水無月の花菖蒲

優夢

水無月の花菖蒲

 ガラス越しに展示される、純白のドレスとタキシードが私の目を惹きつけた。隣に寄り添い、幸せそうなポーズをとるマネキンは、昔女子ならだれもが憧れたであろう、結婚式そのもの。まわりもそれを意識してか、ブーケを持たせたり花が散らされていたり。

 今の私にはこの風景は不釣り合いだな。ざあざあと雨が降り退勤中のサラリーマンや飲みに行った帰りの大学生が歩いている中、ショーウィンドウの前で自嘲気味に笑う。

 時刻は午後十時。定時退勤などはとうにあきらめて、毎日八時間を超える労働にももう慣れた。くたびれたスーツに薄いメイク。古風な考え方にとらわれた上司に、他人にほとんど関心を示さない同僚。婚期なんて、すぐに逃してしまうだろう。

 幸せな結婚生活。そうじゃなくても、幸せな恋愛を一回くらいはしてみたかったなぁ。

 人ごみの中に紛れようと歩き出そうとした私は、ゴツン。目の前にいた人にぶつかってしまう。

「すみませ……」

 反射的に謝ろうと傘を上げ、リクルートスーツを着た青年であろう人の顔を見る。

 彼は、さっきまで私が見ていたショーウィンドウを、私と同じような目で見ていた。



『飲んでくるから家に帰るの遅くなるね』

 かわいらしい絵文字と共に姉から送られてきたSNSをみて、僕ははぁ、とため息をついた。飲みの相手は上司とか、姉の嫌いな同僚とかそういうのではなく、数日前たまたま会った相手だという。姉曰く、なんとなく運命だと思った、だなんて言っているけど、あほくさい。二十三にもなって運命とか信じているなんて、連日の残業で頭が狂ってしまったのではないか、と姉を疑ってしまう。……残業量はおかしいと思うので労基に相談すべきだとは思うが。

 窓の外から、パラパラと雨の音が聞こえる。先週梅雨入りしたといわれていたが、梅雨入りしてから雨を降ったのを見たのは三本の指に収まる程度。友人と梅雨入りは嘘だったのではないか、と笑い飛ばしていたこともあった。でも梅雨の名は劣らず、じめじめと暑い日々は続いている。

 姉ちゃん心配だなぁ。傘、持って行ったっけ。

 そんなことを思っていても僕はどうもできないし、どうせ一緒にいる誰かが何とかしてくれるんだろうけど。

 雨の音はだんだん強くなっていく。僕はSNSアプリを閉じて、ベッドの上にダイブした。

 明日には、この雨は上がっているのかなぁ。



 カラフルな傘の群れ。昨日の夜から降り始めた雨は、下校時間になっても降り続いていた。私も青い傘を開いて、通学路を歩いている。朝から変わらない土砂降りは、いろいろな人の体や荷物などを濡らしていく。私も今日の朝、この土砂降りにやられて授業プリントをおじゃんにしたばかりだ。昼休みに先生に無理を言って、コピーしなおしてもらったので今後は大丈夫だと思うけど。

 傘の群れから離れ、帰宅路の寂れた商店街を通る。雨のおかげで、元から活気のなかった商店街はさらに寂れている。寂れた店通りの中、一つ客の入っている店を見つけた。確かあそこは花屋だったはずだ。

スーツを着た青年が店員から花束を受け取っていた。花束から覗くのは、白と紫がまじりあった花びらと細長い葉。あまり花束にするにはなじみのない花だ、と思いながらもその名前がおもいだせずにいた。その青年は会釈をすると、傘をさしてその場から去って行った。

