第3話

とはいえ剣は身もさやもない飾りのホコだ。まこと細かとほどこされた銀の細工が表面を覆うと、上になった柄の端には、赤子の拳に似た柄頭ツツガシラがつけられていた。その中には小さな鈴が納められると、むやみに鳴らぬよう中には布も詰め込まれている。

「女がニコニコ持ってきたのだから仕方あるまい」

 その端を京三は二本の指でつまんでみせた。

「それがあの蛇なんでしょうに」

 ひと思いと抜き去れば、窮屈そうだった鈴は柄頭の中で転がり落ちる。

「うんにい、蛇がこっちへくるぞっ」

 知らせる和二に今度こそ間違いはない。雲太ら目指し体をくねらせてさえいた。

「ええい。とにかく参るぞ、和二ッ」

「合点っ」

 もろとも地を踏みしめる。高く振り上げた手をぴたり、拝して顔の前で合わせた。

 ままにかしこまると頭を垂れる。

 その背でジャン、ジャン、ジャン、と鳴ったのは、大きさからでは想像もつかない京三の振る柄頭の鈴の音で、耳にしたなら合わせていた手を雲太と和二は大きく開いた。そうして打つ柏手カシワデはきっかり、二拍。乾いた音が空を震わせ、鈴の音もろとも雨を弾き、高く祓いの祈請キセイを天へ打ち上げる。

 とたん動きを止めたのは雨粒だった。

 止まって空を一斉に雲太ら向かい走る。

 触れる間もなくじう、と滅して代りにぽう、と合わせる手と手の間へ光を灯した。静かに大きく膨らむ光は見えぬ所とこの地をつないでやにわに風を通しだす。初めは柔らかと、やがて雲太と和二の衣に髪を舞い上げるほどに。ままにずん、と両の足へ、重みもまたのしかけた。

 と光からか。いや刻んだ利き手のアザからだ。初めはモサモサと、見る間にほとばしるがごとく勢いで、白く塩は吹き出してくる。

 支えて踏ん張り空へ雲太は手をかざした。吹き出す塩は止まらない。やおらカタチを結び始める。益荒男マスラオの頭は塩で結ばりアザをくぐると、雲太の手を抜けぬうと姿を現していた。

「これは剣の神、建御雷タケミカヅチかッ」

 大きさは見上げるほどもある。

「じゃあ、おいらからは獅子が出るっ」

 だが和二から出たものはといえばタケノコと小さい。

「えぇっ」

「間に合わんのだッ」

 その通りと白蛇はもう目の前だ。一方、建御雷はといえばその大きさに、ようやく結び終えた右足を雲太の手から引き抜いているところでしかない。

「どうせおいらは余り塩だようっ」

 和二の足が白蛇へタケノコを蹴りつける。いてもたってもおれぬ様子で長い体を巻き付つけた白蛇は、のたうち一心不乱に食いだした。

「さすが黄泉津比良坂ヨモツヒラサカのタケノコッ」

 あいだにも雲太の手から建御雷は残る左足を引き抜いてゆく。地につけたなら、仰いだ空へ高く腕を振り上げた。ぴしゃり、応えてそのとき稲妻は走ると火花を散らせて建御雷の手へ落ち、受け止め掴んだ建御雷の手の中それは、みるみる剣へ姿を変えてゆく。

 様子へ白蛇が振り返っていた。タケノコはもう皮だけだ。ぽい、とどこぞへ払いのける。シャー、と上げた声で空を震わせると、次の瞬間、建御雷めがけ身を滑らせた。

 だとして建御雷に退く様子はない。

 かかげていた剣を振り下ろす。

 動きはどこか緩慢だったが続く勢いこそ凄まじかった。剣身から雨粒はザァッ、と飛んで、伝い稲光が蒼く走る。打たれ白蛇は正面からだ。叫び声を上げ、辺りにウロコを飛び散らせた。

 耳を塞ぎ目も閉じて、雲太らは全てをかわす。

 そんな白蛇の叫び声が枯れ果てるまでいかほどか。

 やがて消えた白蛇を突き抜け雨粒だけがざばん、と泥を叩いていた。おびただしい量にあっという間に池のような水たまりは現れて、中にクルクル木切れを浮かべる。

「祓いてここに和魂ニギミタマとなり。これを社に末永く祀らん」

 前にして建御雷が再びゆう、と剣を持ち上げていた。

 おずおずとその姿へ顔を上げ、雲太は建御雷が見やる方へ目を向ける。そこに打たれて稲妻を帯びた何かは淡く光ると浮かんでいた。色は翠色で、形はどことなく蛇に似ているか。副屋の残骸に混じってひとつ、勾玉は水たまりに浮いていた。

 あ、と目を見張り、あらため雲太は建御雷へ頭を垂れる。

「しからばさように伝え申す」

 なら見おろす建御雷は、雲太へこうも言ってきかせていた。

「それから急ぎの場合はもそっと早めに祈請するように。何しろ野はこのありさまだ。こちらもたてこんでおるゆえ、すぐには手が離せん」

 なるほど、神にも都合があるらしい。

 詫びて雲太はこれまた丁寧に頭を下げた。

「……それから」

 願いを聞くぶん神は注文も多い様子だ。

「その身は社ぞ。わしも通るゆえ、よく拭っておけ」

 確かに、のっぴきならぬこととはいえ誰もが泥にまみれている。

「ただちに」

 この言いつけにも雲太らはなおのことかしこまって身を低くした。

 得心いったか、そこで建御雷は剣から手をほどく。剣は稲妻へ戻るとさらに龍へ姿を変え、雨を引き連れ空を彼方へ帰っていった。おかげでやんだ雨は先ほどまでの土砂降りが嘘のようだ。早くも雲間に星なんぞをのぞかせている。

 そんな空を、いや高天原を、建御雷はゆう、と仰いでみせた。

「さて帰るとするか。途中のままほうってきたゆえ心配でならん。まこと国造クニヅクりとはせわしいものよ」

 すると空に残った雨雲の片隅でだ。これが最後と雷鳴は鳴り響く。稲光もまたひとたび瞬いて、これまでにないほどの風を辺りに吹かせた。

「わぁ」

「うおおッ」

「ひゃあ」

 あおられ水たまりは波は立ち、泥は散って、飛ばされまいと雲太に和二に京三は、それぞれ叫ん地へ伏せる。

「健やかにあれ!」

 上へ建御雷の言霊コトダマは降っていた。高笑いこそなかったものの、その風に声が消え入るまでしばらく。やがて夜らしい、まさに月ののぞく穏やかな夜は訪れることとなっていた。

 どうにか身を起こして三人は、あっけにとられて辺りを見回す。見つけたものに驚くと、背を反らせてまで高く天まで見上げていった。

 建御雷の残していった塩の柱だ。ぬかるみの中、真っ白な姿で、雲太らの前にそびえていたのだった。

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