覗く窓

杜乃日熊

覗く窓

 最近、誰かに見られてる気がする。

 視線を感じるのは僕の部屋の窓から。部屋が北向きで少々日当たりが悪いものの、そこまで不便に思ったことはなかった。本の日焼けとか気にしなくていいし。そんな風に思っていた北向きの部屋の窓が、今ではすごく恐ろしかった。夕方ごろの薄暗さが否応なく僕を恐怖へ貶める。

 二階にある僕の部屋は、外側にベランダがあるわけではなく、誰かがよじ登ることはほぼ不可能と言ってもいい。仮にできたとしても、わざわざ僕なんかの部屋を覗いたところでイイコトなんてありゃしない。でも、視線は確かに感じる。

 それはいつも夜に起きた。これから寝ようと思ってベッドに潜り込んだ時に、背中を舐められたかのようなゾクっとした感じがする。恐る恐る窓の方を見ると、そこには何の影も映っていない。良かった、気のせいかと思って眠りに耽る。

 意識が沈んだら、大抵夢を視る。何の他愛もない普通の夢ばかり視る。けれどもどの夢でも決まって、後ろの方から誰かに見られている感覚がする。振り返って確かめようとすると、目が覚めて朝を迎える。

 こんなことが何日も続けば嫌になる。いつまでも一人で抱え込むのが怖くて、家族に相談することにした。


「誰かに見られてる? 部屋の窓から? ハハッ、そんなわけないでしょ。あんな高い所に誰が毎晩よじ登るって言うのよ」


 母さんの返答のなんと軽々しいことか。心底信じてないことが分かる。


「嘘じゃないから。本当に誰かが見てるんだってば」


 反論したところで、向こうは「ハイハイ」と横へ流すばかり。素知らぬふりで食器を洗っている。


「タケル。まさかお化けが出たぁ、だなんて言うつもりじゃないだろうな。駄目だぞ。お前ももう中学生になったんだから、いつまでもお化けがどうとか言ってる場合じゃないんだ」


 向かいに座る父さんが僕を嗜める。それがなんだか腹立たしくて、


「そんなこと言ってないから! 下手な子供扱いはしないでよ!」


 と、つい声を荒げてしまう。父さんはため息ひとつ吐いて、食卓の上の新聞紙を読み始める。

 父さんも母さんも、いつも僕を子供扱いしてくる。母さんは、やれ「お風呂に入りなさい」とか、やれ「ちゃんと宿題はやったか」とか事細かく僕のやったことを確認してくる。それがやってない時に限って言われるから、無性にイライラする。一方、父さんはお小遣いを月に千円しかくれない。もっと欲しいと言おうものなら、「子供がお金をたくさん持ったら教育に悪い」とか言ってその月はお小遣いナシになってしまう。

 二人とも、僕のことが信じられないんだ。だから僕の話もまともに聞いてくれないんだ。だったらいいさ。他の誰かに聞いてもらえばいいから。家族が駄目なら友達に聞いてもらおう。友達だったらぼくを子供扱いなんてしないし。

 僕は友達のユウくんに、窓の話について聞いてもらうことにした。


「えぇ〜。そんなの絶対気のせいだよ」


 一通り話し終えると、ユウくんはそんなことを言ってきた。


「本当だってば! いっつも誰かが見てくるんだよ。毎晩そんなんだから、怖くて怖くて仕方がないんだ」

「タケルが自分で言ってただろ。部屋は二階にあって到底誰かが登れる高さじゃないって。それに登れたとしても絶対に誰かが見つけるはずじゃないか」

「それはそう、だけど……」

「まさか、お前。お化けが出たんじゃ、とか思ってないだろうな。タケルって昔からビビリだったからなぁ。怖さのあまりおねしょしちゃった、とかは勘弁しろよ」

「お、おねしょなんてするわけないじゃん! 馬鹿じゃないの!」


 ユウくんも父さん母さんと同じで、全く僕の話を信じてくれない。どうして? どうしてそんな馬鹿にしたような態度を取るの? 僕の言ってることがそんなに可笑しいの? 心から怖いって言ってるのに? どうして、どうして。

 家族も信じてくれない。友達も信じてくれない。これだったらどうせ他の人に言っても笑われるだけだ。それなら、自分でなんとかするしかない。今日の夜、視線の正体を確かめてやる。


