第35話 一触即発
今、目の前にあの門脇由衣がいる。
これは夢じゃない。
なんでここに? そうぼんやり考えつつも頭が全然回らない。
ああ、やっぱりおっぱいデカイな。
そんなつまらない事だけは、やたら浮かんでくるんだけど。
直虎も天草もバカみたいに口をあんぐり開けて固まってるのは視界の隅に入ってる。たぶん、アタシも傍から見たらあんな感じなんだろう。
蛇に睨まれたカエル、あるいはメデューサに石にされた冒険者、そんな状態。
「あれ? 皆んな何、固まってるんすか?」
買い物袋を両手に抱えたケージとナオが戻ってきた。ユイ姫に気付いてないって事は、入口で応対したのはお付きの黒服だけで、後部座席に超VIPが乗ってるなんて事は思いもしなかったんだろう。
「誰? この人?」
ユイ姫の顔をズケズケと覗きこもうとしたケージの頭を、ナオがスパーンと叩き、気持ちいい程の乾いた音が辺りに響いた。
「あたっ、なにすんだよっ⁉」
どうやら先にナオの方が気付いたみたいだ。
「ば、バカヤロっ! あれ、ユイ姫だぞ⁉」
「はぁ? ユイ姫だあ? んな大スターがこんなトコに来るわけ…………や、や、やべぇ! ホンモノじゃん⁉」
うわあ、またわかりやすいリアクションだな。
そんな古いお約束みたいなノリを見てハッと我に返った直虎が動いた。
「……巧くん呼んでこないとっ!」
そう言いつつ走り出そうとしたがすぐ止まる。呼びに行くまでもなく、食材を持った巧が工場の方から歩いて来たからである。
その巧もどうやら訪問者に気付いたようだ。
「え?……由衣?」
驚きつつも一旦食材をテーブルの上に置いて、ゆっくり歩いてくる巧。
ユイ姫もまるでアタシらなんかいないかのように、巧だけを見つめて近付いて行く。アタシらのすぐ横を通り抜けていくユイ姫から、ほんのりいい香りがした。そして互いの息が掛かるくらいの至近距離で立ち止まる二人。
「久し振り……」
そう言い掛けた巧の首の後ろまで、自分の両手を回すユイ姫。そしてゆっくりその顔を近付けていく。
ちょ、ちょっと何⁉ キスするつもり⁉ こんなトコで⁉ アタシらガン無視で⁉
憧れの人と、ちょっと気になる後輩との、あまりにもいきなりなスキャンダラスな場面。こんなシーン、どう受け止めろって言うのよ? こっちの心の準備ってもんを考えろよ。いや、アタシの心の準備とかこの二人には全く関係ないけどっ。でも、世界的大スターが。一番身近にいた仲間が。いろんな複雑な思いが頭の中で渦巻く。
そんなアタシの思いとは関係なく超接近していく二人の顔。
すぐ隣で天草が息を呑むのがわかった。直虎やケージたちも前のめりで固唾を飲んでる。気がつけば両の拳を痛いほど握り締めてるアタシ。
「…………」
「…………」
そして重なる二人の……額と額。……ん?
ゴンっ、骨と骨がぶつかる鈍い音がした。
「いっってぇっ!! またかよっ!! いきなりなんだよっオマエっ!!」
そう叫びながらよろける巧が膝をつく。
はぁ? え? ユイ姫が巧に頭突きを食らわせた? キスじゃなくて?
