大魔王!皆で戦えば怖くない!

PIGPIG

女神

 物語の発端は一人の少年が、一人の女神と出会ったところから始まる。


 当時はまだ十歳で、知識も常識も足りていない。ただ強い大人になることを求めていた。


 少年アランが住む巨大な街を囲む壁の外。自由が広がる青空の下にある世界。アランは一人、右手に木の剣を持ち、目的の相手を探していた。


 周囲を見渡しながら、街から離れて森の方角を目指す。決して街の壁が見えない深いところに入らないようにして。


 耳を澄ます。風の音、鳥のさえずり、こぽこぽと水が沸騰するような音。それは目的の相手が定期的に発する不快な音。


 アランは木の剣を構えて、その音の方角へ駆け出した。それは太陽の方角へ向かって地面に体重をかけながらゆったりと動いていた。



「見つけたぞ。今日こそ、倒してやる」



 中心が盛り上がった半透明で液体状の生物。感覚器官は見当たらない。しかし意思を持って動く不可解な生物。スライムと呼ばれる化け物。


 耳がないのに声は聞こえるのか、スライムはアランの声に反応した。そしてスライムの進行方向がアランへ向けられる。


 数多の化け物の中でも、アランはスライムという化け物を特別視している。


 それは強いからではない。人という種族からすればもちろん脅威ではあるのだが、スライムが倒せるか否かが一つの判断基準になっていることである。


 街の大人たちは皆口を揃えてこう言う。スライムを一人で倒せるようになって、初めて立派な兵士だ。強さに対して常に研磨した者だけが倒せる相手だと。



「行くぞっ!」



 アランはそんな相手を倒して、早く大人たちに認められたかった。


 認められなければ、戦争で亡くなった父に向ける顔がない。流行りの感染症で亡くなった母に向ける顔がない。


 アランは木の剣を握る力を強める。地面を蹴り、スライムへ飛び掛かった。


 一振りの攻撃。アランの攻撃をスライムが避けることはない。刃のない木の剣はスライムの体を引き裂き、粘着性のスライムの体は二つへと別れた。しかしそれはつかの間、数度の瞬きの間には元の一つへと戻る。



「このっ!」



 アランが何度木の剣を振ろうと、粘着性の体が別れるだけで、スライムへの有効打にはならない。アランは乱れた呼吸を元に戻そうと一度後ろへ退いた。


 スライムは反撃をまだしない。まだアランを危険因子として認識していない。しかしそれは時間の問題だ。


 引き戻すなら今だ。まだ勝てる相手ではない。思い出される痛み。そんな考えがアランの中に芽生える。それを否定するために、アランは首を横に振った。


 幾度と戦いを挑んだ。そしてその数だけ大きな傷を負って、アランは街へと逃げた。そして同じ回数、大人に怒られた。


 その傷はどこでついたんだと。もしもそこで壁に抜け道があることがバレると、瞬く間に抜け道は見つかり、塞がってしまう。そうなれば、大人になるまでアランはスライムと戦うことができなくなってしまう。だから必死に嘘をついてきた。



「諦めたらダメだ。諦めたらダメだ。僕はスライムを倒すんだ」



 アランは再び木の剣を構える。


 その時、スライムは初めて大きな反応を示した。


 アランのスライムへ対する感情を読み取ったのか、アランという小さな子供を危険因子へと認識した。


 次の瞬間、体を大きく膨らませる。


 それがスライムの攻撃の前兆であることを知っていたアランは木の剣の背で攻撃を防ごうとする。


 柔らかいスライムの体は巨大な武器として、一つの固い塊としてアランへ向かって飛び掛かった。


 強い衝撃に後ろへよろける。足がもたつく。それでも何とかアランは踏ん張った。木の剣でスライムを押し返そうとする。


 そんな時だった。



「ああ、なんて弱いのかしら」



 綺麗な女性の声が聞こえた。


 アランは振り返りたい気持ちをぐっとこらえる。もしもここでスライムに力負けすれば後ろの女性に危害が及ぶ。そんなこと、あってはならない。


 体の隅々にある小さな力を集めて、ただ力任せに、アランはスライムを押し返す。体が呼吸を止めて、胸が苦しくなる。



「このっ!」



 アランはその時、初めてスライムの攻撃をはじき返した。軽いスライムの体は弧を描きながら後ろへ飛んだ。地面に落ちた雫のように辺りに散らばったかのように見えた。しかし二呼吸の合間には元の姿へと戻っていた。


 アランはそこで初めて女性の顔を見るために一瞬振り返った。そこには美しい女性がいた。



「危ないから下がっていて」


「危ない?」



 女性はアランの言葉に首を傾げる。



「相手はスライムでしょうに。まあ、あなたからしたら危険な相手でしょうけども」



 スライムは危険だ。しかし、それはあくまで普通の人間にとっての話であって、決して勝てない相手ではない。


 鍛錬を積んだ兵士ならば一人で十分勝てる。魔法を扱える人間ならば何十体を同時に相手して勝てるだろう。国の城を警備する騎士ならばさらに多くのスライムにも勝てるだろう。


