12 心の向き
次の日、秋孝は教室でぶすっとした顔をしていた。
明らかに不機嫌そうだ。いつもはあまり感情を表に出すやつではなかったから、クラスメイトもちらちらと見ている。
「何かあったのかな。」
「どうだろうね。」
佐倉さんとも話したけれど、めったなことは言えないのでかなりぼかす。秋孝がさっぱりこっちを見ないのもさいわいして、ぼくが関わっているとは思われていない。
秋孝はなぜだか、四栂さんをひどく嫌っているようだった。
昨日は結局無理やりに手を引っ張られて家まで連れて行かれて、四栂さんはそれを見てニヤニヤと笑いながら去っていった。ぼくだけが蚊帳の外の気分だった。
理由を聞いても、きっと教えてもらえない。
おそらくは秋孝自身ではなくて、中の『影』と四栂さんの関係なのだ。その二人が知り合いだったとしてももう驚かない。この現象自体がぼくや四栂さんの身近なところが原因のようなものだし、関係者なら現象に巻き込まれていてもおかしくはない。
どんな関係なのかは、下手に聴けないからあちらが話してくれるのを待とう。
「ほんとにいいの?」
「え?」
唐突に言われて、思わず佐倉さんのほうを振り向いた。その顔が面白そうに笑っているのを見て、いつもの冗談か、と胸をなでおろす。
心の中でも読まれたのかと思った。
「いいの。って、いつも言ってるでしょ。」
「でも心配でしょ?」
「友達として、ね。」
えー、と佐倉さんはほおを膨らませる。
ひとしきり問答をした後、いつになく真剣な表情になった。
「でも本当に、そうなればいいと思うんだよ。」
「……どうして?」
またおちゃらけた理由だろうか。そう思っていたぼくに、佐倉さんの言葉が刺さる。
「あんなこと……遠夜君が屋上から飛び降りちゃってから、黒田君、ずっと一人でいることが多かったから。誰かと笑ってくれるのなら、そっちの方がいいでしょう?」
朝の予鈴が鳴った。隣り合った自分たちの席で話していたから、ぼくらは動かない。代わりに周りは教室に入ってきたり自分の席に座るクラスメイトたちん喧騒に包まれていた。
「そう、だね。」
かろうじて、それだけ返事をする。
先生が入ってきた。最後、と思って佐倉さんに尋ねる。
「そういうまーちゃんはどうなの?」
「……わたしは、もう決めてるから。」
へへ、と佐倉さんは笑う。
「もう叶わないんだけどね。」
理由を聞く前に、ホームルーム開始のチャイムが鳴った。
案外あっさりと、秋孝と喋る機会がめぐってきた。
次の日、ぼくと日直をやるはずだった子が休んでしまって、代わりに秋孝が入ってくれた。佐倉さんは相変わらず応援体制を敷いている。
「災難だったね。後一日で夏休みなのに。」
「そうだな……。」
秋孝との会話は、歯切れが悪い。
日直の仕事の関係といえばいくらでも話していられるはずなのに、何を話していいかわからなくてよく二人とも無言になった。
話さなければならないことは、山のようにあるはずなのに。
どうやって本物の秋孝を起こすか。もしくは順番をとばして入れ替わるすべを捜すべきなのか。その場合、秋孝は納得してくれるのか。
そもそも、秋孝は元の体に戻りたいのか。
もんもんと考えているうちに放課後になった。二人きりになった教室で、日直の日誌を書く。机を整えていた秋孝が、やっと「あのさ。」と声を発したのは、日誌をほとんど書き終えたくらいだった。
「その後、どうだ。」
……なんてアバウトな。
まるで思春期の娘に話しかける父親みたいな。この間かなえのお父さんにやられたからすごく既視感がある。
「まだ大丈夫なんじゃないかな。」
秋孝ににらまれた。アバウトだけど、彼なりに心配してくれているらしい。
「これからどうするんだ?」
「方法としては二つ。ひとつ、本物の秋孝をたたき起こす。ふたつ、秋孝をとばしてぼくがお前の体に入る。みっつ、ぼくだけ消えて、この連鎖が終わる。」
「おい、三つあるぞ。」
「言ってる途中で思いついた。」
がっくりと秋孝がうなだれる。毒気を抜かれてしまったらしい。
「お前、消えたいのか?」
「それはやだな。まだ確かめたいことが残ってるし。」
四栂さんから聞いた父さんの話。本当にぼくを守ってくれていたのか、ずっと気になっている。そうだとしたら、ちゃんと話をして、謝りたい。
秋孝はふうん、と気のない相槌をうった。
「まあ、最悪の事態になったときは、お前には影響はないから安心しなよ。」
返事がなかったので秋孝を見ると、やつはぼくを見たまま固まっていた。
「どうした?」
「……お前、前は面倒ごとが嫌だから佐倉さんを助けないとか、完全に自己中のクズだったのに。」
ああ、由羽だったころの話だ。懐かしい。本物のほうに話は聞いていたんだろうか。
らしくない暴言に、自然と口の端が上がっていた。
「そこまで言うか?」
「よくなったって話だよ。前なら自分のことで頭がいっぱいで、俺のことまで考えられなかっただろ。」
