12,小説を書く理由
「あ、猫島くん、おはよーう!」
雛壇デッキの3メートル手前まで差し掛かると、僕の接近に気づいた森崎さんのほうから声をかけてきた。中学までの彼女からは想像できない、社交的かつ朗らかな振りで。けれど、
「おはよう?」
もう15時。おはようと言うには遅すぎる。それとも職場での挨拶のように、会えばいつでもおはようなのだろうか。
「ははは、もうおやつの時間だね。きのうはおつかれさま。あの後どうしたの?」
「酔っぱらって、帰ってそのまま寝ちゃった。森崎さんは?」
「元ヤンたちとオールナイトでございました」
「食べられなかった? いろんな意味で」
「いやはや、いろんな意味で食べられなかったどころか、いくらか奢ってもらっちゃった」
「太っ腹だね、彼ら」
「うん、みんなそれぞれ大人になってるんだよ」
「ほんとだね、森崎さんも、面白い小説を書くようになってるし」
森崎さんの変化を感じると同時に、僕も少しばかりキザな台詞を吐けるようになっていた。中学時代の僕なら、本心でも社交辞令でも、このような発言はできなかった。
「ううう、ありがとう、何か飲むかい? それとも食べる?」
「さっき香川屋でメンチを食べたから、お腹は満たされてる」
「そうなんだ、カメも同窓会翌日によく働くね」
帰り道、ラチエン通りを前後で歩く森崎さんと僕。森崎さんに自販機で温かいミルクティーを買ってもらい、近くの緑地の東屋に腰掛けた。森崎さんは水を買った。
「いただきます」
「どうぞどうぞ。ふぅ、お水おいしい、心身に染みる」
僕らはそれぞれの飲みもので喉や心を潤しながら、松やマテバシイの葉が掠れる音や木漏れ日にしばし心を寄せた。
「森崎さんは、どうして小説を書いてるの?」
月並みなことを訊いてみた。そんなことを訊いたって、大概は表層的な答えしか返ってこないだろう。ただの雑談で、けれど何かの断片を6割方期待している。
「ふふーん、訊かれちゃうと恥ずかしいなぁ。いっしょにお風呂に入るくらい」
照れ笑いして何を言うのだと刹那に思ったが、わからないでもない。表現とは、心を裸に、表に現すことだ。
「そうだなあ、物語が好きだからかな。漫画じゃなくて小説を書いてるのは、高3のとき、無料で気軽に小説を投稿できるサイトを見つけたから。そこで、プロットもなんにも書かないで、思いのままにガラケーで打ち込んでた」
「ガラケー、懐かしいね」
「いまもお家に眠ってるよ。毎年一回、年明けの瞬間だけ『ハッピーニューイヤー! 今年もたくさん歌を歌おう!』って言うアラームをかけてる」
「あ、僕も年明けのとき、そのアラーム使ってる」
「なんと! 猫島くん、なかなか変わり者ですな」
「森崎さんもね」
僕らは笑い合った。あまり笑わない僕も、なんだか可笑しくて。
僕はあまり他人に興味がない。だけど森崎夢叶という人間には、泥に足を突っ込むようにずぶずぶとのめり込んでしまう。
暫し間を置き、彼女は凛として、緑地に溶け込む黄緑のオーラが
「よくさ、つらいことがあったとき、『やまない雨はない』『苦しいのは自分だけじゃない』『神は乗り越えられない試練は与えない』『自殺をしても、生まれ変わったらまた同じ人生を繰り返す』とか言うでしょう」
「慰めと命をつなぎ止めるための言葉だね」
「そう、その中に正しいこともあるかもしれないし、もしかしたらぜんぶ正しいかもだけど、どうしても心をつなぎ止められなくて、いますぐ消えて何もかもから解放されたいときって、猫島くんにはなかった?」
「あるよ、何度も、どこに身を置いても」
僕は組織に構成員に適していない。社会順応性が低い。だからフリーランスの道を選んだ。水物商売だけど、好きなことをするために選んだ道。イラストだけで食べられなくなった未来を見据え、ほかにフィットする
「私も。いまに至るまで、どこに身を置いても不条理に晒されて、数えきれないほど消えてしまいたいと思ってきた」
「そっか、やっぱり森崎さんも」
「ふふ、見通してるね、猫島くんは」
「はは、あなたこそ」
「私はね、そういう想いを抱く人たちに、何か前向きになるきっかけになったらなぁ、なんて烏滸がましい想いを織り交ぜつつ小説を書いてる」
「そうなんだ、うん、僕もそうだ。好きなことをやって、それが誰かに潤いを与えて、それを生計を立ててゆけたらいい」
生計を立ててゆけたらいい、というよりは、立ててゆけるようにする。そのために適切な努力をする。物書きとイラストレーター、分野は違えど目指す道筋は合致しているようだ。自らに適した環境で幸せを掴み、他者の幸福に寄与する。その理想に向かって、僕らは日々頑張ったり頑張らなかったりしている。
「でもね、私はきっと、人を救う以前に、自分を救えていないんだ。自分を救えない人が、誰かを救えるのかって」
「僕も救われてはいないよ。けど、救われるのを待っていたら、自分は自分を救えていないから創作はしませんなんて言って最期を迎えたら、死んでからも悔やむでしょう」
「そうなんだよなぁ、創作は、自分を救ってくれるんだよ」
「だから僕は、好きなことをやって、それが誰かに潤いを与えて、それで生計を立ててゆけたらいいって思うんだ」
「そうかぁ、そうだよね。私ね、自分を救えていない人に
◇◇◇
猫島くんとおしゃべりして帰宅。手洗いうがいを済ませ、パソコンで小説投稿サイトを開いた。
『新着メッセージがあります』
「おや、なんでしょう」
サイトから赤字でメッセージのお知らせ。さっそくクリックして内容を確認。
「な、な、なんですとお!?」
しょ、書籍化の打診だ……!
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