第32話 ガーディアン(六) ~Sophia~
第五エリアの事故から、
第五エリアの事故は、移民によるテロリズムであると政府が発表し、移民-難民の排除を明言したからだ。
政府の命令により難民や移民の能力者達は職場から解雇され、行き場を失った人々がスラム街に屯するようになった。
スラム街では喧嘩や争乱が相次ぎ、頻発する暴動によって患者の数は増加するばかりだった。
ラグナ大佐の率いる治安部隊の度重なる出動にも関わらず、事態は一向に終息する気配を見せず、私達の焦燥もピークに達していた頃だった。
オフィスで、患者のカルテの見直しをしていた私に、Dr. クレインからの通信が入った。
―ルーナから通信が入っている。そちらに送る―
―ルーナから?―
用件のみの短い伝文の後にあるURLをタッチすると、三行ほどの文章が現れた。
―学長先生が、進路のことで面談したい、とのこと。来週の金曜日に、ふたりで来てくださいって。―
そう言えば、ルーナの第四エリアの卒業も間近に迫っていた。『例のこと』ですっかり忘れていたが、専門エリアに移行するには、試験がある。
―ちゃんと準備してるのかしら?―
私は突然に不安になり、ルーナに返事を返した。
―わかった。お伺いするわ?試験の準備はできてるの?―
すぐさま返ってきた返信には、流行りらしい絵文字がくっついて、苦笑していた。
―大丈夫よ。マムも無理しないで。ダディにあまり心配かけないでね。―
無理して心配をかけているのは、イーサン=Dr. クレインのほうなんだが......と心の中で呟きながら、ふたりで頻繁に通信のやり取りをしているらしいことに、少し安心した。
ただ、少々妙な感じがしたのは......聞き知っているスタディ-エリアのシステムでは、子どもの進学については、子どもの希望と資質を勘案して政府が決定し、親―卵子と精子の提供者に通達が届く。教育者との面談は、親のどちらかからの異議申し立てが無ければ行われない。
ルーナの場合、まだ通達も来ていないし、(試験が終わらないうちに来るわけは無いのだが)、私達は表立って何もアクションを取ってはいない。
ルーナの人生はルーナのものだ。ルーナが進みたいと思う道に進むのが一番良い......と私もイーサンも思っている。
政府がそれに対して異存があるというなら、ルーナを擁護しよう、と私達は互いに意思を確認して、面談に臨むことにした。
「何かやらかしたわけじゃないだろうな?」
「失礼ね。私は真面目な生徒よ」
学長先生から待つ面談室に向かう廊下で、私は、イーサンとルーナの小声の会話に頬を緩ませていた。こういう何気ない会話を聴くと、正直、ホッとする。『父』になったことはイーサンにとって、大きな支えになっていると感じるからだ。イーサンが最も愛しているのはルーナで、ルーナからも愛されている。これはとても大事なことだ。
「あ、ここよ」
素っ気ないスチールのプレートまでもが威厳のあるように感じられる突き当たりのドアの前で、私達は立ち止まった。
イーサンが緊張の面持ちでインタフォンに向かって挨拶を述べる。
「ご多忙中、失礼いたします。ルーナ-クレインの保護者ですが......」
「お入りください」
柔らかな、重みのある声が応え、音も無く大きな扉が開く。
大きな窓から注ぎ込む午後の陽光に目が眩みそうになりながら、私とイーサンは窓辺に佇むその人に会釈した。
「父のイーサン-クレインです。それと......」
「母のアーシャル-シノンです。学長先生」
学長は長老らしくゆったりとした物腰で、手を差し出し、私達は握手を交わした。
「私は、シュトレイム-ハウゼン。スタディ-エリアの第四エリアまでを預かっております。専門エリアでは哲学を教えています」
ハウゼン教授は、手前にあるソファーを私達に進め、自らも対面して座した。
「お子さんのルーナさんの進路ですが......成績としては申し分ありません。教育者になりたいとの希望ですが、専門学科を選ぶ必要があります。......ご両親のお仕事は、ともに
言って、ハウゼン教授はチラッとルーナの顔を見た。いつになく緊張の面持ちで、だがはっきりとした言葉でルーナは応えた。
「私は、文系の教師になりたいんです。文学や心理学や哲学......ラウディスの『心』を伝えていく教師になりたいんです」
イーサンはビックリした表情でルーナの方を振り返った。私は、驚きはしたが、ルーナがいつの間にか、大人なしっかりとした考えを抱いていたことに密かに感動すら覚えた。
「私としては哲学を学びたいと若い人が志してくれるのは嬉しいことですが...』.保護者の方のご見解は如何ですか?」
ハウゼン教授の言葉に、イーサンの顔を盗み見ると、少々険しい
「ルーナの人生はルーナのものです。本人が自分の意志で進路を決めていくことに異論はありません」
私もイーサンの言葉に頷いて、同意であることを伝え、ルーナはホッとしたように微笑んだ。ハウゼン教授は、かすかに驚いたような表情を見せたが、すぐににこやかに笑った。
