第77話 エピローグ(2)バーバルの影を抱えて


 アンギウムの北東部にある竜騎兵隊の塔からワイバーンに乗り飛び立つギルベルトさんを見送り、僕とリュオネはしばし海の様子を眺めていた。

 昼前の日差しを受ける海は穏やかで、とてもリヴァイアサンをはじめとする海棲竜種が潜んでいるとは思えない静けさだ。


「ザート、新しい貨物船が来てるよ」


「ん……あの旗印はブラバン商会か」


 喫水線が下がっている所から、レムリア双大陸の穀物でも積んでいるんだろう。

 まだガンナー領の港には入った事が無いはずだ。事実、目的を知らせる信号旗も表敬訪問になっている。

 そういった場合、船は指定の場所で洋上待機し、港側から商業ギルド職員が来るのを待つ。


 アンギウムの場合の待機場所はバレット島だ。

 ガンナー領に商業ギルドはまだ無いため、現在彼らとの窓口は軍、具体的には竜騎兵隊がになっている。


「団長ー、リュオネー」


 イルヤの神殿に向かう階段の踊り場までおりると、竜舎の出入り口からカレンとチャトラが出てきた。


「今日の船舶対応はカレン組か。気をつけて行ってきてくれ」


 カレンはチャトラが復活してから元気を取り戻し、新しい身体を動かすチャトラと一緒に練習に励んでいる。

 チャトラの運動能力とカレンの空間把握能力の相性はいい。ビーコと並んで竜騎兵の主力になってくれるだろう。


「カレン、何か無茶言われたら私の名前を出していいからね!」


 去年の秋、アルドヴィンに乗り込んだ際にリュオネはブラバン商会長に難民を移送する対価として皇国の関税減免の書状を渡している。

 それを出したリュオネがこの港にいるとわかれば船長は無下にできないだろう。


「あはは、その時は頼りますね。チャトラ、行くよ」


 チャトラが軽くかがんだ所でカレンが留め具に手と足をかけて飛び上がり、宙返りして鞍に収まった。

 おお、以前にも増して身軽になっているな。


「よし、調子いいね!」


 自分でも納得の動きだったのか、胸の前で握りこぶしをつくるカレン。


「カレン、団長の前だからってはりきらないの」


「ちがっ、馬鹿チャトラ! そういうのじゃない!」


 チャトラにからかわれ、カレンはまっ赤になって風防や安全帯をガチャガチャとチェックしはじめた。

 安全確認は重視して欲しいんだけど、大丈夫だろうか。


「で、では行ってまいります!」


「団長、今夜のお肉は期待しているわ」


 そう言い残してチャトラは一つ羽を撃つと、一気に飛び上がり、バレット島へと飛んでいった。

 肉か。チャトラはあの上品な口調でガツガツ人一倍食べていたんだなぁ……


「そういえば今日はジャンヌが遠征から戻ってくる日だったね」


 ジャンヌ達元第二小隊は走竜隊として騎竜を駆って探索や冒険者の保護、それに竜種の食べる肉の確保に明け暮れている。

 

