31,すきやき

 すき鍋が配膳されると、わたしたちは「いただきます」と「うん、うまい」「うん」だけ言って、あとは黙食した。わたしは基本的に食事中は喋らない。猫島くんも、感染対策や衛生観念を含むわたしや周囲への配慮、また大人しい性格からか、両方なのか、ほかに理由があるのか黙っていた。


 店を出て、猫島くんにバス、自転車、徒歩のどれ帰るかを尋ねると、きょうは歩いて帰る気分とのことで、わたしもそうすることにした。両者とも同じ地区に住んでいる。


 幸町さいわいちょう自転車駐車場の脇道から裏道を辿る。元々山だったエリアなので、ところどころにアップダウンがある、アスファルトが少し傷んだ道。


 それなりに広い空を仰ぐとオリオン座が瞬く住宅地。自転車の往来が頻繁で、ながら運転や無灯火やも多く危険。中学の同級生は轢き逃げ犯。


 猫島くんは道の中央寄りを歩くも、自転車の往来を考慮すると道幅が狭く、右の壁側を歩くわたしとほぼ密接し、ときどき袖同士が擦れ合う。そういえば最近の映像作品は、女子が中央寄り、車道側を歩く構図が多いな。


 車両の往来に注意しつつ、ときどき星空を見上げる。猫島くんも星が気になるのか、ときどき空に目を遣っている。


「小説は進んでる?」


「進んでる! と言いたいところだけど、方向性迷子。キラキラしたアイドルにするか、リアルな感情を孕んだアイドルにするか」


 坂の上からY字路を見下ろし、徳洲会とくしゅうかい病院の裏手をゆく。高いフェンスが連なり病院の敷地内には侵入しにくくなっている。


「キラキラしてリアルな感情を孕んでるアイドルは?」


「ああ、それいいね、猫島くんいいセンスしてるぅ」


 グゥと、わたしは右の親指を立てた。


「どうもどうも。きょうも帰ったら執筆するの?」


「するよ。なかなか上手く進まなかったり進まなかったり進まなかったりなんだけど」


「全然進んでないじゃん」


「そうなんだよお、仕事で疲れちゃうんだよお、親の老後とか土地の相続とか親戚の絡みとか身辺の問題もあるし、さっきの話じゃないけど、なるべく借金しないで、借金してもちゃんと返済できるようにマネーリテラシーも高めなきゃとか、三十路にもなると悩みの種がいろいろあってね」


「ああ、それは僕も。絵描きは水物商売だから、貯金とか米ドル積立なんかはやってるけど、それでも老後に必要な額までは行かないだろうし。非課税少額投資制度(NISA)とか株式投資なんかも検討してるけど、そもそも余裕資金自体が雀の涙。赤字の月もけっこうある」


「厳しいよね、現実。物価は高騰する一方だし。うう、わたしは専業作家になったら食べていけるだろうか……」


「使命に実直に、直向ひたむきに、且つ社会のルールを守って生きていれば、大方なんとかなるよ。自殺しそうなほどのピンチが訪れても、最終的には」


 使命というのは無論、会社が言うような『業務に専念するのがあなたたちの使命です』みたいなことではなく、自分が自分で見出した生きる意味であると、わたしは彼の言葉をそう解釈した。


 加えて綺麗事だけでは生きられないのは暗黙知。


「じゃあ、物語を生み出すために生まれてきたわたしはなんとかなるね!」


「調子に乗り過ぎると足を掬われるけどね」


「うっ、ううう、二の句を継げない……」


 それから猫島くんは遠回りをして、わたしを家の前まで送ってくれた。


「それじゃ」


「きょうはありがとう。色々お話聞いてくれて気が軽くなったよ」


「いえいえ、そんな」


「いやいや、そんなことあるよ」


「いやいやいや」


「ふふっ、それじゃあ、またね」


「うん、また」


 猫島くんとお話しして、ほんとうに気が楽になった。


 また会いたいな。できるだけ近いうちに。

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