 女性には余裕が見える。何より、街の外を一人で歩いている。ならばスライム程度、相手ではないのだろう。



「変わってほしい?」



 女性は不適な笑みを浮かべて聞いてきた。その言葉にアランは少し怒りが沸いた。



「僕は絶対にスライムに勝つから、あなたの手助けはいらない」


「その心意気は良いけども、時間が勿体無いから私が倒しましょう」



 初めから女性はアランの感情を聞かないつもりだった。女性は手を前へ向ける。


 光り輝く魔方陣が女性の手から展開される。不思議の魔法。魔方陣に描かれた文字列が女性の中に秘められた魔力を別のエネルギーへと変換し、放つ。


 それは小さな火の玉だった。


 人の歩行速度よりも少しだけ早いぐらいの速度で、アランの横を通り抜け、スライムの体へ直撃した。スライムの体を貫きながら、スライムの中を進み続ける。スライムの体の中に入ってなおも燃え続ける。


 決して消えることのない火の玉。


 それはスライムの中心まで動くと、一瞬のまばゆい光とともに爆発した。


 アランは思わず腕で顔を守ってしまう。瞼を閉じてしまう。スライムの気持ち悪い粘着性の体がいくつかアランの方向へ飛んできて、それがアランの腕や体、足にへばりつく。


 スライムの残った下半身は重力が無くなったかのように地面の上に散らばり、やがて地面に吸い込まれていく。


 アランはうっすらと目を開ける。女性がどんな魔法を使ったのかは分からないが、スライムが死んだことは分かった。


 焦げたような匂いが、アランの鼻奥を刺激する。


 アランはスライムを倒された怒りを女性に向けようと振り返った。そこで改めて女性の美しさを認識した。


 先ほど顔を見た時一瞬だった。だからその美貌への衝撃はなかった。アランは思わず見惚れてしまう。怒りをぶつけることを忘れてしまうほどに。


 透き通るような真っ白の肌。すべてを見透かすような青の瞳。長く美しく輝く銀髪。真っ白なドレスを着た女神のような女性だった。



「あなたは何て言うか、その、女神みたいに美しい、です」



 アランは思わず褒めてしまう。


 女性はくすっと笑った。絵にかいたような笑顔だった。



「ありがとう。お世辞でも嬉しい」


「いえ、本当に」


「まあ、あながち間違いでもないのだけれども」


「どういう意味?」


「そんなことよりも」



 ぐいっと女性が顔をアランに近づかせてくる。アランの全体像を舐め回すように観察しながら、最後にアランの目を見る。


 アランという一人の人間を品定めするかのように。


 瞳の奥で邪なことを考えているようにアランは見えた。



「うん、悪くなさそうね。ちょっと歳が若いのが難点だけども」



 近づいた顔に思わず、アランは数歩下がる。


 アランは女性の顔が近づいたことで、顔を赤らめた。鼻息が感じられるほどすぐ傍に。女性はアランの瞳を決して離さない。女性が言った言葉など頭に入らなかった。


 放心状態に近いアランにたいして女性は続けた。



「実は、私はあなたに用があって来たの」


「用? 用事?」



 何とか引っ張り出せた言葉に女性は自慢気に胸に手を当てて言った。



「そう、用事。用事。私は御覧の通り、女神なの」



 アランはその言葉が理解できず、女性の言葉を頭の中で復唱する。


 確かに女性のことを女神みたいに美しいと言ったが、それはあくまで比喩であり、本当に女神と思っていたわけではない。


 そもそもどうして女神がただの市民であるアランの前に来るだろうか。


 だから、そんな言葉信じられるわけがない。



「信じてないね」



 女性は、女神はアランの心を試すように言った。



「うん」


「まあ、無理もないけども、こう見えて、結構人々から信仰されている有名な女神だったりするのよ? あなたはまだ子供だから知らないだろうけども、街の大人たちは私のこと知っているかも」


「そうなの?」


「そうなの。そうなの。だからね、ちょっと私の言葉を真面目に聞いてほしいのだけども」



 女神はアランに聞く。



「私、昔からあなたのこと知っていたの。だからあなたに用があって来たの。実は昔に、あなたと会っていたりするのだけども、覚えていたりする?」


「全然」


「そっかぁ」



 もしも女神と出会った記憶があれば、そんな記憶を忘れるはずがない。アランはすぐに首を左右に振った。


 女神はアランが覚えていないことを知っていたのか、もしくは知らないことも考慮していたのか、軽い様子であった。



「まあ、今は良いかな」



 女神は小さく呟く。


 そして優しい雰囲気から一転して、少し危険な香りをアランは感じた。



「私はあなたにあることをお願いしにきたの」


「お願い?」


「そう、お願い、お願い。今世界に、魔王がいることは知っているでしょ? その魔王のせいで世界は恐怖に包まれている。だから誰かが、魔王を倒さなくちゃいけない。この世界を変えなくちゃいけない」


「うん」



 それについて少年は両親から学んだことがある。


 魔王という存在は三百年前に生まれた。世界の化け物を支配し、世界のすべてを支配しようと試みる悪。決してこの世界に生まれてきてはいけない存在。


 世界の国々は同盟を結び、三百年間魔王が率いる化け物たちと戦っている。魔王城が建てられた北の大陸を前線として、多くの兵が送られ続けている。



「つまり、だから、単刀直入に言うと…………」



 女神は言葉を考える。


 アランでも理解できる簡単な言葉は何か。それはすぐに思いついたのか、こう続けた。



「あなた勇者になりたくない?」

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