「判りました。......ルーナさんが、日々、自信に満ちておられる筈だ。......判りました。ルーナさん、教室に戻って良いですよ。」
ルーナはバネに弾かれたように立ち上がり、深々とお辞儀をした。
私達も立ち上がり、お辞儀をしようとしたところで、ハウゼン教授の長い指がそれを押し留めた。
「お二方とは、もう少しお話がしたい。......お時間はありますか?」
「はい......」
私達は顔を見合わせ、ソファーに座り直した。ルーナのパタパタという軽い足音が遠ざかったところで、ハウゼン教授は、秘書を提出させ、改めて私達ふたりをじっと見た。
「ラグナ大佐にお会いになりましたね。フロレンス博士にも......」
ハウゼン教授がおもむろに口にした名前に、私達は、あっ...と声を上げそうになった。
「Dr.クレイン、あなたは大変な使命を背負われた......」
教授は、学者らしい神妙な面持ちで言った。
「この星は、今、裁きに遇おうとしています。人間―Human ― は、傲慢と強欲のためにとてつもない大罪を犯してしまった。 それを購なわねばならない......。私は、子ども達の未来を預かりながら、その行く末に地獄が待ち受けていても、それを押し留めることが出来なかった......」
教授の頬をひと筋、滴が伝った。
「ドクター、宇宙定義における七つの大罪をご存知ですか?」
「七つの大罪......?」
「そうです。人間―Human ― が共に
「裁き?......誰が裁くのですか?宇宙連合にはそのような権限は無いはずですが?」
イーサンは半ば我れを忘れて声を荒げた。
「『摂理』です。この宇宙の根源の存在、『摂理』が、それに叛くものを自らして滅びへと導くのです。......『摂理』は絶対です。何人たりとも、これに叛くことは出来ない。
たとえ強大な帝国であったとしても......。」
イーサンは青ざめていた。あの第五エリアの事件で、Dr. バルケスと
「マスターΩ《オメガ》の目覚めは、我々ラウディアンの罪を購い、自らを浄める唯一の方法です。結果はどうあれ、完全なる滅亡からラウディスを救う唯一の方法であることは間違いありません」
「しかし、しかしその方法が......」
マスターΩ《オメガ》を目覚めさせるには、『
「まず、七人の聖者の魂を解放しなければなりません。そして、『
「ひとつに......?」
「彼らは、ふたりでひとつの意識を共有していたのです。それを断絶させたのは、
「何故、
私にとって、一番の疑問はそこだった。
「彼にとって、完全なる存在は『恐怖』だったのです。崇高な完全なる存在を作り上げることを指向しながら、その絶対性に恐怖したのです」
ハウゼン教授は遠い眼差しで続けた。
「人間は、『揺らぎ』の内にある存在です。理想を求めながら、欲望を消し去ることは出来ない。理想を叶えようとする欲望は人間を人間として生かす力でもある。......だが、叶ってしまった理想は、人間を『殺す』のです。」
「殺す......?人間を......ですか?」
「揺らぎの無い存在であるマスターΩ《オメガ》は、彼らの欲望も願いも理解できない。
「ますます解りません。何故です?完全な存在なら、星を完成された社会に導くはずです」
イーサンも私も、頭を抱えた。
「人間も、社会も、星も『生きて』いるのですよ、Dr. クレイン。生きている人間に『完成』というものがあると思いますか?」
「あり......ません」
「左様。人間の完成は『死』をもって成される。つまり『停止』した状態です。しかし、この三次元においては、存在は決して『停止』しない。常に前へと向かうベクトルに従って動き続けるのです。更なる星の発展と
「でも指向し続けた.....」
「人間には『理想』は必要なのですよ。進むための目標が無ければ、人も社会も進めない。......払拭しえ無いジレンマが人々の不幸を招いたと言ってもいい.....」
ハウゼン教授の深く沈んだ面差しは歯車が軋み続けるその音に苛まれ続けた日々を窺わせた。
「では、マスターΩ《オメガ》が目覚めたら....?」
「まず、自らと自分の作ってしまった社会を断罪するでしょうね......。もし、それを留めることの出来るものがあるとすれば.....」
「あるとすれば?」
「『赦し」と『愛』でしょうね。......断罪してしまった七人とその子ども達に赦され、自分の『陰』として苦難を強いられた『
あなた方が背負った『使命』とはそういうものです......」
私達は言葉を失った。面談を終えて帰る道筋でも、一言も語らなかった。いや語れなかったのだ。胸に抱えたものの重さに打ち沈んで歩く私達の傍らで、風だけが乾いた木の葉を揺らしていた。
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