蟹の逆襲

えりぞ

前編 冬の蟹

 子どものころの話がしたいんだ。聞いてくれないかな。


 そのころ僕の地元には、古くてさびれた商店街があった。メインストリートからも他の商店街からも離れている。うちの母親は買い物したことないんじゃないかな。そこでの妙な記憶について話がしたいんだ。


 6歳の冬だったと思う。その日、僕はふて腐れて地元の街を歩いていた。6歳が?って思うだろうけれど、事情があった。

 数日前、僕は母親の裁ち鋏を使って、家のラジカセの電源コードを切った。その時点で怒られるのは確定だけど、その後が最悪だ。僕はその断面を4歳の弟の腕に当てた。弟は感電して痙攣し僕は驚いて手を離した。そうすると物凄い声で泣くんだな。母親は二階にいて泣き声でバレてしまう。そう思った僕は再度弟に電流を流した。弟は再度痙攣した。僕はこれを繰り返したんだ。なぜなら電源コードを当ててないと泣いてバレてしまうからね。


 誓って言う。僕はその時「感電死」なんて知らなかった。アニメか何かのキャラクターが、電気でビリビリするシーンを見てて、やってみたかっただけなんだ。それでもそうこうしていると、母親は遂に気づいてしまった。部屋に飛び込んできた母親に見つかって、僕はその時初めて大人から本気でブン殴られた。


「お前はナチスか!」

もちろん僕はナチスなんて知らない。数年後どんな組織か知ったんだ。すごい喩えだ。ツィクロンBあたりを使ってから言ってくれ。


 問題はそのあと。僕はそれからというもの、やることなすこと全てにおいて怒られるようになった。弟との喧嘩はすべて僕のせい。やってられなかった。


 その日も弟と喧嘩して、母親にめちゃくちゃに怒られた。それでふて腐れた僕は家を出て、ぶらぶらしながら住宅街をうろついたわけだ。そうして冒頭話した、酷くさびれた商店街に行ったんだ。アーケードの中は昼というのに薄暗い。埃をかぶった薬局はボロボロ。ピンクの象の人形と、おばあちゃんが2人いるくらい。ほとんどお店は開いていないんだ。


 これは後で知ったんだけど、昔、もうこの商店街は古いって、新しい商店街ができて、当時のお店の大半はそっちに移ってるんだよ。残りは取り残されたお店だったわけ。


 シャッターが閉まった商店街の奥に、6歳の僕はどんどんと進んでいった。そのうち緑のペンキが塗られて何年もたって剥がれかけているコンクリの床に、少しづつ砂がかぶっていく。ちょっと先に明かりが見えた。反対側の出口があるんだ。


 そこまで行くと砂はかぶったなんてもんじゃない。完全に砂が入り込んで、向こうに海と砂浜が見えた。冬の砂浜は灰色よりも黒っぽい。海面は深い藍色をしていた。藍色なんて言葉知らなかったけれど、今あの色を表現するとそうなる。


 ここを抜けると海なんだ。そう思ってアーケードを出ると外は曇っているのに、商店街の中が暗かったから明るく感じた。冬の海岸は誰一人いない。僕はそのまま一人海岸で遊ぶことにして、砂浜で砂山を作りはじめた。


 波打ち際まで近づくと、小さな穴が無数に空いてる。黒くて小さな蟹なのかな。小指の先ほど小さな甲殻類が波に合わせて出たり入ったりしているんだ。僕はその蟹を捕まえ始めた。


 最初はズボンのポッケに入れていたけれど、それでは満足できなくって、さっき作った砂山を崩し、火山のように真ん中をへこませ、火口部分に蟹を入れた。蟹はごちゃごちゃ慌てて走っていたよ。でも僕が作った火口の淵は切り立っていて、ウロウロするだけで出られやしない。


 僕はまた波打ち際へ行き、蟹みたいな甲殻類を取り始めた。ポッケに押し込み、両手に抱えて火口に蟹をボロボロ落とす。先住の蟹は何匹か、ちょっと逃げ出すやつもいて、そいつをまた捕まえて、ドンドンドンドンドンドン放り込む。手狭になった火口を広げ、砂の火山を砂のスタジアムに変えた。

 

 そうして波打ち際にまた走り、みたび蟹を持って帰る。どんどんと蟹の群れの上に蟹を落とす。無数の蟹が砂のスタジアムから逃れようともがく。


 それを繰り返して遊んでいたのだけれど、ついに飽きた僕は砂山を蹴っ飛ばして蟹を生き埋めにした。罪悪感はない。まあ蟹、波打ち際で穴掘って住んでるんだ。死にはしないはずだよ。


 海の向こうには対岸の工業地帯がかすかに見えた。「あれがアメリカか」と僕は思った。いつか、あんなに遠いところに行くことがあるのだろうか。


 日はいつの間にか沈んで、急に暗くなり始めていた。僕は遠くのアーケードを目指して歩いた。


 家に帰ると母に大目玉を喰らった。これは仕方ない。砂だらけで濡れていたからね。家の外で砂を払えといわれて、庭で砂を落とした。ポケットにすごい量の砂が入っていた。


 右ポケットの砂をかき出すと、砂は動き出した。あの小さな蟹、数匹入っていたみたいだ。左にも一匹入っていて、そろって右往左往して逃げて行った。

 そのとき初めて、「悪いことをしたな」と思った。蟹、うちの庭では生きていけないだろう。今から捕まえて海に返してやろうと思ったけれど、夜の庭は真っ暗で、どうしようもなかった。

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