 夜がやってきた。ベッドの上でしゃがみ込んで、窓の方を警戒する。正直に言って怖くて仕方がない。今も手の震えが止まらないし、心臓のドキドキがとても速い。でも、いつまでも弱気なことを言ってばかりじゃいられない。父さんや母さん、それにユウくんに馬鹿にされっぱなしじゃ悔しいだけだ。僕が弱虫じゃないってことを証明してやるんだ。

 しばらく待っていると、またいつもの視線を感じた。ねっとりとした嫌な感じ。背中がむずがゆくなってきた。

 今日こそ正体を明かしてやる。

 そう思って、窓の方を見る。すると、窓ガラスに黒いシルエットが浮かんでいた。

 ヒッ、と声にならない声が漏れ出た。

 今までだったら何も見えなかったはず。それなのに今日ははっきりと見える。のっぺりとした黒い影が。人にしてはやけに輪郭が丸っこい。いよいよ不気味さが増してきた。

 どうしよう。さっきまで意気込んでいたのに、今じゃ一歩も動きたくなくなってきた。このまま布団に潜り込んで、朝が来るのを待っていようか。いや、その間がずっと怖くてロクに眠れやしない。そんな時間を耐えきることができるのか……無理だ。ひたすら心臓がバクバク鳴って、下手すりゃ破裂してしまいそうだ。じゃあ、どうする?

 物音を立てないよう、静かにベッドから降りる。こうなったらヤケだ。相手が何だろうと関係ない。この目で確かめて、僕が正しいってことを証明してみせる。

 僕はできる子。強い子。あんな訳の分かんない影なんて怖くない。大丈夫、僕だったら絶対にできる。父さんも母さんもユウくんも、みんな見返してやるんだ。

 自分にそう言い聞かせながら、抜き足差し足忍び足と窓へ近づく。それから窓の鍵を開けて、取っ手を触る。大きく深呼吸して、勢い良く窓を開ける。


 そこにいたのは、目。十や二十なんてもんじゃない数の目が、僕を見つめていた。


 ────────────!


 叫びたいのに、声が全く出なかった。すぐさま窓から離れる。腰が抜けたのか、尻餅をつくように床へ倒れ込む。

 それは黒い影だった。丸い胴体に手が生えて、まるで魚のような見た目。その体には無数の目があって、ギョロギョロと動いている。

 目が合った。心臓が止まったかと思った。

 影はゆっくりと僕の方へ近づいてくる。逃げなきゃいけない。それは分かってるはずなのに、体がちっとも言うことを聞いてくれない。目が僕を見ていると思うと、手足を動かそうにも動かない。僕はメドゥーサを思い出した。人を石に変える瞳。それと似たようなことが起きているんだ。

 影が手を伸ばしてくる。僕は動けない。なおものびてくる。こわい。にげたい。こわい。こわいよ。おねがい、だれかたすけて────




 ガチャ。ドアの開く音。

「どうしたの、タケル? おっきな音がしたけど、何かあったの?」

 母さんだ。母さんが僕の部屋へ入ってきたんだ。でもどうしよう。アイツがいるのに入ってきたら、母さんが襲われるかもしれない。そんなの駄目だ。母さんを、守らなきゃ!

「母さん!」

 僕は立ち上がって、母さんの元へ駆け寄った。勢い余って母さんにしがみつくような体勢になる。

「母さん、逃げて! じゃないと、アイツが! アイツが!」

「どうしたの、そんなに慌てて。アイツってなんのこと?」

「アイツだよ! ほら、部屋の中にいるアイツ────」

 僕が指差す方向。そこにはあの影はいなくて、単に僕の部屋があるだけだった。アイツはいつのまにか消えていた。


 あの晩があってからというもの、視線を感じることはなくなった。あの影を見ることもないし、当然夢の中にも出てこない。拍子抜けだった。

 結局、視線の話は僕の妄想ということで片付けられて、しばらくはそれをネタにからかわれるようになった。でも、そんなことはもうどうでもいい。これ以上怖い思いをしなくていいんだ。そう思うだけで、なんだかとても清々しい気分になる。

 視線を感じないのは、いいことだ。



 最近、誰かに見られてる気がする。

 視線を感じるのは私の部屋の窓から。その視線はねっとりとした嫌な感じだ。もしかしてストーカーなんじゃないかと思って周りに相談してみたものの、二階建てで人が登れるような高さじゃないということで、気のせいだと片付けられた。それはそうかもしれないけど、毎晩誰かに見られてるような感覚に悩まされ続けるのなんて真っ平御免だ。だったら、自分の目で直接確かめてやろう。それでもしストーカーだったら警察に突き出してやればいい。

 その晩、私は部屋のベッドで待機していた。いつあの視線を感じたとしてもすぐに対応できるように、いつになく警戒心を持っていた。ついでに痴漢撃退用スプレーも手に持っておく。これをストーカーの顔面に噴射してやるためだ。

 しばらくして、例の視線を感じた。まるで蛇が体に巻きついたかのような感覚。

 今日こそ正体を掴んで、再び平穏な夜を取り戻すんだ。内心でよしっ、と意気込むと、窓の方へ近づいていく。鍵を開けて、取っ手を持ち、勢い良く窓を開けた。するとそこにいたのは──────



「──────というお話でございます。いかがでしたか? 今宵のお話は」

「うん、悪くなかったよ。シンプルな怪談話だったけど、それもまたオツなものさ」


 バーカウンターを間に挟み、話し合う男女一組。スツールに腰掛けたスーツ姿の男は、机上のグラスを手に取って中のカクテルを呷る。対するドレス姿の女は、妖艶に微笑んで男を見つめる。

 その店はカクテルバーだった。様々な酒が置かれていて、客の好みに合わせてオリジナルのブレンドを提供する。ただし、ここでは酒以外にも提供するモノがある。


「スナック感覚で楽しめるホラー、というご要望でしたので。お耳に合っていただけたのでしたら幸いです」

「やっぱりマスターの物語は最高だよ。酒が一層美味く呑める。これが呑めるんだったら俺は毎日でも通いたいぐらいだよ」

「いけませんわ。塵も積もれば山となる、という諺がありますように、お酒も飲み続けてしまうと体に害を及ぼしてしまいます。どうぞご自愛くださいますよう」

「分かったよ。マスターがそう言うんだったら仕方がない。節度を持って愉しませていただきますよ」


 それから男はしばらく酒を呑みつつ、女との談笑に花を咲かせた。そして大層ご機嫌になったところで、男は支払いを済ませて店を出た。店内には女が一人、カウンターの内側で立っている。スピーカーから流れるクラシック音楽が、しっとりとした雰囲気を醸し出す。


「そろそろ閉店のお時間でございます。今宵は楽しんでいただけましたか」


 女は独りごちる。誰にともなく語りかけるように。その声は鈴の音のように透き通っていて、聞く者の心に直接響くようだ。


「これも何かの縁でございましょうか。こちらの世界とそちらの世界とが繋がる、というのは何かの巡り合わせなのかもしれません」


 否、女は確かに語りかけている。他の誰でもなく、今までこの店で「窓」の話を聞いていたアナタに向かって。


「私どもの店は初めてでございましたね。せっかくですので、どうぞ頭の片隅にでも覚えておいてくだされば幸いです。ここは物語を紡いで夜を明かす店、その名も『storia』と申します。ここでは私めがお客様のご要望に沿ったお話を提供しまして、それをアテにお客様方に晩酌を愉しんでいただいております。時間、場所につきましてはお気になさらず。アナタの望んだ時間に、こうしてまたお会いすることができるでしょうから」


 女はアナタを見つめる。澄んだ蒼い瞳が一心にアナタを捉える。

 アナタは言い知れぬ動揺を感じる。それまで何の気なしに「窓」の話を聞いていたアナタだったが、ここにきてアナタ自身が傍観者であることを否応なく思い知らされたのだ。それは例えるなら、窓から少年らを覗き込んでいたあの怪物のように。


「そして、私はこの店でマスターを務めております。シェヘラザードと申します。以後、お見知り置きを」


 女は会釈する。それを合図とするかのように、こちらの世界とアナタの世界は接続が途絶えるのだった。それはあたかも、開かれた窓を閉じていくかのごとく──────

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