第117話 葛藤と対立

 ――カイルがレーティナと戦争の噂話をしてから一か月後。


 先月、レーティナと話していた噂は真実味を帯びてきていた。


 当初は商人たちの間のみでの噂だったが、近頃は王都中で噂になっている。


 しかし、その噂に耳を傾けてみると楽勝ムードが漂っていた。


 その雰囲気はまるで祭りのようでもあり、人々の財布のひもは緩み、カイル商会の売り上げにも良い影響を与えている。


 事務所内でも、その噂でもちきりになり盛り上がっていたが、カイルはこの状況に対して素直に喜べなかった。


 実際戦争になると、自身の商売にどう影響するのかが未知数だったからだ。


 今までカイルが商人たちと情報交換をして集めた情報を整理すると、圧倒的に帝国が有利であり王国の敗北は十分考えられた。


「カイルさん、あの時は噂話を全く信じてなくてごめんなさい」


 レーティナがカイルへ申し訳なさそうに謝る。


「いや、いいんだ。気にしないでくれ」


「戦争になったとしてもロムリア王国が余裕で勝つってのが前評判だ」


「そうですね、王都中で聞きます」


 レイジーンが話し始めるとレーティナも同調する。


「あなたたち、何を浮かれているのですか? 冷静に考えたら帝国に勝てるわけないでしょう」


 会話している二人へキールゼンが言い放つ。


「けどよ、ロムリア海軍は帝国よりも戦闘船の数で優ってて、さらに精強って噂だぞ」


「ほとほと呆れますね。そんな情報、本当に信じてるのですか?」


「どういうことだ?」


「数で優っているのはあくまで開戦初期の話です。帝国の動員兵力数はロムリア王国の数倍。同盟国の動員兵力数を合わせても足りない」


「そ、そうなのか?」


 レイジーンはキールゼンの話が巷で流れている噂と食い違うため困惑した表情になる。


「緒戦で奇跡的に勝てても、総合力で負けているので徐々に劣勢となります。軍事の素人の私から見ても明らかですよ」


「じゃー、王都中で流れてる噂っていうのは……」


「無論、国民はそんなこと知りませんし、情報も入ってきません。しかし、我々商人は入ってくる情報の質も量も違います」


 そこまで言ってキールゼンはカイルに視線を合わせた。


「カイルオーナー」


 突然話を振られたカイルがキールゼンの顔を見る。


「今こそ好機。こんな雑貨店なんか今すぐ畳みましょう」


「突然何を言い出すんだ?」


「武具の取扱いに注力すべきということです」


「戦争が始まるからか?」


 キールゼンはカイルの返事に頷く。


「大きな転換期には必ずチャンスが訪れる。我々のような零細商会こそ、その機会を最大限に活用するべきです」


「理屈は分かるが、俺は戦争に加担するつもりはない」


「何寝ぼけたことを言っているのですか?」


「キールゼンさん――」


 レーティナが仲裁に入ろうとするが、キールゼンは無視して話し続ける。


「現状、すでに武具の取扱いをしており、仕組みも分かっている。まだ小さな組織だから意思決定後の足取りも軽い。これだけでも有利です」


 カイルは静かに頷く。


「いくつかの商会はすでに動き出しているでしょうから、正直今から取り掛かっても遅いぐらいです。速やかに方針転換すべきです」


「キールゼンの話は分かる。実際にその通りだと思う」


「それなら」


 キールゼンはカイルの反応を窺い返事を待つ。


「……戦争への加担は方針として考えていない」


「カイルオーナー……そんな考え方じゃこの先、オーナーなんて務まりませんよ」


「何もそんな言い方することないんじゃないか?」


 二人のやり取りを見かねたレイジーンが間に入る。


「レイジーン、いいんだ。……キールゼン、少し考えさせてくれ」


「……まったく……そんな悠長に考えている時間はありませんよ」


 そう言い残して、キールゼンは事務所から出ていった。


「……ところで本当に戦争になったら店と商売はどうするんだ?」


 レイジーンがカイルに尋ねる。


「まだ噂だからな。実際戦争は始まってないし、動くにしても戦況をある程度見極めてからになる」


「動くって?」


「戦火の及ばないところへ一旦逃げるってことだ」


「なるほどな。そうなると店は放置するってことか」


「そうならないことを願うけどな。……俺は三階にいるから何かあれば呼んでくれ」


 レーティナとレイジーンが返事するとカイルは三階へと移動し、空いている一室へと入る。


 椅子に座りキールゼンとの会話を振り返った。


 (キールゼンの主張も一理ある)


 カイルは腕を組みながら思考を深めていく。


 (商会では現状、武具を取り扱っている。それはすでに戦争へ加担しているとも言えるのではないか?)