「珍しい肉が食える日を記憶しているなんて、チャトラは本当に食いしん坊だな。まるで誰かさんみたいだ」


 十騎士領に出張中でいない黒耳の参棒の姿を思い浮かべ二人で苦笑する。


「それじゃ、イルヤ神殿の方に顔を出していこう……ん?」


 塔の西側にある神殿の屋上をみると、深紅のヒュドラビティスを植えた花棚の下に水色の姿が見えた。


「ビーコどうした。今日はオルミナさんと一緒じゃないのか?」


「ん、ザート様。これからみんなでハイムアに遊びに行くんだけど、ファリーツァがつかまらないんだよ」


 先日イルヤ神の卵から女の子が生まれた。それがファリーツァだ。

 サロメの転生体なのに全然落ち着きがない。神様とはいえまだ子供なので仕方ないのかもしれないけど。

 使徒のオルミナさんが育て、シャスカが主神として神の心得を教えている。

 まだ神としての記憶がないせいか、アルバ神への執着もなく、関係はいたって良好だ。


 でも、その割を食っているのがビーコだ。

 今も石造りのベンチに顎をあずけてため息をついている。


「……やっぱりオルミナさんを取られたみたいで寂しいのか?」


「べつに! そんなことないよっ!」


 話を振るとむきになって言い返してきた。

 いや、その反応は明らかに図星をつかれたやつだろう。


 でも、これを機に姉離れした方が良いのかもしれないな。

 いつかオルミナさんにも子供が産まれるかもしれない。

 その時には今の比じゃないくらいその子にかかりきりになるだろう。

 もちろん僕が口を出す話じゃないけれど。


 そんな事を考えていると、リュオネが白銀の狼耳をピクリと動かした。


「ザート、あれ」


 リュオネの指さした方角をしばらく見ていると、紅色髪を風になびかせた六歳くらいの童女が垂直の壁を上ってきた。噂をすれば、だ。

 シャスカと同じような服の童女が、壁にかけた足でぐいと身体を持ち上げた体勢のまま固まっている。

「あれがゼロ歳児のする事か……『ヴェント!』」


 一気に加速し、飛び降り逃げようとした童女を空中で捕まえると、耳元で甲高い無邪気な笑い声が響いた。


「ザートずるい、ずるいーっ」


 腕の中で笑いながら暴れる童女を肩に担ぐと唐突に大声を上げられた。耳がキーンとする。


「あ、リュオネみつけたーっ!」


 屋上に着地すると、リュオネを見つけたファリーツァが一目散に駆け寄っていいく。

 対するリュオネは微妙な顔で肩を抱いていた。いつの間にか髪飾りで耳と尻尾も隠してしまっている。

 

「うーっ! リュオネ、尻尾どうしたの? 尻尾さわらせて!」


 周囲をぐるぐると回られて居心地悪そうなリュオネが目で助けを求めてきたのでファリーツァを後ろからすくい上げる。


「ファリーツァがいたずらするから隠しました。ほら、出かけるんだろ? オルミナさん達が来るまでビーコの毛皮にうもれてな」


 小さい割に手足の長いファリーツァをビーコに背に乗せると、羽毛を引っ張られたビーコが恨めしそうな目で見てきた。ごめんなビーコ。兄的な存在として我慢してくれ。


「いた! ショーン、屋上にいたわ!」


 ビーコの上でファリーツァを遊ばせていると、声とともにオルミナさんが階段を駆け上がってきた。

 ファリーツァと追いかけっこをしていたのだろう。ショーン、デニス、それにシャスカが疲れた顔をしながら駆け付けてきた。


「ありがとうザート君、もうこれから出かけるっていうのにきかないんだから……」


 抱きついてきたファリーツァの頭をぐしぐししながら困ったように笑うオルミナさん。

 気が早いけど、もうすっかり母親みたいだな。


 オルミナさんは自分が使徒になった事を受け入れたけど、イルヤ神との関わり方についてはファリーツァが生まれるまでかなり悩んでいた。

 シャスカの説明によれば、ファリーツァはサロメとは完全に別な人格らしいが、イルヤ神として完全に覚醒した時にはサロメの記憶を思い出すという。

 ただの少女が神の記憶を得た時にどんな変化が起きるかはシャスカにもわからないらしい。

 だから僕達はサロメに複雑な感情を抱くオルミナさんに、使徒の役目を降りる道もある事を伝えた。


 それでも結局、オルミナさんは卵から生まれたファリーツァを抱きながら、使徒としてファリーツァを育てる事を決めた。


『この子はきっと、イルヤ神の記憶を思い出した時に一緒にいる私達に対して罪悪感や葛藤で苦しむでしょう。転生前の行いで苦しむのは理不尽だわ。だから、私はこの子を愛して育てる。いつかこの子に生まれる負の感情に負けない確かな絆をつくって見せる。それで皆は幸せになる、でしょ?』


 確かな決意とともに金色の瞳を細めるオルミナさんの言葉に反対する人はおらず、その場で彼女に協力するため、それぞれの役割を決めた。

 ボリジオは幼神の世話で忙しくなるオルミナさんから竜騎兵長の役職を引き継いだ。

 バシルとカレンはティランジア各地の竜の墓場をめぐりつつ、知性が高い竜種にイルヤ神に従うように説得している。ファリーツァがより早く力を取り戻すために必要な神種の回収も忘れない。

 ビーコは海に潜れるのでショーン達と海棲竜種を狩り、血殻と神種を回収している。


『ところでザート、身体に異常はないか』


 ビーコ達から少し離れた所で一行を眺めていると、シャスカが隣に来て青浄眼を使い話しかけてきた。

 その顔に表情はなく、頭にかぶったアリアヴェールに半ば隠れている。


『ああ、平気だよ』


 視界の端にある青い光の板に返事を返すと、僕の答えに不満なのかシャスカがアリアヴェールの薄布ごしに睨んできた。

 

『平気なはずなかろう。神器に入っておるのは竜玉の識眼からはがしたバーバルの呪いじゃぞ。どんな影響があるかもわからぬ』


『しかたないだろう。あのまま卵に入れていればイルヤが悪神として復活していたかもしれない。それにあれはバーバルに関する貴重な情報だ』


 正論を返すとシャスカは腕を組みうなり、前を向いた。その先にはビーコの周りで駆け回るファリーツァがいる。


 卵と融合させるためサロメの竜玉の識眼を収納した時、竜玉の識眼に〝影〟という状態が付与されているのを見つけたのでそれを分離した。今それはシャスカの魂の器に入れられている。


