第6話 流れ着いた先

 闇夜に包まれた、静寂の中。

 幼子達の寝息に紛れて響き渡る、苦悶の声を――太嚨は、敏感に聞き取っていた。身を起こした彼の隣には、寝静まったコロルとケイ、そして……悪夢にうなされるシンシアが寝そべっている。

 やがて目を覚ました彼女は、自分を見つめる太嚨の視線に気づき、恥じらうように目を背けてしまった。彼にとっての自分は「妹」だが、自分にとっての彼は「異性」なのだ。


「……ごめんなさい、起こしてしまって」

「元々眠れなかったんだ、別に構わない。……怖いよな、やっぱり」


 太嚨はそんな彼女の黒髪に指を絡ませ、労わるように頭を撫でる。全てに絶望し、怯えていた1年前からずっと、彼はこうして孤独な少女を慰めてきた。


 ――母を奪われ、故郷を奪われ、命を狙われ。ただシルディアス星人に生まれただけの彼女は、募る悲しみを少年にぶつけるしかなく。生まれ持った鋭利な爪で、何度彼を傷つけたかわからない。

 それでも太嚨は、決して抵抗することもなく。彼女の怒りも悲しみも、その身で受け止め続けてきた。赤い服の下には今も、痛ましい生傷が隠されている。


 そうまでして自分を守ろうとする、彼の胸中がわからないほど、シンシアは子供ではなく。そうと知って、悲しみを堪えられるほど、大人でもなかった。

 母星と家族の仇であり、自分の恩人でもある。そんな彼に、シンシアが悲しみの爪を振るわなくなったのは、この星に来てから半年以上が過ぎてのことだった。


 ――彼女がどれほど例えようのない悲しみを、やり場のない怒りをぶつけても。傷つけても、彼は決して少女に光刃を向けることはなく。いつだって、傷だらけの地球人の腕で、優しく少女の体を包み込んで来た。

 その腕は、シルディアス星人の膂力に比べれば脆弱で、シンシアがその気になれば簡単に折れてしまうというのに。それでも彼は恐れることなく、ただあやすように、彼女に寄り添い続けてきたのだ。ヒトのものではない、異形の少女に。


 その献身に、次第に心を溶かされ。やがて彼女は、彼なしではいられなくなってしまっていた。それが異性への欲求であると、少女自身が悟ったのは、つい最近のことである。

 全てを奪われ、悲しみの中で生かされてきた彼女は、この銀河の果てまで流された今になって――ヒトらしい感情を得るに至ったのだ。


「……」


 やがて。太嚨の掌から伝わる甘美な温もりに、甘えるように。シンシアは顔を背けたまま頬を染め、吐息を漏らす。彼に貰った宝物――淡い桃色の花飾りを、胸に抱いて。


 ――ずっと、こんな時間が続けばいいのに。誰にも脅かされることなく、こうして暮らしていられればいいのに。そう願うたびに、昼間に突きつけられた「現実」が、彼女の涙を誘う。

 毛布に染みる雫を一瞥した太嚨が、そっとシンシアの背に身を寄せたのは、その直後だった。


「あっ……」

「……君も、コロルもケイも、必ずオレが守る。寝る前に、そう言っただろう? 明日は、コロルに剣を教えてやる約束だしな」

「コロルも……タロウの役に立ちたいって、いつも言ってたもんね。……私も、それは同じだよ」


 頬を染め、顔を近づけながら、シンシアは太嚨と視線を交わす。濡れそぼった瞳は、自分に残された最後の希望を、ただ真っ直ぐに見つめていた。


「誰からも愛されない。憎まれ、滅ぼされるか、滅ぼすか。それしかないって言われてきた私に、こんな暮らしが出来る日が来るなんて、信じられなかった。遠い星の子達にしかできないことだって、ずっと思ってた」

「……それは、コロルやケイも一緒だよ。2人とも、特異な異星人同士の混血児だったから、異端視されてこの森まで追いやられた。オレだって、星雲連邦警察に付き合いきれなくて、ここまで君と逃げてきた。みんな、君と同じ。遠い世界の希望に縋って、ここまで流れてきたんだよ」

「じゃあ……これからもずっと、みんな一緒に流れていける?」

「もちろん。それを邪魔する人達なんて、オレがみんな追い払ってやるさ。……教官と隊長は、怒るかも知れないけど」


 やがて2人は、囁き合いながら身を寄せ合い、互いの温もりを確かめ合う。子供達を、自分達の声で起こさないよう……静かに、ゆっくりと。


「……だから、信じて待っていてくれ。どんなことがあっても、オレ達はみんな一緒だから」

「うん……うん……」


 シンシアは、そんな太嚨の言葉に酔いしれるように。逞しい彼の胸に顔を埋め、微睡みに沈んでいく。

 こうしていれば、例え夢の中でもきっと彼が助けに来てくれる。そんな、どこまでも都合の良い、甘い夢を抱いて。


 ――そんな幼気な少女の細い肩を、抱き寄せながら。太嚨は鋭い眼差しで夜空を仰ぐ。その眼はかつてない困難に挑む、勇敢な色を湛えていた。


(……ユアルク教官を退けた今、再び彼が1人で来るとは考えにくい。……来るだろうな、隊長……)


 ◇


 ――翌朝。聞き慣れない……否、昨日初めて聞いた「音」に反応したコロルが、慌てて家から飛び出して来た先では。すでに身支度を整えていた太嚨が、剣呑な面持ちで佇んでいた。


「タ、タロウ! この音っ!」

「あぁ、わかってる。……悪いなコロル、剣を教えるのは今日の戦いを乗り切ってからだ」


 コロルの後ろに隠れているケイとシンシアは、不安げな面持ちで互いの顔を見合わせている。コロルも棒切れを握って身構えてはいるが……その足は、ガタガタと震えていた。


「タ、タロウ……大丈夫かなぁ……」

「……大丈夫だよ。タロウなら、絶対に大丈夫だから。私達は信じて、ここで待つの。タロウがいない間、この家を守れるのは私達なんだから……ねっ?」

「シンシアぁ……」


 不安で今にも泣き出しそうなケイを、シンシアは微笑を浮かべて励ましている。が、その裏に滲む不安の色を、隠しきれずにいた。

 やがてそれが表出するように、シンシアは太嚨の傍らに歩み寄っていく。


「……シンシア。子供達を頼む」

「うん……タロウ、気をつけて……ね」


 そんな彼女に微笑を送り、太嚨はボロ布のマントを翻すと――「音」の方角を辿り、走り出して行った。


(……損傷していない・・・・・・・シュテルオンのエンジン音だ。来たな、隊長……!)


 これから始まる戦いに、「帝王」との決戦以来となる極度の緊張感を覚えながら。


「……タロウ……」


 ――そして、そんな彼の背を見送るシンシアは。

 この戦いが、昨日の太刀合わせとは全く違うものであると、シルディアス星人の直感で察して。

 張り裂けるような思いを抱えるように、悲痛な表情を浮かべるのだった。

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