第133話 異変 3

 ――夜。


 カイルの部屋にノックする音が響く。


 扉を開けるとレイジーンが立っていた。


「少し話がしたくてな、入るぞ」


 レイジーンは部屋に入り椅子に座ると、カイルもゆっくりと彼に近づいていく。


「部屋散らかってんなー。……ここ最近、碌に食べてないだろ。ちゃんと食事取れよ」


「……あぁ……」


「今日来たのはカイルに伝えておきたくてな」


「……なんだ……?」


「アイリスさんを助けたい気持ちは俺も同じだ。それに俺と妹にとっては命の恩人だからな」


「……そう言ってくれるのは……助かる……」


「俺は妹の件もあったし、カイルの気持ちが痛いほど分かる。カイルは一人じゃない、それだけは分かってくれ」


「……ありがとう……」


「何か手伝えることがあったら、いつでも言ってくれ」


 レイジーンは散らかっている部屋を軽く整理する。


「……すまない……」


「気にするな」


 カイルの負担にならないよう手短に話を済ませると、レイジーンは部屋から出ていった。


 彼だけでなく、カイルの周りの人間が心情を汲み取って気遣ってくれている。


 カイル自身もそのことには気づいていたが、同時に解決への期待もかけられていると彼自身は思い込んでいた。


 何も解決策がないことを自分だけが知っている事実、まるで死刑宣告を受けたかのような心境であることを彼らは知らない。


 二つの思いがカイルの心へ激しくぶつかり締め付け、消耗させていく。


 再び部屋に一人となったカイルはアイリスとの思い出にふける。


 その全てがまるで昨日の出来事のように蘇った。


 自然と涙があふれ出てくる。


 泣き叫びたい気持ちをぐっとこらえたが、涙が零れ落ちるのは止められなかった。


 ――翌日の朝。


 カイルは丸一日かけてラボにいるマルスライトへ会いに行く。


 彼はラボに停泊している船の中にいた。


「マルスライトさん、俺とアイリスの二人を空高くまで運ぶことはできますか?」


 時間が惜しいカイルは単刀直入に用件を伝える。


「急に何を言い出すんだ?」


「空島に行きたいんです」


「空島? なんのことだ?」


 カイルは空島とアイリスの状況について説明する。


「話は概ね分かった。しかし、仮にそんな場所があったとしてだ……行ってどうするんだ?」


「アイリスがずっと探していて行きたがっていたんです。一目見せてあげたい」


「……カイルさん、気持ちは分かるが……今は君がしっかりしなきゃならないだろ?」


「行く方法はないのですか?」


「彼女の状況は君が一番知っているはずだ。そこに行けたとしても彼女は気付けないだろ?」


「……行く方法はないのですか?」


「……カイルさん……」


 そのままマルスライトは沈黙し、カイルは彼の口が開くのをじっと待つ。


「……マルスライトさんならできますよね!」


 しばらく待って何も返事をもらえなかったカイルは、少し声を荒げて問いかける。


 それでもマルスライトは何も答えない。


「黙ってないで答えてくださいよ!」


 沈黙を貫く彼の目をじっと見た。


「…………お願いします……」


 カイルは声は弱々しくなりうなだれる。


「…………行く方法はない……」


 一言だけ言い放つとカイルから離れていく。


 彼はカイルの視界から消え、船内で自身の作業を行う。


 ――夕方。


 マルスライトは一旦作業を終えて休憩を取る。


 移動すると、午前中にカイルと会話していた場所にまだ彼が立ち尽くしているのを見つけた。


「カイルさん、まだそこにいたのか。朝も言っただろ? 行く方法はないって」


 何も答えず、マルスライトの目を見る。


「そこに立たれたままじゃ仕事の邪魔なんだ」


 カイルは何も答えない。


 マルスライトも彼の目をじっと見つめている。


「………………覚悟はできてるんだろうな?」


「……大切な人も幸せにできないのに……何がオーナーだ……商会だ!」


「カイルさん……」


「金も地位も名誉も全部いらない!! アイリスに空島を一目見せてやりたいんだ!! だから……お願いします!!」