そう言われると、そんな気がしてくる。
「まあ、人のことを考えざるをえない状況に放りこまれてたしな。」
柊かなえっていう別の人の人生を背負わされていたんだ。結果的にぼくがきれいに均した土地に、元の持ち主がちゃっかり帰って来ちゃったんだけど。
そう考えると、ぼくの土地はさらにでこぼこにされているってところだろうか。飛び降り自殺をしてそのまま昏睡状態が続いている。縁起でもない。
「無事に生き残れたら会心しようかな。」
冗談めかして言う。
今のままだと、それが一番現実味のある話だと分かっていたから。
秋孝は窓にもたれてぼくを見ていた。外からは夕方だというのに強い太陽の光が注いでいる。蝉の声もまだやかましかった。
「お前が戻る方法は思いつかないけど。」
「うん。」
「少し、俺の話をしてもいいか?」
「……ああ、いいよ。」
むしろ、待っていた。
秋孝は一つうなずいた。
「俺は、……私は。黒田秋孝になる前の私は。」
「うん。」
口調が、変わる。やわらかい女の人の声が聞えた気がした。
「女で、それなりに歳もいっていて。」
「うん。」
「それで……ある人の、弟子、だった。」
……なんだか聞き覚えのあるフレーズだ。
「もしかして、遠夜柚卜?」
その名前を出すと、そいつは驚いたように目を見開いて、それからふるふると首を横に振った。
「そんな大それた人の弟子なんて、私なんかには到底無理。百年かかってもなれない。」
「そういうもの?」
「……由羽が思っているよりもずっと、柚卜先生は偉大な人なのよ。」
そうなのか。最近になってどんな人だったのか知ったから、さっぱりわからない。
秋孝はどこか嫌そうな顔をしている。
「もしかして、四栂の姉さんから聞いたの?」
「うん。この間あった時に。」
やっぱり知り合いだったか。
四栂の名前を言う時だけ、すごく苦々し気な顔になるのがちょっと面白い。
「四栂の姉さんは昔から柚卜先生に付き従っていた古株のお弟子さん。対して私は、陰の人が最近召し抱えた弟子。師匠同士がいつも喧嘩腰だったから、弟子同士もなんとなく敵対していたの。」
「陰の人?」
「聞かなかった? ――柚卜先生を裏切った人の事。」
あの腐れ縁でおじいちゃんの術を盗んで、人に乗り移っては名前を変えているっていうあの人か。
「陰の人ってのは初めて聞いた。」
「名前がしょっちゅう変わるから、誰かと話すときはそう呼んでいたの。」
なるほど。通り名みたいなものか。
「その人、今はどうしているの?」
四栂さんは知らなかったけど、直属の弟子なら知っているだろう。
しかし、予想に反して秋孝は首を横に振った。それどころか、青い顔で冷や汗をかいている。
「……知らない。しばらく会ってないから。」
「近くに入るのか?」
「わからない。」
「そうか。」
ただならぬ様子に、さっぱりと返事をする。これ以上の追及はしないほうがよさそうだ。秋孝はそのまましばらく震えていた。
「四栂さんから、その陰の人が柚卜さんから『影』になる術を奪ったって聞いたけど。どうして関係者のお前が『影』になってる? なにか関係があるのか?」
「それは……元々種を蒔いたのは、確かに陰の人だった。実際に術が機能するか確認するために術を放って、結果的に成功したのは身をもって体験しただろう。」
「まあね。」
秋孝は腕を組んで、自分の腕をぎゅっと握りしめている。
「私がこうなったのは、術をある程度コントロールするための実験で。」
「術をコントロールするって、そんなに大変なのか?」
「術は、生き物と同じ。一度放してしまえばその術の特性通りの動きをするし、元々の持ち主の言うことを聞くことはない。そのかわり、外から刺激を与えてやればこちらの思い通りに動かしてやることはできるんだ。今回試したのは、術の『引き寄せ』だった。」
「術を、引き寄せる?」
「実際には引き寄せるのは術のほうじゃなくて、術がかかる『人』のほう。任意の人の『影』になるための方法、って言えば分かりやすいかな。」
そんなことができるのか。いや、成功していれば、自分が誰かになりたいとき、本当にそのままその人になれるんじゃないか。
「それで、実験は成功したの?」
「うん。私は陰の人の指示通り、『遠夜の家に近しい人物』の『影』になることができた。」
ぼくは、え、と声を出していた。
秋孝は自分の胸に手を当てる。
「私は黒田秋孝の影になることができ。そうして、……秋孝に、実験の事を話してしまったんだ。」
「……じゃあ、もしかして。」
「ああ。」
ふっと視線がずれる。秋孝は窓の外、どこか遠くを見ていた。
「秋孝は君との約束を守るため。君自信を守るために、自ら遠夜由羽の『影』になったんだ。」
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