第2話 winnerじゃなくてloser

(1)


「いつまで地べたに寝転がってんの??さっさと起きなさいよ」


 幼女悪魔の上から目線は二十年前とちっとも変わっていない。人間の幼女なら、生意気な、と呆れるけれど。幼女形態は仮の姿と知ってるし、たぶん僕の数倍、ひょっとしたら数十倍生きてるかもしれないし。なんて、口に出したらまた蹴られそうだから黙っておく。


「まだ起きないつもり」

「今起きるって……」


 冷えた地面に体温が奪われていくのがちょっと辛くなってきたし。

 起き上がろうとして、身の周りに散乱する自分の持ち物が目に入る。運悪く開いてしまった鞄から中身が散乱していた。途端に僕の動きは早くなる。スマートフォンの画面が割れていないか、財布から金やカード、身分証明に繋がる物が抜かれていないか、確認する。よかった、何も盗られていない。


「ねぇ、あれはいいの」

「あれ??」


 幼女悪魔が顎をしゃくって示した先には、赤×緑のクリスマス配色のリボンがあしらわれた白い箱、厳密には箱だったモノが落ちていた。潰れた蓋の隙間から生クリーム、フルーツ類が飛び出している。片付けろ、っていいたいのかな。


「子供のために買ったんじゃないの……」

「子供なんていないよ」


 被せるように答える。正確に言うと、今いない。じゃなきゃ、クリスマスイブなのに、一人で飲み屋に行こうなんて思うもんか。

 幸せな光景が溢れる街の大通りから外れた裏通りの飲み屋街も予想に反してどこも満席だった。彼らも僕と似たり寄ったりの境遇だろうか。イブに帰りを待ち望む家族がいない――、左手の指輪の痕がじんと痛んだ気がした時、腰の辺りからスッと小さな手が差し出された。


『パパー、いってきます、のあくしゅ!して!!』


「み、美優みゆ……」

「ねぇ、これも落ちてたけど」

 差し出された手は、僕の手を握る代わりにパスケースをずいっと突き付けてきた。

「美優って、パスケースに挟んである写真の子??あんたの娘??」


 この問いにもまた無言で頷く。頷くというより項垂れていたかもしれない。


『貴方に似て優しい子に成長しますように』


 妻とは一〇年前、英会話スクールで出会った。

 僕が仕事で一年、海外研修に行ってる間も破局せず交際が続いた彼女を、運命の女性だとさえ思った。こんな僕にも大切に想い合える人がいるのが嬉しくて。失いたくなくて。だから、結婚も式も新婚旅行も新居も全て彼女の望みに従った。

 妻の希望に添って名付けた娘の名前。娘が生まれ、一年間の育休取得して家事育児に専念した。仕事に復帰してからも変わることなく、仕事以上に家事育児に励んだ。

 妻は出会った頃から僕に対し、『あなたは優しい人』だと口癖のようにずっと言い続けていた。言霊云々ではないけど、その言葉が妻の口から出る度、家族の期待にだけは絶対応えなければ、と、身が引き締まる思いだった。

 そろそろ家が欲しいと言い出すかな。妻(と娘)はどんな家を希望するのか。相当な額の買い物だから、完全に彼女の希望通りにはできないかもしれない。でも、そこは彼女も大人だし、ある程度の折り合いをつけてくれるだろう、なんて。


 一人で先走って一喜一憂していた僕は、何も分かっちゃいなかった。








(2)


「なんだ、ちゃんと家族いるじゃない。だったら、一人寂しくふらふらしてないで、代わりのケーキ買って家に帰んなよ」

「だから、そんなの、いないって」


 そういや、なんでケーキなんか買っちゃったんだろう。飲み屋に入れないから、コンビニで家呑み用の缶ビール買おうと思っていたのに。

 一つだけ売れ残っていた、苺ショートの小さめのホールケーキ。信じていた幸福から見放され、一人取り残された僕と重なってしまい、結局ビールじゃなくてケーキを買ってしまった。そのケーキは残念ながら見るも無残な姿に変貌してしまった、というか、僕がさせてしまったけど。


『あなたは優しいんじゃない、狡いのよ。優しく私の要望に応える振りして、自分はなんにも考えなくても済むようにしてる。そうやって楽ばかりしてるの。本当に狡いよね』


 娘と家を出て行く直前、離婚届を突きつけながら浴びせられた妻の言葉。

 一年半経った今も忘れられないでいる。


 にしても、あぁ、なんだって聖なる夜に憂鬱な気分に陥らなきゃいけない??

 折が良いのか悪いのか、粉雪がはらはら、はらはら舞い落ちてくる。一時的にちらつくだけならともかく、一晩で降り積もったなら俗に言うホワイトクリスマスになるってか??

 いやいや、勘弁してくれ。積雪のせいで電車のダイヤが乱れたり、止まったりしたら最悪だ。


「ねぇ、しけた顔すんのやめて。イライラする」

「君には関係ないだろ。イライラするなら俺なんかほっとけばいいのに」

「四十近いオッサンがいじけて不貞腐れても全然可愛くないから」

「ほんとーに、口が減らないね、君……」

「あんたも変わってないよ、主に精神面が」

「痛いとこつくなぁ……」

「じゃあ、嫌でも変わらざるを得なくしてあげようか??」


 幼女悪魔の黒目がちな瞳が妖しく光った。

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