第22話 イルヤ神の終わり



(……あれが、使徒?)


 光を吸収する影のような鱗は半ばはがれ、四肢の金属質の爪は折れ、空を駆ける雄々しい羽根は破れ、四肢は萎え震えつつも、ゆっくりと立ち上がっていく。

 それでも、シベリウスを初めとするアルバの騎士達は極度に緊張しながら追い打ちをかけられずにいる。

 彼らが囲むただ一つの存在は巨大な真竜だった。


(シャスカ、動物も使徒になれるのか?)


 返答の内容を半ば予想しつつシャスカに訊ねた。


(否、使徒になれるのは人種のみじゃ。そもそも人種は使徒を生むための器として神界で神を模して作られた存在じゃからのう。それにしてもあの竜人、いくつ神種を呑み込んでおるのじゃ)


 ティランジアの海岸を進む旅の中で生じた疑念は正しかった。

 あらゆる動物が竜の種を取り込む事で竜種になれるなら、やはり人も竜種になれるのだ。

 シャスカが竜人と呼んだ竜がかすかに赤く光る。あれは、魔人グレンデールの時と同じだ。地面から魔素を吸っている。


 思わず空を見上げる。空はのっぺりとした赤一色で、どこにも夜のきざしは無い。ここは半ば異界化した世界、魔境となっていた。


「させるかぁ!」


 包囲しているアルバ勢の中から若い騎士が数名飛び出して竜人に攻撃する。

 しかし、鋭い槍の刺突も、剣の紫電の一閃も、練度の高い上位魔法も、竜でありながら体術の達人のように動く竜人によりことごとく避けられ、受けとめられ、咆哮により消し飛ばされた。


 包囲している騎士がその事を把握した直後、そこには絶命した三人の死体があった。

 この間竜人は魔素を吸うのを止めていない。あまりに一方的な戦闘だった。


「ザハーク、儀式を始めます。今しばらく持ちこたえなさい」


 声のする方を見ると、大階段の上、破壊された大扉の前にはイルヤ神であるサロメが立っていた。

 その表情は長城壁上の会談の時よりも闇をはらんでおり、凶相に歪んでいる。

 彼女の言葉と同時にザハークと呼ばれた竜が羽根を羽ばたかせ飛び上がった。


「フィリオ! 奴を城壁に縫い付けるんだ、これ以上地につけて回復させるな!」


「りょう、かい!」


 連続する轟音とともに四方の騎士が持つ銃から鎖が発射され、ザハークに巻き付く。それをフィリオと呼ばれた少女が弧を描くように走りつかんでいった。

 フィリオは城壁に向かい助走をつけ、手に持つ鎖をきしませる。


「おらぁ!」


 身体が輝くほどの身体強化とともに発された気合いの声の後、地面に響くような音と共にザハークの身体が城壁にめり込んだ。

 続いてフィリオがマジックボックスから取り出したのか、フィリオが長大な砲身を持った銃を取り出した。

 その特徴は銃口から返しのついた巨大な矢尻が飛び出ている所だ。

 さっきの鎖を撃ち出した時も使っていたけど、やっぱりアルバ軍は銃を使っていたか。


「喰らえ!」


 再び身体を輝かせたフィリオの銃からから足ほどもある太い銛が射出される。マジックボックスから直接転移させているのか、フィリオは装填の動作をすることなく砲身に現れた銛を連続して撃ち出していく。

 反撃の隙を与えない連続攻撃により、一瞬のうちに真竜は銛で壁に縫い止められてしまった。


「シベリウス!」


「こっちの準備は出来ている! 皆、備えろ!」


 フィリオの呼びかけに対し、額に血管を浮かせ、噛み折らんばかりに歯を食いしばっているシベリウスに代わりカイサルが答える。

 同時にザハークの頭上と足元に紫色の法陣が浮かび上がった。


 瞬時に理解する。これは異界門を閉じた時に神像の目にともっていた光と同質、つまり神像の右眼と左眼の力を合わせたものだ。

 僕が神像の右眼で出す法陣とは使われる魔素の規模が違う。


『ヴァジュラ』


 シベリウスによる、絞り出されるような低い声と同時に、赤く灼けた巨大な柱がザハークの巨体の中に現れた。

 肉片の飛び散る方向からかろうじて上から柱が差し込まれた事が理解できる。

 首元から下腹部に突き抜けた柱はそのまま地面の法陣にゆっくりと吸い込まれていく。

 ふっと柱が消えたのち、ザハークの巨体は力なく壁にぶら下がり、やがて塵となった。


(やれやれ、何とか倒しきれたか。さすが我が使徒達じゃ)


 肩に止まったシャスカから安堵のため息が漏れた。


(人としての技術と真竜としての肉体が一つになるとあそこまで強くなるのか)


(奴が取り込んでいた神種は恐らく五つはあった。神種は神の力を分け与えるものゆえ、複数の神種を取り込めば普通は身体が保てぬ。にもかかわらずそれをものにしておったのじゃ。シベリウスという男が神像の両眼を使えなければ危なかったじゃろう)


(両眼?)


