紐付きマウス

夢を見ていた

第1話

『紐付きマウス』

 

ある日の昼下がり、もうすでにいくらか論じられてきた問題を、芸能人たちが必死な顔で議論している番組があった。その論題とは、「人間はヒト型ロボットを愛することができるか」、だった。

 思えば今回挙げられている議論は、別段真新しい話題ではなく、フィクションで言うところのSF小説などでは、正直もう何十年と前から扱われているようなものであった。

けれど、一視聴者であるぼくとしては、昼飯のカップ麺が出来上がるまで時間的に余裕があったため、それほど興味はなかったけれど、ちょっとした時間つぶしの為にぼんやりとそれらの議論を眺めていた。

『ロボットには生命が存在しない』

 彼らの論点は結局そこに終始していた。命のないものは愛せない。なるほど、道理である。しかし、新鮮味もない。そんなこと、言われなくとも分かっている。

腹も減らない、人間と食べるものも共有できない、言葉は発せられても心がない、よってヒト型ロボットを人として同等に愛することはできない、だから恋人候補にすら挙げられない。論としては弱かったが、落としどころとして納得できた。

ぼくは手元のカップ麺を引き寄せて、箸で中身をつついてみた。少し早かったが、空腹だったので、気にせずかための麺をすすった。


「広瀬くん、またカップ麺? よく飽きないねえ」

 手元に、誰かの影がかぶさった。女性の声。ぼくは慌てて顔を上げた。

「椎名さん」

 ぼくが呼びかけると、椎名さんはにこりと笑った。可愛い。思わず、心の中で呟いた。

女性らしく肩まで伸ばした黒髪を、ゆるくカールさせて、耳元でふわふわと揺らしている。胸元のネックレスをワンポイントに、上品で愛くるしい女性として、ぼくたちの間では人気の女性だった。

「何、みてたの?」

 ぼくの手元に置かれたスマホを覗き込むようにして、椎名さんは身をかがめてきた。彼女の首元から、柑橘系の香りが漂ってきた。意外と、きつめの香水を付けたりするんだと、心の中で握りこぶしを作った。

 そこでようやく我に返り、ぼくは慌てて音量を落とし、ごまかすように笑った。

「ひまだったから、ちょっとワンセグで番組見てた」

「ふうん。ロボットと人間の恋愛の話かぁ」

 椎名さんは画面に映るテロップを見て、興味深く頷いた。

「最近、科学も発達してるわけだし、いつかは人間とロボットが愛し合うのが当然の世界もできちゃうのかもしれないね」

「んー、でも、正直あんま興味ないかな」

 ぼくはちょっと声を大きくして、そうしてさりげなく番組のチャンネルを変えた。椎名さんはまだ何か話したそうだったけれど、ぼくは少し迷いつつも、やっぱり携帯の画面を落とした。

「今日、椎名さん来るの早いんだね。いつもは授業前にしか来ないのに」

「例のマウスの飼育ケースを見てきて、って教授から呼び出されちゃって。」

「えっと、例のマウス――」

 言いつつ、何の話か思い出せず、内心慌てた。それに察してかわからないが、椎名さんは簡単に説明してくれた。

「なんか、一昨日くらいにマウスが脱走してたみたい。鍵の管理があまかったんじゃないかって、怒られちゃった」

「ふうん。そんなことあるんだ」

「今から見に行くの。でもさ、マウスが脱出ってそんなことある? 普通。おかしいよね、誰かが開けたりとかしてるのかな」

「まさか。鍵がゆるんでたとか、そんなんじゃないの」

「私もそう思うんだけど……」

 ちら、と椎名さんがぼくの方を見た。そこで、ぼくははっとして立ち上がる。

「ぼくもちょっと見に行ってもいい? 今後の研究内容でさ、マウスを使うこともあるから興味ある」

「いいよ」

 すると椎名さんはくすくすと笑った。ぼくの何かが可笑しかったんだろうか。戸惑うぼくに、椎名さんは指さして、にこにことした。

「カップ麺、のびちゃったね」

「あ」

 ぼくは慌てて座り直し、勢いのままに麺をすすった。勢いのまますすったから、味なんてほとんど分からなかった。



 マウスの飼育室に行くのは初めてだった。けれど、ぼくらが通っている院では、理系にしては小規模なので、あまり大がかりな装置や施設はなかった。そのため、研究が難航している教授もいらっしゃるらしいが、ぼくたちにはまだあまり関係がなかった。

「あの子だ」

 椎名さんが指さした。そこには、うじゃうじゃと白い、解剖用のマウスが、透明なケースのなかに放り込まれていた。ひくひく、としきりに鼻を動かして、何か餌でも貰おうというのかわからないが。

「逃げたマウス?」

「そう。ちょっとケース見てみるね」

「うん」

 ぼくは部屋の真ん中に、ぽつんと置かれていた小さなデスクへ近寄った。そこには、誰かが忘れたのか置いているのか、白いノートパソコンが置かれていた。こんなところに、高価な精密機器を、と万年金欠のぼくは怒りさえ感じた。椅子を引き、どかりと座ってやる。

 ノートパソコンには、コードを束ねることなく、無造作に置かれたマウスがあった。これもパソコンと色を合わせて白のマウス。ネズミのマウスもいれば、パソコンのマウスもあるんだから、とふとどうでもいいことで気持ちを紛らわせていると、椎名さんがこちらを覗き込んでいた。

