2nd Attack: 同僚
輪太郎が学校に戻ってきたのは、八時ちょっと前だった。間もなく教職員全体の朝礼が始まる。職員室に向かっていると、輪太郎は女性に呼び止められた。
「鈴原くんっ」
はきはきとした声の持ち主は、今年から一年一組を担任する
「どうしたの? もしかして緊張してる?」
緊張はしていない。今の気分を表現するなら『絶望の淵をさまよっている』が最も適当だろうと輪太郎は思ったが、適当にいなすことにした。
「えぇ、まぁ」
「分っかるなー。私も初めての始業式のときはすっごく緊張したよっ。そんでもって私もようやく初担任! なんかゾクゾクするっ」
「先輩は三年目でしたっけ」
「そっ。でも鈴原くんは一年目でいきなり担任でしょっ。尊敬するわー、まじでっ」
自分が二年四組の担任をすると聞いたとき、輪太郎は酷く驚いた。小学校や中学校はともかく、高校において新任教師がいきなり担任を受け持つ例は少ないと聞いていたからだ。
「でも気を付けなよ鈴原くんっ。噂によると、これはスケベじじいの差し金らしいから」
「スケベじじいって、誰のことですか」
「校長よ。あのスケベじじいは何かを企んでる」
「まさか」
「だっておかしいでしょ。担任はするのに部活の顧問はなしなんて」
「それは負担を軽くするため配慮してもらったと思ってます」
「どうだか。奴は絶対トンデモ策士のスケベじじいよ。いつか化けの皮を剥がしてやるんだからっ」
「……先輩はなんで校長をそんな風に思うんですか」
「スケベだからに決まってるじゃないっ!」
高校教師にしては思考論理が破綻しているが、指摘したところで修正されることはないだろう。
歯切れよい話しぶりに、拍車がかかる。
「最近じゃ保健の茂手木先生がターゲットなんじゃないかなっ。さっきも呼び出されてたよ。朝っぱらからどんないかがわしいことをしていることやらっ」
谷村は自分の両手を胸にあて、揺さぶる仕草を輪太郎に見せつけた。
「まさか」
「私も狙われるかも。きゃーコワいっ」
「先輩は大丈夫だと思いますよ」
「むっ、それどういう意味?」
「すいません。でも校長先生がそんなことをなさるお方には到底見えないのですが」
「甘い! 人間、誰もが猫を被っているのっ!」
じゃぁ、この先輩も何か被っているのだろうかと輪太郎は思ったが、いろいろ面倒なことになりそうなので問いただすことはしなかった。
「っていうか鈴原くん、前も言ったけどなんで私に向かって敬語なの? 私たちタメでしょ?」
「年齢は同じですが、先輩ですし」
「もー、かったいなっ。もっとフランクに話そうよっ」
そう言いながら、苗は肩をこーつんこつーんと輪太郎の肩に当ててくる。
「あ、もう一つ。生徒に向かってそんなかたい言葉遣いするんじゃないよっ? 下に見られてなめられちゃうかもしれないから」
「肝に銘じておきます」
「はい、今すぐ練習っ」
「肝に――銘じておくよ」
「よろしいっ」
どうやら谷村によるオペレーション・タメ語矯正にまんまと乗せられたようだ。
「ところで、仲良くなるときの話題で鉄板ネタと言えば趣味よね、趣味っ。鈴原君は、何か持ってるのかなっ?」
ロードバイクです――と言いかけて、輪太郎は苦し紛れに「ろー、露天風呂巡りかなぁ?」と心にも無いことを答えた。
「偶然だねーっ。私も露天風呂大好きなの」
「へ?」
「ほら、ここから少し西に行った山の上に月山温泉ってあるじゃんっ。今度一緒に行かない?」
「あー、あそこか。昔はよく行ってたなぁ」
「ほうほう、予想以上の風呂好きねっ。どんなお風呂なの?」
輪太郎は答えられなかった。
露天風呂に入るのは嫌いじゃ無いし、月山温泉にしょっちゅう行っていたことは事実だ。しかし、そこのお風呂には一度も入ったことが無かった。
「なんて言うか、その――」
丁度そのとき、職員室の方から教頭の声が聞こえた。
「谷村先生、鈴原先生。もう会議始めますよ?」
「あ、はーいっ」
「今行きます」
「じゃ、話の続きは後でねっ」
谷村は輪太郎に向かってウィンクすると、先に職員室へ向かって歩き出した。
正直助かったと思う反面、ばつの悪い思いだった。
ただこれはきっと、先輩なりに緊張をほぐそうとしてくれていたのだろう。輪太郎は同僚の配慮に感謝の念を抱きつつ、彼女の後を追いかけた。
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