「あら、学校帰り?」

 店員、こと昔から顔なじみであるみすずさんが、立ちすくむ私に声をかけてくれた。

「あ、みすずさん、どうも。学校帰りです」

「さてはさっきのお客さん気になってる?」

 若干ぎこちないように返事を返すと、みすずさんは見透かしたように聞いてくる。その通りだったから、言葉が出なかった。

「図星かぁ。お客さんのことあんまりベラベラ話すのもあれなんだけど、あれプロポーズ用のお花らしいよ」

「そうなんですか⁉」

 寂れた商店街に大声が響き渡る。はいはい静かにね、とみすずさんに宥められた。

「プロポーズ、にしては、なんのお花かわからなかったんですけど……」

「あぁ、確かにあのお花、花束にするにはメジャーじゃないもんね」

 みすずさんは店の中から一つの花桶をこちらに持ってくる。その中には先ほどの花束の花が入っていた。花桶に付けてあるプラカードには花の名前が書かれていた。

「花菖蒲(はなしょうぶ)。端午の節句とかで飾ることが多いんだけど、店長が季語とかそういうのが好きらしくって、六月まで置いてあるの」

 まあ売り上げは伸びないんだけどね、とみすずさんは苦い顔をする。

「そうなんですか……。でも、なんでこの花を包んだんですか? 」

「さっきのお客さん、相手の人と若干喧嘩になっちゃったっぽくってね。ちゃんと気持ちを伝えたいとか何とかで、いろいろお話聞かせてもらったのよ。その時に色々聞いてたら自然とこれになって」

 花菖蒲の花を見つめていた私の隣に、みすずさんが近づいた。子供の時のひそひそ話をするような声と表情で、

「これの花言葉、優しい心っていう意味もあるの。喧嘩の原因、お互いの譲り合いからのすれ違いっぽかったから、ね」

 いつの間にか、雨の音は聞こえなくなっていた。



 先輩が結婚式を挙げる、という話を聞いたのは、四月に入ってからだろうか。家のポストに入っていた出席確認を含めた招待状を見た後すぐに、先輩にSNSアプリで連絡を取ったのは記憶に新しい。

 その後暇を見つけて、先輩と飲みに行き、結婚相手の話をいろいろ聞かせてもらった。出会いは本当に偶然で運命だったとか、プロポーズは喧嘩した後に受け、即OKを出したとか、出会ったのもプロポーズも六月だったから、六月に入籍と挙式を挙げるんだ、とか。ほとんど惚れ気話だったが、今まで見たことないくらいの先輩の幸せそうな顔は、こっちも見ていてうれしかった。

 挙式当日。先輩や結婚相手の親族、友人、先輩後輩などの知人など、多くの人が式場に訪れている中、私も参列した。私自身も久しぶりに友人に会って、積もる話をするなか、先輩、いや花嫁と花婿が入場した。真っ白なドレスに身を包んだ花嫁を見て、私も周りもざわめいた。それほどまでに先輩は美しかった。

 家族や友人代表あいさつを終え、誓いの言葉を交わし、結婚指輪をつける。その一瞬一瞬、どの表情も先輩は素敵な花嫁だった。お色直しの時間も、友人とずっと先輩素敵だね、きれいだね、と言いあっていた。

 お色直しの後、先輩は紫のドレスを身にまとっていた。白よりの紫を基調とした、フリルがいっぱいのドレス。髪飾りの花も、胸元のアクセサリーもほとんどこの色。式の進行が落ち着いてきたころになんでこの色のドレスにしたんですか、と先輩に聞いたら

「ここでいうのは恥ずかしいんだけど、プロポーズの時にお花持ってきてくれて。その色っぽくしたいなぁって、私が勝手に決めたの……あんまりほかの人に広めないでね?」

と、照れくさそうにひっそり答えてくれた。プロポーズのときにお花もらうなんて話本当にあるんだ、って思ってしまったけど、先輩も新郎の人も幸せそうにしているところを見ると、ロマンチックで素敵だな、と少し憧れてしまう。本当に素敵な人ですね、と返すと、

「ええ。本当に素敵で、優しい人よ」

 先輩は、だれが見てもとても幸せな顔をしていた。

「それでは、新婦のブーケトス、お願いします!」

 司会進行役の人の合図で、先輩はブーケを投げた。梅雨時だというのに雨の予兆は一切なく、青く晴れた空に、ブーケが舞う。ブーケは、私の後ろの女性のもとに落ちた。おめでとうございます、と皆が拍手する。

「実はその花、夫がプロポーズの時に渡してくれた花なんです」

 先輩は照れくさそうに笑う。先輩の着たドレスのような紫と白の花びらが、遠目からでもみえた。

「今度はうれしい知らせが、ここに来てくださった皆さんから聞けるように、という願いもこもっています」

 新婦は新郎に手を取られながら、満開の笑みを浮かべた。


 六月の花嫁は、生涯幸せな結婚生活が送れるという。六月に縁のある二人が、これからどんな幸せな道を歩むのか。先輩の幸せな顔が、また会ったときに見られますように。

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