第13話【異界に封じられた狩人】

〈第三者視点〉


 コトガネが渡界した後、最初に感じたのは魔素の濃さと辺りに残る戦いの痕跡だった。

 空は黄昏時の冬空のようでいて、鬱々とした暗い影を岩の影に落としている。

 向こう側からは膜の色と思われていたけれど、この世界は元から赤黒い色をしていた。


(体に魔素がしみこんでくる。あまりながくはおられんのぅ)


 コトガネは自らの身体を確かめつつ三刃の鞘の方に注意深く歩いていく。

 ザートから、異界はハイエルフの世界だと聞いていたが、辺りをみてもそれらしい者は見当たらない。

 異界門から少し行くと一部が下り坂になっていて、異界門が広大な森林に囲まれた丘の上にあることがわかった。


「さて、ユミガネの骨も持ちかえればと思っていたが、何もなしか」


 岩に突き立つ逆鉾を前にして、コトガネはつぶやいた。

 持つ者がいないのに、いまだに翠の粒子を地にこぼし続けている三刃の鞘をみてコトガネは少し首をひねった。

 しかし、自分が魔物として存在している不思議に比べればささいな事と思い直して、逆鉾を抜こうと足を前に進めた。


「皇国の。わりぃが、そいつを抜くのはちょっとまってもらえねぇか」


 一切の気配なく発せられた声に動きを止めたコトガネだったが、逆鉾がささった岩の亀裂から黒い霧がしみだし、徐々に人の形をとるのを見て、その者の次の言葉をまった。

 不意打ちをしないならば何か目的があるとみたからだ。


 黒い霧は次第にはれ、炭のように艶のない灰色の髪をした男が現れた。


「とりあえず名乗ろうか。俺はジョン。こっぱずかしいが蛮勇なんて二つ名もついてる。そっちの世界でどれだけ時間がたってるかわからねぇが、ライ山の異界門事変には狩人として参加した——っとすまねぇ」


 握手をしようとしたジョンのヒジから先は黒い霧のままだった。

 きまずそうに笑う。


「右腕がなければ握手はできぬのう。わしはコトガネ・エンデ=アシハラじゃ。こんななりになっておるが、生前はホウライ皇国の牙狩りをしていた」


 コトガネの名乗りを聞いてジョンは目を見開いた。


「甲冑から皇国人だとはおもったが、少佐と同じ牙狩りとはねぇ……」


 ジョンは後ろの逆鉾を見てから、バルド教の奴らが皇国人を送る理由はないか、などとつぶやいて、再びコトガネに向き直る。


「コトガネさん、確認したいんだが、神像の右眼を使って、あんたをこっちの世界に送り込んだのはバルド教か? それともウジャトか?」


 表情を引き締めて問うジョンには先ほどまでの軽薄さはなかった。


「ウジャトが何かは知らぬが、少なくともバルド教ではないぞ。法具の持ち主はザートという少年じゃ。バルド教とは仲が悪いときいておる」


 ザートという名前を聞いてジョンは一瞬けげんな顔をしたが、すぐに表情を戻した。


「なるほど。それで、あんたらの望みは、そこの岩に刺さっている剣か? それともどこか他で異界門が開きそうなのか?」


「わしらはブラディアに依頼されてここの調査に来た。わしはたまたま参加していて、そこの逆鉾がみえたから異界門を越えてきたのじゃ」


「ああ、少佐の遺品をとりにきたからか」


 コトガネはジョンのなんでもない言葉を聞き、鎧の中でそっとため息をついた。

 わかっていたとはいえ、事変の戦友に遺品と言われれば、ユミガネの死は確定したといえるだろう。

 今の事実をリュオネに伝える事を思うと、コトガネの気持ちは沈まざるを得なかった。


「わりぃ、少し無神経だったか。けどな、最初に言った通り、そいつを抜かれるとちょっと具合が悪い」


 逆鉾をに目を向けると、意図を察したジョンが再び制してきたので、少し剣呑な目でジョンを見返した。

 仮にリュオネに渡さなくとも、コトガネにとって三刃の鞘は見つけた以上持ち帰らねばならないものだ。

 皇国の主上より下賜されたものを異国どころか異界に放置して帰るなどあってはならない。


「理由はちゃんとある。あの剣は異界門の封印にかかわっているんだ。手順を踏まないと、封印がとけちまうし、最悪、もう二度と異界門を封印できなくなる」


 尋常じゃないあせりように不審を覚えたコトガネは改めてジョンを見た。


「それはおぬしの姿にも関係することかの?」


「ああ、俺の身体も封印に巻き込まれているからな。コトガネさんは魂魄はわかるか?」


「うむ、丁度ここにくるまでに、魂魄そなわった魔物を倒してきたところじゃ」


 コトガネも上に立つ者、魔人を屠る者として、魂魄についてもある程度理解はしている。

 どの世界のどの生き物でも、魂は魔素と共に移動して血殻を核に成長する。

 そして魄を得てはじめて魂魄がそろい生物として安定する。


「ならわかるとおもうけど、今の俺、つまり魂をつなぎ止めているのがこの剣なんだ。これを抜かれると、俺がそっちの世界に渡界しちまう」


「してはならんのか? おぬしであれば人のまま転生できよう」


 魂は生前に育てた魄に影響を受ける。

 それ次第で魂が次にどこの血殻に宿るか変わってくるのだ。

 ジョンの魂としての姿ははっきりとした人型で、転生後も人になると予想できた。


「そっちの世界には、まだ俺の魄が入った肉体が残っているんだ」


 それを聞いてコトガネは思わずうなってしまった。

 大きな問題があるからだ。


 生きようとする生物の本能として、魂を主として魄を従として引きあう。

 けれど、死んで完全に別れてしまった魂魄が再び一つになると、主従が逆転して肉体がよみがえってしまうのだ。

 死んではいないが、魂魄の主従が逆転した存在の代表として魔人が上げられる。


「その肉体には”封印の鍵”が入っている。もし俺が魔人としてよみがえればその鍵もすぐに変質するか壊れるかするだろう」


「なるほど……封印の鍵が壊れるとなれば、話は別だのう。しかし、封印の鍵は新たな異界門の封印にも必要なものであろう? どうするつもりだったのだ?」


 コトガネの問いにジョンは曖昧な笑みを浮かべた。


「封印の鍵と、”神像の右眼”を管理していたウジャトの誰かがなんとかするだろうと思って封印の事しか考えていなかった」


「おぬしのぉ……」


 いたずらが見つかって、なお反省しない子供のようなジョンをコトガネが半目でにらむ。


「大丈夫だって。”神像の右眼”を持ったコトガネさん達が来てくれたから問題の大半は解決しているんだ」


 ふっと稚気を失った笑顔と共に発せられた言葉に、コトガネは低くうなった。


「俺の魄と肉体は”神像の右眼”の中だ。魂の俺がもどった瞬間に殺してくれ。牙狩りのアンタならできるだろ?」









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