思わず目が点になるアタシ。いや、他の皆んなも同じか。
「なんだとは何よ? それはコッチのセリフよ。アンタ、このあたしの誘いを断ったくせに、何こんなトコで青春ごっこしてんのよ?」
ビシッと仁王立ちで腕組みし、上から巧を見下ろすユイ姫。
うっ、やばい。思わずその姿に見惚れてしまった。ほんの少し、この人にあんなきつい目で睨まれるのもいいんじゃないかと思う自分にドキッとする。変な世界が開けそうだ。
それほどユイ姫の立ち姿は格好良くて完璧だった。
……ただ、額が真っ赤になっていることを除けば。ううっ、痛そう。
「だから、もうちょっと待ってって言っただろ? それにこれはゴッコじゃないぞ。本気でやってんだ」
額をさすりながら巧が叫ぶ。こんなに感情剥き出しの巧見たの初めてだ。
二人のやり取りを見てると、どうやらかなり親密な関係らしい。けど、一体どういう繋がりなんだろう? 聞きたいけど、とても入っていける雰囲気じゃない。
「あ、あのっ、お取り込み中失礼しますが、お二人はどのようなご関係で?」
うわあ流石、報道部。天草が、皆知りたいと思ってるであろう事を聞いてくれた。
まあ、一番知りたいのは天草自身だろうけど。
まだ仁王立ちのユイ姫にジロリと睨まれ、すくみ上がるアタシたち。
そして皆、ユイ姫から出た言葉に衝撃を受ける。
「コイツはアタシのフィアンセよ」
◇
「結構イケるわね、コレ。あっちの肉って硬くてやたら量が多いもの。このくらいが丁度いいわ」
そう言いながら串に刺さった肉を頬張るユイ姫。
うーん、どういう状況なんだ、これ?
まさかこんな世界的カリスマと一緒にバーベキュー食べる時が来ようとは。いろいろ有った夏休みだけど、最後の最後に来たこのイベントが一番衝撃的だわ。
さっきのフィアンセ発言も大概だったけどね。当然、あの後ちょっと修羅場った。
◇
「コイツはアタシのフィアンセよ」
その衝撃発言に固まる一同。マジで「シーン」って擬音が入りそうなほど静まりかえった場の沈黙を破ったのは巧の絶叫だった。
「……おまえっ、何しれっと嘘ついてんだよっ⁉」
普段のクールさは何処へやら、焦りまくる巧。
「フン、嘘じゃないわよ」
「じゃあ、何だよ‼」
ふふんと一同を見回すユイ姫に全員ゴクリと固唾を飲む。
「冗談よ」
その場の全員、どっかの新喜劇みたいに転けそうになった。
なんなんだ、この人?
「でも、将来を約束した仲なのは本当よ」
「だからややこしい言い方すんなよっ! それGスポーツの話だろうが。確かにいつかはメカニックとして、お前のチームにスポット参戦してもいいって言ったよ。でもお前の専属メカニックになれって話は断っただろ?」
興奮のあまり、なんかとんでもない事を暴露してしまう巧。それ、こんな所で言っちゃっていいの? って、巧がユイ姫に口説かれてたとか、話が大き過ぎて理解が追いつかないんだけど。
「アンタねぇ、このアタシの誘いを断るなんていったい何様? だいたい、人のおっぱいをこんなにした責任取りなさいよ!」
この発言に野郎どもがすぐさま反応した。
「ちょっ、アンタ、俺らの大スターになにしてくれてんの⁉」
「あーあ、どんだけだよ、先輩?」
と、切れ気味のケージとナオに責め立てられる巧。
「違うって!、誤解だからっ!」
「5回もやったの⁉」
「アンタ、まだ何か隠してるわよね? とっとと全部白状しなさい。これ、会長命令だから」
場の空気感が怖いけど、なんとか勇気を振り絞って入っていく。
取り敢えず一向に埒が明かないから、今まで忘れてた
「そんなムチャクチャな」