『〝影〟からは異界門で感じたものと同じ気配を感じる。サロメはバーバルと約定を結んだと言っておったが、あれは呪いの類いじゃ。約定が対等であったはずがない。あやつははめられおったのじゃ』


『そうだな。なるべく早くに解析して捨ててしまおう。あまりリュオネを心配させたくない』


 理知的な彼女は〝影〟を解析するために保管する事に理解してくれたけど、それは心配していないわけじゃない。

 リュオネは負の感情が強いほど無意識に押し殺してしまうから、悲しみの感情は見せても、それがどれくらい深いのかは他人からはわからないのだ。

 事実を伝えあう事はできても、心を完全に一つにすることはできない事にもどかしさをおぼえつつ、僕は少しでも彼女が健やかに過ごせるように、日々憂いの種を取り除いている。


「……シャスカ、何をしているんだ」


 真面目に考えていると、気がつけばシャスカが港に面した屋上のはしに駆け寄って手を振っていた。


「ボリジオー! 今日の提督夫妻はハイムアに調査に行くのでよろしくたのむぞー!」


 ハイムアに調査? つまりファリーツァと一緒に行けってことか? 何を勝手に決めてるんだ。こっちはまだかたづけなきゃいけない仕事が残ってるんだぞ?

 シャスカの横から下を見ると、ボリジオが胸の前に手を当てていた。


「ではアルバ神殿に向かい文官に話を通しておきます。裁可を求められたらいかがいたしますか?」


「我も後ほど向かうゆえ心配無用じゃ! 頼むぞ!」


 無言で敬礼してアルバ神殿の方へ走っていくボリジオを満足げに見送ったシャスカが身体ごと振りかえりアリアヴェールをはためかせた。


「シャスカ、一緒に来ないのか?」


「十騎士領の使節が来た時に、万が一にも我とお主のどちらかがいなければ示しがつかぬじゃろう」


 十の首長の元には、既に叙爵内定の報せを持たせた竜騎兵を向かわせている。

 叙爵式の日取りは余裕をもって伝えてあるけど、気が早い首長は身一つで駆け付けてくるかも知れない。


「そうか、悪いな」


「かまわぬ。バーバルの憂いはある。が、それはそれじゃ。終戦後から狩人伯が働きづめでは周りも休めぬ。今日の所は我が留守番をしてやるゆえ羽根を伸ばすがよかろう。また温泉に放り込まれたければ別じゃがな?」


 働き過ぎでバーベンに行かされた事を誰かに聞いたのだろう。

 憎たらしいけど、うなずくシャスカの気遣いはなんだか新鮮で嬉しい。


「わかった。使徒たるもの、時には神様に従わなくちゃな」


「時には、ではなくいつも、じゃ。良いからゆけい」


 追い払うような手つきをするリュオネに手を振り、ビーコの元に向かう。

 が、歩くうちに口元がにやけてきた。

 ファリーツァを服属させたせいなのか、背が少し高くなったと思っていたけど、人を心配したり留守番をかってでたり、シャスカは中身も成長した気がする。

 妹ができると姉は成長するというけれど、神様にも当てはまるのかもしれない。


「ザート、嬉しそうな顔してどうしたの?」


 ビーコの足元で見送る体勢になっていたリュオネが不思議そうに首を傾げていた。


「リュオネ、今日はアルバトロスと一緒にハイムアに行かないか? まだ採取していない植物がたくさんあるだろう」


 リュオネの視線がアルバトロスと僕の間を行き来する。

 ショーンが心得たとばかりに、さっと縄ばしごを下ろしてきた。


「嬉しいけど、いいの?」


 驚いたように目をしばたくリュオネ。


「いいんだよ。少し大人になった神様からの気遣いを無下にはできないだろ?」


 リュオネと二人でビーコの背に登って振りかえると、夏空の中、アリアヴェールを海辺の風にはためかせたシャスカが大きく手を振っていた。




【後書き】

八章完結です! 皆様、ここまでお読み下さり、本当にありがとうございます!

まだまだ物語は続きます。

ティランジアの北西の沿岸部である十騎士領の中心につくった都市アンギウム。

ここが現時点での主人公が治める領地の首都という事になります。

集団としても個人としても高い能力を持つザートがどのように活躍していくか、ご期待下さい。

八章完結を節目とし、ぜひ★評価にて作品を応援いただけたら幸いです。



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