discommunicationの消失
1103教室最後尾左端
上
ギターを弾き始めたのは中学生の時だったような気がする。やめたり再開したりを繰り返していたから正確にいつ頃始めたかはよく覚えていない。始めたきっかけも、もてたいからだったかもしれないし、大好きなバンドに憧れたからかもしれない。しかし、今となってはどうでもいいことだった。
曲を作るようになったのは大学生の時だ。何も考えずに入った軽音楽サークルで、先輩達が就職活動をしている様子を見て、漠然とした不安に襲われたのがきっかけだったと思う。
このまま生きていていいんだろうか。
そんな不安の中で、とにかく何かを作らなければならないと思った。
作曲のことは他のサークルメンバーには伝えたくなかった。何となく気恥ずかしかったし、一月に何回か飲み会があるだけの緩いサークルだったから、真剣に何かを作っている自分を持ち込みたくなかったのだ。
勢いのままに一曲目を作り上げた。妙に不協和音の混ざる曲調に一貫性のない歌詞と、何がしたいかわからない曲になったが、僕は満足した。しかし完成させるとどうしても人に聞かせたくなった。
誰にも見つからないように、そっと誰かに聞いてもらいたい。僕はその気持ちを抑えきれなくなった。そうして始めたのが弾き語りだ。
知り合いがいないであろう、大学から遠い駅の前でギターを弾き、作った曲を歌う。もちろん誰もきいてはいない。でも、最初はそんなこと気にしなかった。自分が作った曲を人前で演奏するだけでひそかな興奮を覚えた。僕の考えとか妄想が形になってこの街を漂う、それだけで満足できた。
だけど数週間もするとその行為に意味がないことを悟った。街を漂う僕の歌は、街中でスピーカー越しに神のありがたさを説く宗教団体と同じものだった。誰も気にしない、どちらかと言えば、すでに人の思惑やため息でいっぱいのこの街にとっては不愉快なものだった。
それでも懲りずに街でギターを弾き続けた。正直理由はわからないのだが、そうしなければならないような気がしてならなかった。行きたくもないのにギターを担いで家を出て、もったいないと思いながら電車賃を払った。
もしかしたら、今日は誰かが聞いてくれるかもしれない。あわよくば、レコード会社の目に留まって、デビューできちゃったりして……。
そんな文章に起こすと反吐が出そうなほど甘い夢物語を期待していのかもしれないし、ただ単に何者でもない自分から逃げる道を探していただけなのかもしれない。いずれにせよ、僕は駅前で自作の歌を歌い続けた。
ある日、僕がいつも歌っている場所に人だかりができていた。近づいてみると金髪の若い男がキーボードを弾きながら歌っていた。キーボードに取り付けられたマイクに向かって歌う男の顔は、なんというか安っぽい男前だった。パーツはそれなりに整っているが、逆にどこにでもいそうな顔つきに見えた。
演奏を終えると周りから拍手が起こった。男は一礼して話始めた。
「ありがとうございました。〇〇さんのカバー曲を披露させていただきました。本当にいい曲ですよね~。僕も歌詞にとっても共感しています」
〇〇は今売り出し中の女性アーティストだった。男の歌はうまかったが、カラオケで歌うような軽薄さを感じた。
男の目の前には立て札が置いてあって、そこには彼が今後出す予定のカバーアルバムの宣伝、SNSや動画サイトの彼のアカウント、それから「神の高音で話題!!」「100万回再生突破!!」といった煽り文句が書かれていた。
よく見ると、周りの観客たちは皆スマートフォンを構えて動画を撮っている。もしかしたらネット界隈では有名な人間なのかもしれない。
「では、もう一曲カバー曲をお聞きください。××さんで……」
男がイントロを弾き始めた。僕も知っている曲だ。確か、不倫をほのめかすような歌詞だった。そんな曲を若い女性シンガーが作ったというギャップがウケて、しばらくテレビで何度も特集されていたはずだ。
男が歌い始める。確かにとてもきれいな歌声をしている。高音も爽やかで音域が広いことはわかった。
