第3話 ハッキング

 ゲーム? ワールドリゲインタワー? 俺には何を言っているのか理解不能だった。神からのお告げか何かなのか? だとしたらその神はとても良い神とは思えない。


『ピピピピピ……』


 その時、着信音のような音がミサキの方から聞こえてきた。だが、この音はミサキのスマホの着信音ではない。一体何の音だろうか? 俺はちらりとミサキを見遣る。すると、ミサキの顔の前に半透明の画面が浮かび上がった。そこには五十代ほどの男性が映し出されている。


『ミサキ君、大変なことになった』

「桜守さん、この世界に何が?」

『ハッキングだ』

「ハッキングって……! 誰がどんな目的で?」

『それは分からない。ただ、世界や物理法則が大きく書き換えられたことは確認している。ミサキ君には今すぐログアウトして、書き換えられたプログラムを元に戻してほしい』

「分かりました」


 半透明の画面が消える。どうやらあの画面に映っていた人物がサクラモリらしい。ミサキは俺の顔を見ると、頭を下げた。


「ごめんなさい。この世界がおかしくなったのは、私の不手際が原因だったみたい。だから、私は現実世界に戻ってすぐにこの世界を元通りにする。それで許されるとは思ってないけど、私にはそれくらいしか出来ないから」

「……ああ、分かった。行ってこい」

「本当にごめんなさい」


 現実に戻るというミサキに、俺は微笑みかけた。ただ、内心は淋しかった。ミサキが次にこの世界に戻ってくるのがいつなのか、そもそも戻ってくるのか、分からなかったからだ。それに、この世界が元に戻った時、今日の記憶が残っているのだろうか? もしかしたら、世界を元通りにした後である程度時間を巻き戻すかもしれない。そうなれば、俺はミサキから言われた「大好きだよ」の言葉も、はにかんだ笑顔も、全て忘れてしまう。しかし、このまま世界がおかしくなったままでは困る。これはミサキにとって大事な仕事なのだ。それは理解している。理解、しているが……。


「ミサキ、待ってくれ。行かないでくれよ……!」


 俺は思わず、本音を声に出してしまった。こんなわがまま、聞いてくれるはずがないのに。ミサキは半透明の画面を見つめ固まっている。それを見て俺は思った。そうか、俺の存在なんて所詮そんなものだったのか。人工知能の俺には、やっぱり興味なんてなかったんだ。これでミサキとはすっきり別れられる。しかし、ミサキの次の一言でそれが思い違いだったと気付く。


「私、どこにも行かないよ。と言うより、行けなくなっちゃった」

「え?」

「ログアウト、出来ないみたいなの」


 ログアウト出来ないという衝撃の言葉に、俺はどう言葉を返せばいいのか分からなかった。ミサキは笑顔を見せているが、その目には涙が滲んでいる。それはそうだ。ミサキは仮想世界に閉じ込められてしまったのだから。自分の体がどうなっているのかも分からず、ハッキングされた世界で生きていくなど、俺にはきっと耐えられない。そんな中で笑顔を作れるなんて、ミサキはとても強い。俺はこの時、何があってもミサキを守り、現実世界に帰してあげようと心に誓った。


【GAME START】

弘前ひろさきユウトのレベルは1です】


 突如、俺の視界に文字が浮かび上がった。ミサキも同時にピクッと反応したので、この現象はおそらく全員に起こっている。これはきっとワールドリゲインタワーを目指せという訳の分からないゲームが始まった合図だろう。その文字が消えると、視界の右上に緑色の太いバーと紫の細いバーが表示された。その左横にはそれぞれ【HP】、【MP】と書かれている。つまり、緑のバーがゼロになったら死ぬ。それさえ気を付ければとりあえずは大丈夫だろう。


「なあミサキ? お前のHPはいくつになってる?」

「えっと、5000だよ? ユウト君は?」

「俺も5000だ」


 ということは、HPは全員5000なのだろうか? ゲームが始まって以降はまだ誰も何の行動もしていないが、少なくともゲーム前の経験値には差があるはず。全員がレベル1というのはあまりにも不公平に感じられる。


「おい、レベル1とかふざけんな!」

「ねえ、これ何なのよ」


 周りの人たちが騒ぎだす。無理もないだろう。あの人たちはこの世界が仮想世界であることを知らない。現実世界がゲームの世界になったら、怒ったり戸惑ったりするのは当然だと思う。ただ、それを駅員にぶつけている人はどうかと思うが。


「ったく、ふざけんな! この非常時に何がゲームだ!」

「お客様、落ち着いてください。こちらとしても混乱している状況でして……」

「もういい。上に行く」

「お客様! まだ上の階は人が溢れておりますので」


 駅員の制止を振り切り、階段を上って行く四十代ほどのスーツ姿の男性。俺はあんな大人にはなりたくない。そんなことを思っていると、上の階から悲鳴が聞こえてきた。


「な、何だ……?」


 すると、スーツ姿の男性が必死の形相で階段を駆け下りてきた。その男性は、階段の方を見て怯えたような表情をしている。


「お客様、どうされました?」


 先ほど詰め寄られていた駅員が問いかける。その時、階段の方から「グルルル」という呻き声が聞こえてきた。俺は階段の方に目を向ける。


「グワァァァ!」


 いきなり現れた声の主は、ドラゴンのように翼が生えた赤色のモンスターだった。俺はミサキより一歩前に出て、リュックサックから紺色の折りたたみ傘を取り出した。


「本当に、ハッキングされたんだ……」

「ミサキ、そんなに自分を責めるな。大丈夫、俺が守ってやるから」


 茫然自失といった様子のミサキに、俺は振り返って優しく微笑んだ。再び前を向くと、ドラゴンはホームを見回して獲物を探していた。俺は何とかミサキをこのドラゴンから守らねばならない。この折りたたみ傘一本で。

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