と、そんな悲壮感を漂わせてる巧を庇うように直虎が口を開いた。
「皆んな落ち着きなよ。ユイ姫と巧くんはね、昔からの友達、要するに幼馴染みなんだよ。……だよね? 巧くん」
その言葉に頷く巧。
巧とユイ姫が幼馴染み……。それって……。
「それ、例のテロん時に一緒に巻き込まれた人って事すか?」
と、ナオ。
「……そうだよ。実は俺も忘れてたんだけど、由衣と俺は幼馴染み。テロの時に一緒だったのもコイツ。直虎さん、気付いてたんですね」
「そりゃ、巧くんとカドワキ重工が繋がってるってのは、ちょっと考えたらわかる事だし。だとしたら、ユイ姫と知り合いであってもおかしくないよね? だから多分、そーなんじゃないかと」
「……すいません。別に隠すつもりじゃなかったんですよ。ただ、言いそびれたっていうか、言う機会を逃したっていうか……」
申し訳無さそうにそう打ち明ける巧。
……ああ、そうだ。
何でこんな事に気付けなかったんだろう。答えは始めからちゃんと見えてたのに。敢えて見ないように、そして考えないようにしてたんだ。
横を見ると、天草がきつく唇を噛んでいた。多分、アタシと同じ気持ちなんだろう。いや、報道に携わる彼女の方がずっと悔しいのかもしれない。本来、なんの先入観も持たずに見なければいけない物を、巧に肩入れしてしまったばかりに、目が曇って見えなくなってしまっていたのだ。ユイ姫という大き過ぎる存在と巧が繋がっているという可能性を。あれだけ巧の身辺を追ってた天草なら見落とすはずがないのに。恋は盲目、ってやつか。
……なら、アタシはどうなんだろう。
ユイ姫という可能性を敢えて排除していたのは、アタシが巧を好きだから?
それともユイ姫に憧れ過ぎていたから?
自分の気持ちなのによくわからない。今はまだ……。
「ふうーん、どうやらここにいる人間はある程度事情を知ってるみたいね? いいわ、アタシが最初からきっちり話してあげるわ」
アタシたちを見回しながらそう言うユイ姫の圧がスゴい。
そんな異様な雰囲気の中、声を上げたのはケージだった。
「あのー、その話長くなりそうなら、食いながらにしねぇすか? バーベキューの準備できてるし、あと焼くだけなんで。ユイ姫も一緒にどーす?」
げっ、相変わらずコイツの物怖じしなさ加減は恐れ入るわ。よくこの雰囲気の中、カリスマ相手にそんな提案できるな。
「バッカ、お前何言ってんだっ。超セレブだぞ⁉ ド素人料理勧めてどーすんだ⁉」
さすがのナオもお馬鹿な相棒をたしなめてるけど、当のユイ姫は意外な反応を見せた。
「ふうん、じゃあ頂くわ」
うっそ―――⁉ いいの⁉ 超セレプなのに⁉
という訳で、世界の大スターとバーベキューという、信じ難い展開になってしまったのだった。
◇
「結構いけるわね、これ」
「…………」
アタシのすぐ目の前でユイ姫が肉に齧りついてるし。
あんなにも憧れた人が、絶対に手が届かないと思えたカリスマが。
これって夢?
今食べてる串焼きの味なんか全然わかんないよ。しかも時々チラチラと目が合うのが怖い。射るような鋭い視線は胸の方にも感じるし。
ユイ姫の口から語られた過去の経緯は、一部巧も知らない事柄もあったけど、前に巧から聞いたものとほぼ一緒だった。とはいえ、前は
幼馴染み=ユイ姫
って図式が完全に抜け落ちてたし、初めからユイ姫ありきで聞く話はまるでパズルのピースが揃ったみたいに、すごく腑に落ちるものだった。いや、もはや全然別の話とも言えるし。
だって、頼れる男友達って思い込んでたのが、お姫様だったんだよ?
こんなの、友情話がラブストーリーに変わっちゃったみたいじゃん?