「わっ」

 ぼくが仰け反ると、椎名さんはずいっと手を差し出した。

「ほら、この子だよ」

 椎名さんの手には、真っ白のマウスが乗っていた。くんくんと、せわしく動きながら、こちらをじっと食い入るように見つめていた。

「普段は大人しい子なのに、大脱走だなんて、変なの」

「ふうん。賢いの?」

 ぼくは本当のところ興味はないけれど、じっとそのマウスと見つめ合うことにした。ネズミ、マウス、対面しても何も感じない。

椎名さんは首をひねって、「うーん、他の子よりちょっと賢いくらいかな」

「じゃあ、ちょっとだけ、『アルジャーノン』だ」

「なあにそれ」

「えっと、そんな賢いネズミが出てくる話があるんだよ」

 椎名さんはしばらく黙って、そうして、小さなデスクにそのマウスを乗せた。ぼくは驚いて、その場から立ち上がり、逃げるようにした。しかし椎名さんは至って冷静だった。

「いいから見て」

 椎名さんは静かにそのマウスを指さした。マウスは、置かれたデスクの上で身動きひとつせず、そこに座っていた。しかしそれは一瞬のことで、ひくひくとまた鼻を動かして、辺りを忙しなく見て行った。

「あのね。この子――えっと、アルジャーノン?――はね、実は、一昨日ね、このデスクの上で発見されたの。ねえ、何してたと思う?」

「え、なんだろ」

「……このパソコンね、何代も前からおきっぱにされてて、電源も入んないし、放置されてたの。で、その一昨日、暇になった院の子たちがね、マウスに耳つけて遊んでたの。そうして適当なマウスと、パソコンのマウスとを向かい合わせにして、実験」

「へえ、なんの実験?」

「『マウスは、機械のマウスを愛することができるか』」

「ぷっ」

 ぼくは吹き出して、「リケジョって本当、変わったことが好きなんだな」なんて続けようと視線を上げたら、椎名さんの思いの外、真剣な横顔が目に入った。そして、椎名さんは呟くように言った。

「この子はね、知能的に普通なんだよ。でもね、ふつうのマウスでもないんだよ――」

 椎名さんの言葉の意味が理解できず困惑していると、彼女が目線で、デスクの方を見るよう促してきた。見ると、先ほどのマウスは気付けば、パソコンのすぐそばまで来ており、ちょこんと小さく座っていたのだった。

「目と耳が、ないもんね。一昨日と、ちょっと違ってるね」

 椎名さんは、そっとパソコンの方にしゃがみ込み、マウスのコードを抜いて、自身の手に持った。そうして、ポケットから紙で書いた、子供の落書きのように描かれていた目と耳を取り出し、その白いマウスに綺麗につけてやっていた。

「ほら。すごく鳴いてるでしょ。この子を返して、って」

 確かに、椎名さんがマウスを握っている間、彼はずっとチューチューと懸命に鳴き続けていた。椎名さんはそれを一瞥し、にこりと笑った。

「……できた」

 椎名さんは、マウスを返してやった。すると、デスクに乗っていた生きているマウスは、興奮した様子で、その不出来なマウスに近づいていった。そうして、身をすりつけて、抱き締めるように、自身の手足でもって覆いつくそうとした。

「アルジャーノンはね、この子が好きなんだよ」

椎名さんは熱っぽい声色で言った。まるで夢見る少女にさえ思えた。ただぼくは、本物のマウスと機械のマウスの奇妙な取り合わせに困惑した。

そんなぼくの反応に気付いた椎名さんは、こてんと首を傾げて、「へんかな?」

「へんでしょ。だって、本物のマウスじゃないのに、こんな」

「本物と偽物、そんな差があるかな」

「いや、全然別物だって。でも、暇つぶしの実験にしては、面白い結果が出たね。それって、このマウスだけが特別なのかな。それとも、機械のマウスなら何でもいいのかな? 他のマウスも機械のマウスに反応したりする? だとしたらちょっと面白そう。そんなに興味あるならさ、椎名さん、ちょっとこれについて調べてみたらいいんじゃない?」

「うーん、そういうんじゃないかな」 

 言って椎名さんは、今度は逆のポケットから、何かを取り出した。それは小さなチーズの欠片だった。彼女は楽しそうに話してくれた。

「あのね、一昨日、彼にチーズあげたら、彼女とわけっこしたの。この美味しいチーズを、アルジャーノンが」

「ふうん」

「ねえ、またするかなぁ」

 椎名さんの手ずからもらったチーズを、アルジャーノンは、ためらうことなく、そのまま口のなかへと含んで入れた。椎名さんはあからさまに落胆した。

「やっぱそうだよね」言って、アルジャーノンの鼻先をつついた。「本能には逆らえないね」

 それから椎名さんは、有無を言わさぬ勢いで、アルジャーノンとマウスを引き離した。アルジャーノンは必死に抵抗しているようだったが、椎名さんはそれに取り合わず、無言のまま飼育ケースに入れてしまった。

「……実は、きみ、明日解剖されちゃうんだよ」

最後、内緒話をするように、マウスに囁きかけた彼女の言葉は、一体何を期待して発せられたことだったのだろう。

――飼育ケースの鍵については、彼女の背中が影になって見えなかった。



 翌日、「それ」は発見された。

マウスの飼育室のテーブルの上、パソコンのマウスのコードにぐるぐる巻きになった、一匹のマウスの姿が。

確認されたところ、飼育ケースの鍵は開いていた。それは、マウスの手ではどうにもできないはずの行為であった。飼育室には、その変死体を見に、院生たちが何人か集まっていた。そしてそのなかに、椎名さんの姿があった。

「ねえこれ、椎名さんがしたの?」

すれ違いざま、ぼくが問いかけると、椎名さんは小さく、ふふ、と笑った。悪戯っ子のように、神様のように笑った。

「でも、まさか死んじゃうとは思わなかった」


――それでも、彼にとっては本望であったのかもしれない。なぜなら、それはまるで、二人の情死した人間のなれの果てのように、ふたつ、静かに横たわっていたから。

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紐付きマウス 夢を見ていた @orangebbk

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