った組織なんでしたっけ」

「おん? あぁ、そうじゃそうじゃ。イタリアが発祥の警察機関での。今は守備軍に吸収されて……確か、自然警備隊ってのに変わっとるんじゃと」

「自然警備隊……ですか」

「まぁ、変わったと言っても密猟者の逮捕やら環境汚染犯罪の捜査やら、やることは昔と変わっとらんらしいがの。……じゃが今は、軍事開発だがなんだかで、森をめちゃくちゃにしとる軍部のやり方に反するっちゅうんで、肩身が狭くてたまらんらしいぞ」

「そうなんですか……」

「じゃから、今は左遷された隊員の溜まり場になっとるって話じゃ。……映画みたいにマジメな隊員なんて、1人もおらん。情けないのう」

「……」


 樹林警備隊、改め自然警備隊。この映画で語られる彼らの勇ましさと、その実態の間にあるギャップの凄まじさに、館長は深々とため息をついていた。

 一方。太嚨は何か思いつめるように、口元に手を当てている。


 ――理想と現実は違う。本当のところは、そんなにいいものじゃない。

 それは、太嚨自身が経験して来たことでもあった。


 宇宙の平和を預かり、全宇宙の人々の安全を守る正義の戦士。そう謳われる星雲特警の1人だった太嚨は、その美辞麗句に隠された現実を、嫌という程見て来たのだ。

 敵性宇宙人とあらば、女子供だろうと容赦なく抹殺し。10mもの巨大ロボットに乗り込んでまで、彼らを嬲り殺す。それは確かに、最大多数の幸福を守るための、正義の一つではあったけれど――喧伝されていた綺麗事とは、程遠い景色だった。

 彼らという存在はこの地球において、「天が遣わした救世主スーパーヒーロー」として半ば神聖視されている節もあるが――当事者の1人である太嚨に言わせれば、買い被りもいいところである。


 それでも、確かに正しくはあったのだ。ただ、美しくも格好良くもなかっただけで、やらざるを得ないという背景は、確かにあった。

 そうと知りながら受け入れられず、抗っていた自分だからこそ分かる。綺麗事ではない、汚くて仕方ない世界にも……意義は、あるのだと。

 シンシアを守ろうと「正義」に逆らった自分だからこそ、視えるものがあるはずだと。


「……おん? なんじゃ、妙にスッキリした顔しおってからに」

「……いえ」


 その思いに至った彼は、憑き物が落ちたような表情で顔を上げ、館長に穏やかな笑みを向ける。

 そして、エンドロールの最後に「終」と映された画面を見つめ――口元を緩めるのだった。


「……やっと。やりたいことが、視えた気がするんです」


 ◇


「……不審」

「不審、とは?」

「……先ほどから、ずっと物思いに耽っている。義父に送る酒の銘柄のことか?」

「違う。……というかあの歳でまだ飲むつもりでいるのか、あの人は……」

「還暦を過ぎても杖が必要になっても、義父は何も変わっていない。至極不愉快。……で、結局何をそんなに逡巡している?」


 商店街から離れた、東京の大通り。絶えず車と人が行き交う、日常の景色の中で。

 運転手を務めている少女――倉城くらきヒカリは「場末の映画館」の帰り道で、助手席に座る上官に疑問を投げ掛ける。上官の口数が少ないのは今に始まったことではないのだが、それにしても普段とは様子が違うように感じられたのだ。

 その機敏を見落とすような、浅い付き合いではない。永い年月の中で、命を預け合ってきたのだから。


「……さっき、変わった少年とすれ違ってな」

「変わった……?」

「年不相応な、眼をしていた」


 後部座席に座る身形のいい男は、目を背けるように窓の向こうへと視線を移す。


 ――年端も行かない少年でありながら、血と痛みと別れを知り過ぎた、帰還兵のような眼。それは5年に渡り平和を謳歌してきた、この星の市民としては余りにも奇特で、歪だ。しかもその首には、コスモビートルのパイロットの証であるスカーフがあった。


 矢城正也やしろせいや将軍は、そんな奇妙な少年の横顔を思い出し――暫し、物思いに耽る。


(……そう、あれはまるで……)


 あの貌はまるで。共に戦ってきた仲間達も、可愛がっていた子供も、何もかも喪い続けてきた――かつての自分のようだったのだ。

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