まあ朝日さん曰く、巧の初恋の人は先生らしいけど、ユイ姫の方は絶対巧に気があるよね⁉
天草といい、ユイ姫といい、
「えーっと、それで今はカドワキの社員寮で世話になってるの?」
「ええ、まあ」
例の事件後、ユイ姫のお父さんが正式に支援を申し出たみたいなんだけど、巧は断ったらしい。
「勝手に勘違いして恨んでた俺を、影で支援してくれてましたしね。和解はできたけど、これ以上世話になるのは申し訳なくて。でも、言われちゃったんですよね、あの人に。『子供なんだから大人の世話になって当然だ。自立したいのなら、もっと知識を身につけろ、技術を磨け』って。それで社員寮に放り込まれて、いろんな部署で実体験させてもらって」
なるほど、この男の常識外れの技術力やパイプの広さはそこで培われたのか。
「だからあの人には頭が上がんないですよ。俺の最終的な目標はこの工場を復活させる事だけど、あの人の役に立ちたいし、できる事があればなんでもやろうと思ってます」
「ふーん、じゃさ、ユイ姫と結婚しろって言われたら結婚するの?」
直虎がまたとんでもない事を聞く。
「もちろんしますよ」
と、間髪入れずに答える巧に息を飲む一同。
「だけど、あの人はそんな事言わないだろうし、だいたいコイツが言わせないですよ?」
そう言ってユイ姫を見る巧。ちょくちょくユイ姫を「お前」とか「こいつ」呼ばわりしてるけど、その度にすこし胸がチクッとする。それだけ親しい間柄なんだろうなって、実感してしまうから。
「そうね。何かを得るのにお父様の力を借りるなんて、みっともなくてできないわ。欲しい物は自力で手に入れる。極当たり前の事よ。このおっぱいだってそうやって手にいれたもの」
「そーだ、さっきも言ってたけど、そのおっぱいと巧さんって、なんか関係あるんすか?」
うっ、またケージが余計な事を。
「大ありよ。だって彼が毎日揉んで大きくしてくれたもの」
「「「「 !!!!!? 」」」」
一瞬にして空気がピンと張り詰めた。
そして一気に爆発する。
「マジふざけんなテメェ!羨まし過ぎんだろ⁉」
「そうよっ! 小学生からなにやってんのよ⁉」
ケージと天草がキレまくる。
「いや、待ってってっ! 揉んだんじゃなくて揉まされたんだって! 決して好きで揉んだわけじゃ……」
「やっぱり揉んでるじゃないっ‼」
天草の迫力にたじろぐ巧。これは……詰んだな。
「巧くん……姫のおっぱい揉んどいてその言い草。今、君は全人類の半分を敵に回したよ?」
「うっ⁉」
「いえ、全人類の半分+3よ!!」
えーっと+3って事は、ユイ姫と天草と……あ、アタシも入ってんのか。まあ、確かにさっきの言い方はムカっときたけど。
「先輩、ありえねーすよ?」
あれ? ナオはあんまりおっぱい、興味ないんじゃなかったけっけ?
「貧乳の頃の姫を
そっちかよっ!
「そうだわ! 今からでもあたしのおっぱい揉んで大きくしてよっ!」
って、どさくさに紛れて天草がとんでもない事言い出したし。
「いや、あんたは手遅れだろ? うぐっ」
言わなくていい事を言ってしまったケージの脇腹に、天草の拳が突き刺さる。
アタシに言わせればデカいおっぱいなんて、そんなにいいもんじゃないんだけどね。
そんなアタシの心の声を感じ取ったのか、ユイ姫がアタシを見据えて言った。
「貴女のその胸、天然物でしょ? 労せずに得た物だとその価値はわからないでしょうけど、自分は恵まれてるって事を自覚した方がいいわよ?」
「アタシは……このでかい胸が好きじゃないです」
天草にも刺されそうなほど睨まれたけど、本当の事だから仕方ない。
「ふぅん?」
あまり興味なさげにアタシから視線し、巧に向かって言う。
「じゃあそろそろ見せてもらうわ。あんた達が今やってる面白そうな事を」
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