でも僕は好きになれなかった。
過剰なビブラートや妙なファルセットなど、かっこよく見える部分を誇張しすぎている歌い方だった。それに、そんなにスタイリッシュに歌われたら全く不倫の曲に聞こえない。歌詞がただの記号のように、譜面の音符のように思えた。
それでも、歌い終わると観客からは拍手が起こった。僕が一度も受けたことが無いような人数からの拍手だ。どうやら動画配信も行っているらしい。きっと称賛のコメントがあふれていることだろう。
「ありがとうございました。では、最後にオリジナルの曲をやらせていただきます。皆さん、ご自分の初恋のことを思い出しながら聞いてくださいね」
そういって男は歌い始めた。どこかで聞いたことがあるようなメロディーラインと歌詞のあまりの陳腐さに、僕は最後まで聞くことができなかった。逃げるようにその場を去った。
観客の数は、僕が来た時よりも増えていた。
僕は逃げるように駅前近くの商店街まで来ていた。
シャッターが下りた店の前に座ってギターを取り出す。
とにかく歌いたかった。
なんであんな曲が評価されるんだろう。
どうしてあんな男の周りに人が集まるんだろう。
僕の方が絶対いい曲作ってるはずなのに。
僕の方が歌だって上手いはずなのに。
そんな負け惜しみが頭の中をぐるぐるめぐる。それをどうにか吹き飛ばしたかった。
自分の曲を大きな声で歌えば、そんな負け惜しみが肯定できるような気がした。
僕はそれから何曲か自分の作った曲を歌った。でも、通り過ぎる人々は誰一人として僕のことを見ていない。イヤホンだったり通話だったり談笑だったり、みんな自分の世界に入り込んでいる。僕の曲が入り込む隙なんてどこにもないように思えた。
それでも歌い続けた。歌うのをやめると、何かに押し流されてしまうような気がしてならなかった。音程は外れ、ひどく音痴に聞こえるだろう。それでも声を出して弦を震わすことに熱中することで、僕はぎりぎり自分を保てていた。
「うるせえ!!!」
カコンッという金属音が聞こえて、僕の手前で金属がはねた音がした。びっくりして歌うのをやめる。前を見ると酔っ払いが僕に向かって空き缶を投げつけたらしい。男は訳の分からないことをわめきながら僕に向かって唾を吐きかけ、去っていった。
あの酔っ払いが僕の最初のお客さんだった。
そして彼の言葉はこの街の総意だった。
僕は茫然とした後、つぶやくような声で歌った。
それは、僕が最初に作った曲だった。
真夜中一人暗い部屋で
僕はギターを抱えてる
弾いたら下手だと気づくから
可能性だけ抱えてる
あの子の歌を作りたい
僕はノート開いてる
書いても無駄だと思うから
ページはずっと白いまま……
僕はそこで歌うのをやめた。頭蓋骨の中で響いていた自分の声が止み、ギターの弦がビーンと振動の余韻を残す。時刻は午後9時。駅前近くの商店街はまだ人通りがあり、足音や話声で僕の声もギターの音もすぐにかき消されえてしまった。僕にとってこの雑踏は、無音よりも静かなものに思えた。
そうか。僕はいらないのか。
そんな当たり前のことに気づくのに、こんなに時間がかかるなんて。
僕はギターを抱えたまま、動くのをやめた。
座ったままうつむいていると、視界には僕の前を過ぎ去る靴と足だけが映った。ぼんやりとその足の動きを眺めた。
今日はこのままここで寝てしまおうか。動くのさえも億劫だ。
寒いけど、凍え死ぬならそれでもいいや。
何もかも、どうでもいいように思えた。
そのまましばらくぼうっとしていると、目の前で一組の革靴が足を止めた。又すぐに動き出すだろうと気にせずにいたが、一分経っても二分経っても足が動く気配はない。
革靴からは白いソックスが伸びていた。少しだけ目線を上げると制服のスカートが見えた。
目線を正面にまで上げると、目の前には制服姿の少女が不思議そうな顔をして立っていた。
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