5 佐倉さん
翌日、昇降口で佐倉さんに出くわした。
正直教室より話しやすくてほっとした。
佐倉さんは髪型もスカートの長さもごくごく平均的な、人ごみに埋もれやすい容姿の人だ。だから今まで悪目立ちすることもなく、話すこともあんまりなかったんだけど。
試しに靴をしまいながら「おはよう」と言うと、佐倉さんもこちらをちらりと見て「おはよう」と返事を返しつつ、下駄箱の鍵を閉めている。
今までほとんどしゃべっていなかったとは思えないほど、佐倉さんはすんなりと会話を始めた。
「昨日はありがとう。背中押してくれて。」
「入りづらい部屋に押しこんだのに?」
少し意地悪な返しをする。なるべく、嫌なやつだった思われたほうがいい。
「うん。あとは自分でなんとかするから。」
そんな返事が聞えて、おもわず佐倉さんの顔を凝視してしまう。
彼女はぼくを見ることなく、じっと下駄箱のほうを見ていた。
どうしてだろう。目はまっすぐどこかを見ているのに、声は不安定に揺れている。
けれどなにより、何かを決めた目は揺らがない。眼光鋭い目は朝の光に負けないくらいぼくの頭に焼き付いた。
こういう人って、敵に回すと怖いんじゃないかな。
昨日やつが手出しをしなかったとしても、うまく問題を解決できたのではないだろうか?
「巻きこんで、ごめんね。」
学校指定のサンダルを履いた足が教室のほうに向けられる。ぼくは立ち去ろうとする佐倉さんの背中に声をかけた。
「一番大事なものは、学校なんかに持って来ちゃだめだよ。」
振り返った佐倉さんは何も言わなかった。突然変なことを言った理由も、言葉の意味も、わかっているのかいないのかわからない顔でうなずいて、さっさと人ごみに紛れてしまった。
ぼくはどこか確信めいた考えに至って、しばらくそこに立っていた。
きっとこれから先、どんな人ごみにいたとしても佐倉さんをすぐ見つけられる。
……それにしても、去り際、どうしてあんなことを言ったのか。自分でもわからない。
おそらく過去のあれからの教訓だろうけど。わざわざ佐倉さんに言うなんて。
いつからぼくは自信過剰になったんだろう?
教室に行くと、確かにグループの配置がこの間と違っていた。ぼくの席の周りには秋孝の自転車を一緒に見に行った連中が固まっていて、そのはじっこで新しく自分の席になったはずの場所に秋孝が座っている。
「あれ、ここお前の席だっけ。」
「俺は廊下側に移っただろ。寝ぼけてんのか。」
「人の席占領してて何を言う。」
影の言ったことは正しかったようだ。
ぼくらの会話を聞いて、周りにいた連中が笑った。どうやらぼくの席より後ろにいつものメンバーが机を並べているらしい。
ぼくは自分の席を秋孝から奪い返すとざっと教室を見回した。佐倉さんは騒がしい連中の声が聞こえないかのように、斜め前の席で朝のミニテストの予習をしている。女子二人組は教卓のほうで固まっている。二人ともあのあたりなのか。
秋孝に肩を叩かれて、ふっと顔を上げた。椅子を奪われた秋孝はぼくの机に寄りかかっている。
まだ見慣れない日に焼けた顔だけれど、その目だけは変わらない。
「今日の昼、屋上でいいか。」
「うん、そう言おうと思ってた。」
屋上はぼくらの会議場だ。教室で話せないことはたいてい屋上に持ちこんでいる。長い付き合いだけあって、議題がぼくの中にあることを、秋孝は見切っているようだった。
ホームルーム五分前のチャイムが鳴って、さすがにグループのやつらも自分の席に着いた。秋孝もおとなしく廊下側へと戻る。
午前中の授業は何事もなく過ぎた。
今までいじめに気がつかなかったくらいだから、教室でちょっかいをかけるのは珍しいのだろう。三人組と佐倉さんはいっさい言葉を交わすことなく、うまく距離を取っている。
朝、少し喋っただけでも、佐倉さんは見た目通りの人ではないとなんとなく伝わってきた。たぶん文句があるなら正面から言えっていうような堂々とした人。それならいじめっ子にも真正面からぶつかっていく。
そういうのは、裏でコソコソなにかをやる人にとって一番嫌な事だろう。佐倉さんとあの二人はすこぶる相性が悪いのだ。これはもうどうしようもなく。