「…………アイリスさんと手伝い数人を連れてもう一度ここに来い。ただし期待はするなよ」


 カイルは深々と頭を下げる。


「……わかったから頭を上げてくれ」


 彼は再度礼を述べてマルスライトの元から立ち去った。


 ――翌々日の夜。


 カイルはアイリス、レイジーン、クルム、エリスを伴って馬車でマルスライトの元を訪れる。


 事前にアイリスを連れ出すことは彼女の両親には説明しており、カイルの頼みと娘の念願だったいうことで了承してもらえた。


「アイリスさん、お姫様みたい」


 アイリスは白いワンピースを身に着けて安らかに眠っている。


 着替えはエリスの計らいでソフィナと二人で取り組んだと話す。


 上空は気温が低いため、防寒用の服に着替える。


 アイリスの着替えはエリスに頼んだ。


 馬車の荷台で着替えを済ませたカイルはアイリスをおんぶして船へ向かうと、レイジーンたちもついていく。


 マルスライトは船の前で待機していた。


「こっちだ」


 カイルたちはマルスライトの後ろについていく。


 しばらく歩くと何かの実験器具のようなものが見えてきた。


「これは……?」


「熱気球だ。これに乗って空へ上がる」


「熱気球……」


 ――翌日、早朝。


「準備するから手伝ってくれ。それとカイルさんとアイリスさんは熱気球のカゴに乗ってくれ」


 それからマルスライトはレイジーン、クルム、エリスに指示をする。


 アイリスはカイルの背中におんぶさせると、カイルの両手が塞がってしまう。


 その為、両手が自由に使えるようにまず椅子状のものを背負い、そこへアイリスを座らせる。


 さらに手で支えなくても落ちないようベルトなどで固定させた。


 的確な指示で、すぐに準備は整う。


「私が期待するなと言ったこと覚えているか?」


「はい」


「うまくいく保証はない。途中の工程でどれか一つでも失敗したら絶体絶命だ」


「覚悟はできてます」


「私は道理も理屈も気合で押し通してきた。色んな無茶もしてきた」


 マルスライトは話を続ける。


「その私が躊躇しているんだ。これがどれだけ危険なことかわかるな?」


「分かっています」


「もう一度言うぞ。碌に試験もできていない。空島に着いてもそこから戻ってこれる保証はない。どういう意味かわかるな?」


 マルスライトは目に涙を浮かべている。


 その涙はカイルに向けられたものであるが、同時に別の意味も含まれていた。


 地上へ戻るための道具は一人分しか詰め込めず、仮に全てうまくいき空島を見つけたとしても、そこから戻れるのはカイル一人。


 つまり、アイリスを空島に置いていくことを意味していた。


 その事実を理解しつつも皆は口に出さず、涙をためてぐっとこらえる。


「もう一度考え直せ。今ならまだ間に合う」


「もう決めたんだ」


「生きて帰ってこれないかもしれないんだぞ!」


「覚悟はできてる」


「カイル……私は行ってほしくないんだ……」


「……それでも俺は行く」


 マルスライトは眉間にしわを寄せながら、目をつむって俯く。


 少々間をおいてから再び目を開き、カイルへ視線を向ける。


「……………………チャンスは……一回だけだ」


「ありがとう」


 マルスライトはカイルに熱気球の使い方を説明する。


「カイル、無事に戻って来いよ!」


 熱気球を固定しているロープを切り離そうとした時、付近の森がざわつき始めた。


 直後、森の中からゴブリンの群れが現れる。


「くそっ! こんな時にモンスターが現れるなんて!」


 レイジーンは鞘からレクタリウスを抜いて構えた。


「行け、カイル! 彼らは俺が絶対に守る!」


「頼んだ!」


 カイルがレイジーンに返事した直後、マルスライトは熱気球を固定しているロープを切り離していく。


 全て切り離されるとカイルを乗せた気球は上昇し始めた。


 (……絶対……絶対戻って来いよ!)


 マルスライトは浮かび上がっていく気球に向かって願う。

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