 軍に直接武器を販売していないとはいえ、間接的に戦争で使用される可能性はある。


 (俺は矛盾しているのかもしれない。所詮俺の考えていることは綺麗事なのか……)


 矛盾と言う言葉が頭から離れず、どんどん深みにはまっていく。


 同じ思考を何度も繰り返し、時間だけが過ぎていった。


 (そもそも戦争へ加担するために商人を始めたのか?)


 自問自答を繰り返す。


 (違う。……なら俺はどうしたい……?)


 商売として考えるならキールゼンの主張の通りだとカイルは気付いている。


 実際、商売なので否定する理由は本来ない。


 そう頭では理解していても、決断のための一歩を踏み出せない。


 (俺たちの販売した武器で人間同士が争い、多くの血を流す――)


 ――コンコン。


 突如、扉をノックする音が聞こえる。


「カイルさん、クルムです」


「わかった、すぐ行く」


 答えが出ないまま、カイルは思考を切り上げて扉へ向かった。


 ――後日。


 カイルはアイリスと二人で近所の飲食店で昼食を食べている。


「どうしたの? さっきから浮かない顔してるよ?」


 アイリスが心配そうな顔でカイルの顔を見つめた。


「うーん、ちょっと考え事をな……」


「戦争のこと?」


「まー、そんな感じだ」


「もし戦争になったら帝国軍が王都まで来るのかな?」


「分からない。けど、万が一のこともある……アイリスの実家の店が心配だな」


「うん。それも心配だけど、王都に住んでいる人たちもたくさん犠牲になるかもしれないって考えると……」


「そうだな……アイリス一つ相談に乗ってくれないか?」


「なーに?」


 アイリスはカイルを見つめる。


 彼はキールゼンと主張が対立していることを説明した。


「カイルの考え方はあったかくて優しいなーって思う」


「綺麗事かもしれない」


「例え誰かがそう感じたとしても、クルムたちもカイルのそういうところがいいなーって感じてるはずだよ」


「みんな、俺のことをそういう風に思ってくれていたのか」


 アイリスは優しい笑顔で頷く。


「今ので霧が晴れた。ありがとう!」


 ――翌日の夕方。


 事務所にはカイルとキールゼンだけがいる。


「キールゼン、先日の武具取扱いの件だが……」


「やっと取扱う気になりましたか?」


「納得できないとは思うが、通常の武具販売は継続する。だが戦争へ加担するような行為はしない」


「……所詮綺麗事ですね」


「理解はしている。正直、購入者がどのような用途に使用するのか俺には分からない」


「購入者が軍事利用する可能性はあります。だから綺麗事だと言っているのです」


「その可能性はあるが、同時にモンスター討伐用、観賞用の可能性もある」


「ないとは言い切れないでしょう」


「軍事利用するなら一度に大量購入するはずだ。だから大量購入かつ軍事利用だと事前に分かれば、これを止めることはできる」


「……自ら売上と利益の確保を放棄するのですか?」


「それが俺の出した答えだ」


「全く理解できません」


「そう言うとは考えていた」


 キールゼンは眉間にしわを寄せた後、深いため息をつく。


「…………理解できませんが……あなたが商会のオーナーだ。今回は従いましょう……いえ、今回も……と言った方が正確ですね」


「俺の考え方に失望したか?」


「ええ、もう少し野心のある方だと思いましたが……どうやら私はあなたのことを買い被り過ぎたのかもしれません」


「イラベスク商会かミンレ商会のオーナーだったら違った結果になっていたかもな」


「きっとそうでしょうね。そこまで分かっていながら……まぁ、これ以上この件について話しても仕方ありません」


「キールゼンの主張は理解した上で、この判断をしたのは分かってほしい」


「そういう気遣いは不要です。……私は今ある商会の経営資源を最大限に活用して売上向上に取り組むだけです」


「ありがとう、よろしく頼む」

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