ぼくはこれから苦労するであろう佐倉さんを、心の中で応援した。
昼休み、ぼくと秋孝は屋上へ行った。屋上は高いフェンスで囲われていて、休み時間には解放されている。十人ぐらいの生徒がお昼を食べに来ていたのでうまく人ごみに紛れつつ場所を確保する。知り合いのいないところで話をするにはちょうどいい場所だ。
最初に口火を切ったのは、どっかりと座りこんだ秋孝のほうだった。
「で、佐倉さんに告ったの、お前。」
開口一番にそう言われたら、誰だって飲んでいたお茶を噴き出すと思う。
さいわい口をつけたばかりだったから、ぼくはむせるだけで済んだ。もうちょっと遅かったら危なかった。
「どうしてそうなるんだ?」
「だって朝から佐倉さんのほうばっか見てるから。」
「それって告る前の状況じゃないか?」
ぼくの言葉に秋孝は「ああ、そうか。」とのんきに相槌をうって、弁当を食べ始めた。ぼくも家政婦さんが作ってくれたサンドイッチをつまむ。……いや、全然よくないんだけど。
「じゃあいつ告るんだ?」
「とりあえずその考えをやめてくれ。」
どうやら、昨日秋孝は現場にいなかったらしい。ぼくは影から聞いたことを要約して言った。
秋孝はそれだけで、ぼくの考えが読めたらしい。いつもの「何でもわかっている顔」になった。
「珍しいな。お前がそんなことするなんて。」
「魔がさしたんだ。もうやらん。」
「俺の考え真逆だったな。」
「いいよ。誤解されたままのほうがいやだし。」
佐倉さんともっと親密な関係なるだなんて、ごめんこうむりたい。もう厄介ごとはこりごりだ。ただでさえ自分の影の相手をするのに忙しいのに。
ぼくらが話しこんでいる間に弁当を食べ終わったらしい生徒が数人丸くなって、バレーボールをトスし始めた。ときおりフェンスよりも高く上がるボールをながめる。北から吹く風は涼しくて、頭上に広がる高い空はすっかり秋の装いだ。
「本人が自分でどうにかするって言ってたし、余計な首はつっこまないことにする。」
「強い子じゃん。」
「そうなんだよ。びっくりした。」
ふだん大人しいぶん、こういうときのギャップがすごい。
「それでどうにかなるなら、いいけどな。」
何気なく放たれた言葉が胸に刺さった。幻の痛みがじんと広がる。
秋孝の言葉に深くうなずく。もめごとがこじれるのは、ドラマの中でよくある話。でも現実にだってドラマみたいな話はあるだろう。ドラマのストーリーは少なからず実話が混じっているからこそ共感を呼ぶのだから。
「もしもまた巻きこまれそうになったら言えよ。佐倉さんはよくても、相手方はどう思っているかわからないだろ。」
「……それが問題だよな。こっちにまでちょっかい出してくるようならまた面倒だし。」
佐倉さんの大人しさから言って、ほとぼりが冷めるまでなるべく平和を装って過ごすのではないだろうか。あの三人組が余計なことを考えなければ、とりあえずちょっかいを出されることはなくなるんだろうけど。
「大地主を敵に回すような奴らじゃないといいな。」
秋孝の乾いた笑いが響く。
隣を見ると、ぼうっとしているのか、秋孝は半分口を開けてバレーボールを目で追っていた。
今こいつ、なんて言った?
「秋孝?」
夏休みが明けてすぐは憑き物が落ちたみたいにさばさばしてたけど、よくよく過ごしてみると、何か大切なものまで大間に落としてきたんじゃないかってくらい気が抜けている。前とは違う意味で心配だ。
でも、そのことをどう言っていいのか、まだわからない。
さっきの言葉はなんだったんだろう。家とぼくは関係ないって、あれほど深くわかっているはずの秋孝が。
何も言えないまま、バレーボールを目で追った。一人が無理な体勢で打ち返す。落ちるかもしれないと思ったボールは向かい側の人がフォローして、高く舞い上がった。
「あ。」
たぶん、屋上にいた人のほとんどが同じような声を出した。
青い空に打ち上げられたボールは飛ぶことができずに、フェンスの向こうへと姿を消した。
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