(神像の右眼と左眼の同時使用じゃ。右眼だけに比べて出し入れが飛躍的に容易になるが、体内の経路を酷使する。いずれ使う時も来るじゃろうが気をつけるのじゃぞ)


 両眼か。これからの戦いではあの紫の法陣は必須になるだろうな。


(シャスカ、それについて……)


 なんだ? 周りが暗くなっていく……影?

 反射的に上を見上げると、赤い空の中に、太陽の代わりに巨大な赤黒い球体が空に浮かんでいた。

 球体……それにそれを加えている巨大なくちばしはなんだ? 後ろになにかいるが、球体が大きすぎてここからは見えない。


(先ほどサロメが行っておった儀式というのが気にかかる、行くぞ!)


 シャスカに促されサロメが消えた大扉を見ると、ちょうどシベリウス達が入っていった。

 追いかけて扉をくぐると、カイサルの一団の前には翼を生やし、下半身を蛇へと変えたサロメがとぐろを巻いていた。


(ザート、我もきづかなんだが、この辺り一帯の地下は全て血殻で出来ておるぞ。その魔素がサロメのとぐろの内側から上空の球体におくられておる)


 シャスカが言っているそばからサロメの後ろから赤黒い炎が立ちのぼり空の球体に届いた。


「わたくし申しましたわね? 本懐をとげるまで貴方に嫌がらせをすると。今生でそれが敵わぬのであれば共に神界へともどりましょう」


 サロメがカイサルにしなやかな動きで手を差し伸べている。


(シャスカ、神様はどうすると神界に戻るんだ?)


(一言でいえば世界経営の破綻じゃ。その神に世界を任せても発展の見込み無しと判断された時、神界より神は世界の管理権を奪われる。生身となった神は殺す事ができる。その屈辱は死にも等しい)


 つまりサロメはカイサルと無理心中するために二つの世界を潰すつもりか。

 薄々しそうだとは思っていたけど、やっぱり病んでいる。


「冗談ではない、止めるんだサロメ!」


 カイウスが色々と説得を試みているけど、サロメは聞く耳をもたない。

 そうこうしているうちにすさまじい勢いで球体に吸い込まれていった魔素の柱がかすれ、消えた。


「魔素は確かに渡しましたわ。貴方の計画に協力したのですから、手はず通り頼みますわよ、バーバル」


 赤黒い球体が徐々に空に呑まれるように消えていくのを見ながら、満足そうな笑みを浮かべたイルヤ神がつぶやいた。


(バーバル、魔素の行き先はバーバルの世界であったか)


 驚愕するシャスカの隣で僕も言葉を失う。

 まさかイルヤとバーバルがつながっていたなんて思わなかった。


「バーバルだと……そのような神の名は聞いたことがないぞ」


 異界化が溶けた青空を茫然と見たカイサルがつぶやくと同時に何者かが大扉から飛び込んできた。


「急ぎ申し上げます! ティランジュ周辺に未知の軍勢が出現!」


「なんだと、規模はどれほどだ!」


「倒したイルヤの軍の倍はいます、このままだと我らは包囲されます!」


 伝令の報せにカイサル達が動揺する。


「急いだ方がよろしくてよ。バーバルの軍勢は魔法に長けておりますわ。一般の兵士では一方的に倒される事でしょう」


 まだ何かするつもりなのか、イルヤは既に球体の消えた空に向けて蛇身を伸ばしながら微笑んでいた。

 慈しみがあるようでいて、その目はカイサルには向けられていなかった。

 カイサルは一瞬ためらったが、すぐにシベリウス達に倒れた騎士達の回収を命じていった。


(ザート、魔法陣が生じておる。そろそろ記憶から出るぞ)


(まて、サロメの様子が変だ)


 サロメの方を向くと、蛇身だけではなく全身が緑色にかわり翼が横に張り出していく。なにより、人としての身体から小さな球体がつぎつぎと生まれていた。

 あれは、竜の種か!


「爆ぜる!」


 誰かが叫んだ瞬間、たくさんの竜の種を付けたサロメの身がはじけ、種がすさまじい勢いで空に打ち上がった。


「サロメ、愚かな……」


 神の力を失いすぎたのか、半透明になり意識があるかも判らないサロメに向けてカエサルは呟き、神種である竜の種が飛び去った青空を見上げた。

 そして、今度こそアルバ神の精鋭達はイルヤ神の神殿を後にした。



    ――◆ 後書き ◆――


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