第5話

 そのさい首から出現したのは建御雷を始めいくらかの神だったが、喜んでいる場合でこそない。もうサイコな修羅場だ。自殺まがいかストーカー行為か。伊邪那美神を連れ戻すため伊邪那岐神は、黄泉の国までひた走っている。そうしてついにあの世の暗闇で伊邪那美神と再会を果たしてさえいた。

 だが一緒に帰ろう、と呼びかけた伊邪那美神はすでに黄泉の国の食べ物を口にしたせいで戻ることはできない、と伊邪那岐を追い返している。無論、伊邪那岐神は聞かなかった。いい年をして周囲の目もはばからず駄々をこねる。様子はかなり情けなかった。さすがに見かねた伊邪那美神もキレる。

「ったく、情けない男だね。ちょっくら行って、ここの頭と話をつけて来るから、アンタはそこで大人しく待ってな」

 乙女だった伊邪那美神も、今や数多産み落とした神と島のおかんだ。強い。言い放つとその場を後にしていた。

 だからして伊邪那岐神は待つ。鼻水をずびずびいわせ、淋しいところを堪えて待った。

 が、なかなか伊邪那美神は帰ってこない。

 不安が頭をもたげてくる。

 暗いのも、なかなかどうして恐ろしい。

 しょうのない男だ。積もり積もると堪えきれず、ついに伊邪那美神の言いつけを破り動き出していた。果てに暗がりを抜けて目にしたのは、すっかり腐れて虫の這った伊邪那美神のおぞましい姿となる。思わずうひゃあ、と声を上げていた。

「うらぁっ。だから待ってろといったろうっ!」

 気づいて吠え返す伊邪那美神はよけいに恐ろしく、伊邪那岐は腰を抜かして震えあがる。これはもはや嫁ではない。ようやく気付く鈍さはさておき、とにもかくにも這うようにして逃げ出した。有様にどういうことか。顔をしかめたのは伊邪那美神の方だ。

「あんた、ビビるだけならまだしも逃げるって何よそれぇっ。あたしの魂を迎えにきたんじゃないのっ。やっぱり体が目当てだったのねぇっ!」

「つっても堪忍してくれー」

「こら、またんかいっ!」

 なんの、伊邪那岐神を責めたとして、好意を左右するのは見た目が九割と近代の科学も証明している。さすがにウジがわいて腐れたカミさんを愛している、と言うのは無理があった。

 追いかけ伊邪那美神が、きー、と声を上げる。払いのけて伊邪那岐神は、道すがら木になる桃を見つてもぐと伊邪那美神へ投げつけた。ブドウがあれば、ブドウももいで、タケノコが見えたなら根性で掘り返す。伊邪那岐神はどれもこれもを投げに投げ、そのたびに惑わされた伊邪那美神が食らいついている間に黄泉津比良坂ヨモツヒラサカまで走り切った。えいや、でそこに巨大な岩を置く。道を塞ぐと告げたのだった。

「伊邪那美神、悪いが、俺にはもうムリだぁ」

 なら伊邪那美神も岩の向こうでこう吠え返す。

「この薄情者ぉっ。国造りがなんじゃいっ。そうとも、こっちは一日千人殺して黄泉の国へひきずりこんでやるわっ」

 いやいや、それはないだろう。塞いだ岩のおかげで強気が戻ったか、伊邪那岐神はそこでようやく男を見せた。

「うるさい醜女。やれるもんならやってみろ。べろべろばー。こっちは一日に千五百、産ませてみせるわ。がははははっ!」

 つまり昨今の人口の七十億人突破は、この夫婦喧嘩が元だ。しかもこの岩のおかげであの世とこの世は行き来不能となり、黄泉の国は伊邪那岐神のトラウマと共におぞましくもけがれたイメージが定着することとなってしまっのだった。

 さてさて話は長くなったが、今しばらくお付き合いいただきたい。

 こういう場合、癒して忘れるに手っ取り早いのは、やはりひとっ風呂浴びてスッキリする事だろう。一難去ったと伊邪那岐神も、澄んだ川へと身を浸した。そうすれば脱いだ服から神は現れ、国津神となり散って行き、さらに拭った右目から太陽の神、天照大神アマテラスオオミカミが、左目から月の神、月夜見ツクヨミが、ケガれを祓って絶好調、鼻からは嵐の神、素戔嗚スサノオが現れ出でた。

 そんなわけでふと、思いつく。伊邪那美神もいなくなって一人身だし。ちょうどいいや、引退するかと。

 ままに伊邪那岐神は、これまで伊邪那美神と進めてきた国造事業の全権限と高天原の昼の統治を天照に、そのサポートとして夜の高天原の統治を月夜見に、残る海の統治を素戔嗚に譲った。

 これにて一見落着。

 あとは高みの見物である。

 ふん、ふん、ふふん。いい湯だな。

 もう鼻歌が止まらない。

 だが、預かった方はといえば一大事だった。中でも素戔嗚は伊邪那岐神の性質を継いだ様子で、国造りどころか、たちまち母恋しとむずかり始める。挙句、担当を母のいる黄泉の国へ変えろと言い出し、通らないと分かればたちまち天津神、国津神のせっせと作った国の一部を破壊し始めた。そこから先はもうヤクザだ。嫌がらせとばかり天界における悪の限りを尽くしてゆく。

 様子におののき怒ったのは、伊邪那美、伊邪那岐に代わり別天津神から預かった事業の全責任者となった天照だろう。そうしてあの有名な「天の岩戸」の一件は起きた。隠れた天照に長らくじっとり夜は続き、知ってのとおりウズメの裸踊りというシュールなオチで一件は終息を迎えている。だがそれで素戔嗚の罪もまた許されたかといえば話はまた別だ。そんな素戔嗚に下った罰は高天原追放。国津神への降格だった。

 素戔嗚もさすがにやり過ぎたと思ったに違いない。頭まるめてヒゲそって、神なのに仏門にでも入る勢いでしょんぼり天下ってゆく。

 ところが芦原中津国とて住めば都。なにしろ腐っても元は海を統治し、嵐を司る天津神の素戔嗚だった。地上では向かうところ敵なし。たちまち色狂いの蛇を退治すると、地元のヒーローとまつり上げられる。捨てる神あれば拾う神ありと国津神の両親を持つヨメさんまでもらいうけ、順風満帆、荒れ野生活をエンジョイすることになったのだった。

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