第165話 勇み立つ者 2
残りのインスタントコーヒーを一気に飲み干し、気持ちを落ち着かす。
仕事着に着替えて勤め先の部品製造工場へと向かう。
担当している仕事、取り扱っている部品が最終的に何へ使われるかなど、彼にとってそんな些細なことはすでにどうでもよくなっていた。
ただ上司から与えられた仕事を淡々とこなす。
自分もこの工場の部品の一つに過ぎないのではないかという疑問もとうの昔に放棄した。
そんな毎日を過ごしているのである。
今日も手当の付かない残業を終えて工場を後にした。
全身に疲労感が重く圧し掛かる。
疲労困憊の彼を明日も仕事へと駆り立てるのは娯楽が存在するからだった。
公共交通機関での通勤途中と就寝前にネットサーフィンするのが日課となっている。
ヤファスはWEB小説サイトが気になり始めていた。
最初はランキング上位作品から読み始め、次第に検索も駆使しながら作品を探し求める。
彼の娯楽はネットサーフィンからWEB小説の読書へと移り変わっていった。
毎日サイトを訪問して読みふけるうちに、以前も似たような作風の作品を読んだかのような感覚に見舞われる。
彼の中でのWEB小説の位置づけは、欲望や願望のようなものをインスタントに充足してくれるサプリメントであった。
その為、作風が似ていようが満たされない渇きを潤すかの如く小説を読み進める今の彼にとっては、露程も気にしない。
読了後、心が満たされ、そして枯渇し、再び充足させるため、毎日小説のページをめくる。
(俺も小説が書きたくなってきた)
より理想の展開を求める想いが、彼を読者から作者にさせようと感情を刺激した。
すっかりと読書が板についた頃、ネットサーフィン中に画面へ広告バナーがポップアップ表示される。
(あー、広告うざいな)
ヤファスは広告を消そうと画面の×印をタップした。
印が小さすぎたため、間違って広告本体をタップしてしまう。
画面が広告主のサイトへ遷移する。
遷移先は外宇宙探索船の乗組員募集のサイトだった。
押し間違えることはよくあり、気に留めることはなく、そのサイトから抜け出そうとする。
画面をタップしようとして手が止まった。
サイトの文言が気になったからだ。
<安心、安全、最新鋭の外宇宙探索船プロメアース号。乗組員として必要なのは、たった一つ。あなたの強い意志です!>
(誰でも応募できるってことか?)
彼の住む星、レスクシオラ星では外宇宙への進出が盛んになり始めていた。
そのことは彼自身も把握していたが、全て蚊帳の外で起こっている出来事だと思っている。
まして自分のような境遇の人間が携われるなど、今まで考えたこともなかった。
(俺のようにギフトが使えない人間にもチャンスがあるのなら)
さっそくヤファスは次の休日、詳しい話を聞くために運営会社へと向かう。
目的地は彼が滅多に訪れることのない商業エリアにあった。
道は綺麗に舗装されており、周囲にはガラス張りの高層ビルが立ち並ぶ。
(ここか)
目的地に到着したヤファスは、ビルの正面玄関付近で立ち止まった。
ビルへと出入りする人間を見て、自分は場違いの人間ではないかと気圧されそうになる。
以前の彼ならここで躊躇なく引き返すところであった。
期待に胸躍らせ、一縷の望みを持った今の彼は違う。
一歩踏み出し、意を決してビルの中へと入っていく。
受付の女性へ訪問した用件を伝えようとする。
「すみません」
「はい」
「……」
うまく次の言葉が紡げない。
夢で何度も体験したトラウマが頭をよぎったからだ。
奮い立たせた心の炎も消えかかっていた。
「…………ん? ご用件をどうぞ」
(ギフトが使えないことを話したらバカにされるか門前払いされるかもしれない)
「あ、あの……」
「……はい?」
(言え! 言うんだ、俺!)
「あの……プロメアースの乗組員募集の件で……」
「申し込み希望でしょうか?」
「そうなのですが……私……その……ギフトが使えないのです」
「はい」
「そういう人間でも応募はできるのでしょうか?」
(よし、言った!)
「一般応募枠なら大丈夫ですよ」
「ほんとですか!」
「はい。ただし、現在申込者多数のため、かなりの高倍率となっています。いかがいたしましょうか?」
(必ず採用されるわけではないってことか。けど、俺はもう決めている!)
「申し込みます! ぜひ、お願いします!」
ヤファスは受付の指示に従って必要資料を用意する。
申し込み手続きが完了し施設を後にした。
――数週間後。
ヤファスの自宅へ採用通知書が郵送で送られてきた。
(やった!)
書類を持ちながら飛び跳ねそうな勢いで部屋内をぐるぐる歩く。
(これでようやく今の仕事ともおさらばだ!)
翌日、上司に来月末で退職する旨を伝えた。
「今までお世話になりました」
「そうなんだ。でも、ヤファス君みたいな人材だったら、次どこも雇ってくれないよ」
「分かっています」
「それならなぜ? 給料に不満があるんだったら、会社に掛け合うことも検討するけど?」
「お心遣いだけ感謝します。一身上の都合です」
「ふーん。ちなみに退職するまできっちり働いてね。あと有給休暇の消化は勘弁ね」
「なぜですか? 有給休暇は社員に与えられた権利だと思うのですが……」
「建前上はね。けど、君が辞めちゃうせいでかつかつになるから。うちの事情も理解してよ」
「……わかりました」
「じゃっ! そういうことでよろしくねー」
上司は会話を切り上げて去っていった。
(来月末までの我慢だ。こんなクソ会社!)
ヤファスは仕事を終えて帰宅した後、家事を済ませると机にノートPCを置いて椅子に座る。
WEB小説執筆に取り組もうと決心したのだ。
相変わらず身体は疲れており、普段なら執筆しようなどという気にはとてもなれなかった。
彼をその気にさせたのは、会社を辞めることを上司に伝え、気持ちに少しばかり余裕ができたからである。
作風はすでに決めていた。
読者に受ける展開もある程度決まっており、テンプレと呼ばれている。
キーボードをカタカタと打ち始めた。
テンプレをベースとし、今まで読んできたWEB小説作品を参考とし、そこへ少し自分が望む展開を加える。
第1話の執筆が終わり、続けて2話3話と物語を紡いでいく。
(おっと、作品タイトル考えないと。テンプレの重要キーワードを盛り込んでっと)
5話まで執筆を終えたところで時計を見ると、日付が変わっていた。
(碌に推敲してないけど、投稿するか。こういうのは更新頻度やスピード、つまり勢いが大事って話だしな)
第1話の投稿ボタンを押す瞬間、緊張で手が少し震えた。
(落ち着け……落ち着け……よし投稿するぞ……投稿するぞ)
ゆっくりとボタンを押下する。
(わー! 本当に投稿してしまった!)
いつもならとっくに就寝している時間にもかかわらず、鼓動が一気に高まり興奮冷めやらぬ状況が続く。
しばし間をおいて第2話を投稿した。
投稿直後、さすがに身体の疲労で眠気が襲ってくる。
(そろそろ寝るか)
PCを片づけてベッドに入った。
照明を消して目を閉じると心地よい寝心地に包まれる。
朝、目が覚めて最初に行うのはノートPCを立ち上げることだった。
投稿した作品のブクマや評価を確認すると、すでにいくつかのブクマと評価がついている。
まだ2話しか投稿していないにもかかわらず、滑り出しは思ったよりも上々だった。
ヤファスの表情には笑みがこぼれ、上機嫌になる。
それから帰宅後は連日、小説執筆と投稿を繰り返す。
投稿するたびにブクマと評価は増えていき、感想やレビューも付き始めた。
(思ったより余裕だな。俺、小説家の才能あるのかもな!)
自分と同時刻付近に更新された他作者の連載小説を確認する。
(こんな評価とポイント数でよく連載続けてるよな。こんなの誰も読んでないでしょ)
自身より評価が低く、感想も書かれていない作品を読みながら優越感に浸っていた。
(だからさー、テンプレしか読まれないんだって。あと、タイトルが短い。わかってないなー、この作者。俺がアドバイスしてやりたいぐらいだわ)
ぐんぐん伸びていく評価数を毎日確認するのが楽しみになっていた。
最初は自分の作品が評価されたことだけで一喜一憂していたが、執筆を開始してしばらく経過すると、その状況にも慣れてくる。
慣れると次の欲求が姿を見せ始めた。
(書籍化したいなー。でも今の評価数と勢いじゃ厳しいよな。まぁ最初からそれはさすがに無理があるか……)
腕を組みながら考える。
(なんというか、こう……がーっと一気にランキングを駆け上がりたいんだよなぁ)
さらに思考を深めていく。
(……よし、今の作品エタらせて新作書き始めるか! 次は少し構想を練ってからにしよう)
次回作の構想を練り始めた頃、会社の退職日が数日後に迫っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます