第92話 感謝

 ――闘技場での戦闘後から十日後の某所。


「商人達をぶっ潰せ!」


「金儲けで私腹を肥やす奴らをぶっ潰せ!」


「金儲けこそ悪だ! 商業滅ぶべし!」


「そうだ! そうだー!」


 薄暗い大広間に千人を超える人間が集まり、方々から憎悪の混じった非難の声が上がる。


 広間の奥には舞台があり、そこへ黒いローブを着た人間が立っていた。


 顔は仮面で覆われており素顔は確認できない。


「皆静粛に! もうすぐミーリカ様がお見えになる」


 舞台の上に立つ男だけでなく、その場にいる人間たちも全員同じ黒いローブを着ている。


 違いは仮面をつけているかいないかだけだ。


 口々に騒いでいた信者達は一斉に静まり返った。


 しばし間があった後、静寂の中に足音が響き出す。


 その音は舞台中央でぴたりと止まった。


「ミーリカ様!!」


 一人の信者が喜びのあまり思わず声を出してしまう。


 ミーリカと呼ばれた女性のローブは信者が着ているものとは異なり、一目で教祖だと判別できるような装飾が施されていた。


 彼女の隣に立っているローブの男が手を挙げて合図すると、二人の少年と三人の少女が両親と思しき人に付き添われて舞台へと上がる。


 彼らは皆顔色が悪く、自らの足で歩くこともままならないほど衰弱している様子だった。


「彼らは今、死の病に侵されている。このままでは死を待つばかりである」


 舞台の上に立つローブの男が話始める。


「しかし! 今からミーリカ様が奇跡を起こす」


 ミーリカは横一列に並んでいる少年少女達に向かって歩き始める。


 一番左の少女の前に立ち、額に手を当てて魔法詠唱を行う。


 詠唱が終わりしばらくすると、少女の顔色が徐々に良くなっていくのが見て取れた。


 ミーリカは他の四人にも同様に魔法詠唱を行っていく。


 さきほどの少女同様に彼らの顔色も良くなっていった。


 ミーリカは全ての魔法詠唱が終わると、踵を返し元居た場所へとゆっくり歩き出す。


 ローブの男の隣まで戻ると歩みを止めた。


「自らの足で舞台を降りられるか?」


 舞台上のローブの男が少年少女たちに問いかけた。


 彼らは元気よく返事し、その表情には笑顔が戻っている。


 自分の足で舞台から降りて行くのを見た付き添いの両親たちは皆、驚きの表情を隠せなかった。


 奇跡を目の当たりにした両親たちは、ミーリカへ礼を述べると一人ずつ舞台から降りていく。


「奇跡だ!!」


「うぉぉぉぉ!! ミーリカ様ー!!」


 静寂だった大広間は再び信者たちの歓声に包まれた。


 雄叫びにも似た歓声が地鳴りのように響く。


「貧乏人なんて病気になったら座して死を待つだけ!!」


「我々に救済を与えてくれるのはミーリカ様だけだー!!」


「そうよ! この世にお金なんてものがあるからいけないのよ!!」


「そうだ!! そうだー!!」


「金儲けで私腹を肥やす者どもを許すな!!」


「商業をぶっ壊せ!!」


 ミーリカの奇跡を目の当たりにした信者たちは、一層勢いづき口々に鬱憤を吐き出す。


 舞台上の男がスッと手を挙げる。


 その挙動を確認した信者たちは口を閉じ、再び静寂が訪れた。


「ミーリカ様」


 舞台上のローブの男に一声かけられた彼女は無言で頷き歩き始める。


 その様子を信者たちは目で追っていく。


 ミーリカはやがて信者たちの前から姿を消した。


「では、これにて解散とする」


 一言告げると舞台上のローブの男も歩き出し舞台の袖へと消えていった。


 男が消えた後、再度信者たちの歓声が上がりはじめる。


 その光景はすでに舞台上には誰もいないにも拘らずしばらく続いた。


 舞台から立ち去った後、ミーリカは奥の小部屋へと移動する。


 部屋へ入ると、中で商人風の男性が椅子に座って彼女を待っていた。


 男性は彼女が入ってきたのを確認すると、椅子から立ち上がる。


「舞台の袖から見てましたが、いやー、初めて見ましたよ。いったいどういう仕掛け……いや仕込みと言った方が正しいですかな? ぜひ今度教えてください」


「……あなたには到底理解できないでしょう」


「なっ!――」


 直後、ローブの男も部屋に入ってくる。


 ミーリカの返事に男は何かを言いかけようとしていたが、彼女は無視して空いている椅子へと座った。


 ローブの男は扉の横に立ったまま、椅子には座らない。


 先ほどミーリカと会話していた男は、彼女とテーブルを挟んで対面して椅子に座り話始める。


「……ミーリカ様、我々イラベスク商会へのご協力感謝いたします」


 ミーリカは静かに頷く。


「それにしても商業を憎む信者を従えながら、活動資金の一部は我が商会からの出資とは……実に策士ですな」


「……セルバレトさん」


 柔らかな若い女性の声であったが、鋭い眼光はセルバレトへ深く突き刺さった。


「こ、これは失礼しました! 少々言葉が過ぎました……それで……後は残党の方ですが……」


「安心して。すでに残党狩りに信者を送り込んでます」


「ありがとうございます。首謀者の方はロムリア王国騎士団が抑えたと報告を受けておりますので」


 ミーリカは興味なさそうにセルバレトから目を逸らした。


「……今度ともご協力よろしくお願いします」


「その時にまだ興味があったらね」


「……で、では失礼します」


 セルバレトは椅子から立ち上がりミーリカへ頭を下げてから扉に向かって歩き始める。


 扉の横に立っているローブの男とすれ違う際、軽く会釈して部屋から出て行った。


 (まったく……あの女、いったい何を考えているんだ?)


 セルバレトは出口へと向かう途中でミーリカとの会話を思い出すと、怒りの感情がこみ上げ奥歯を噛み締めた。


 ――王都のカイルの新店、開店当日。


 開店準備は滞りなく進み、特にトラブルもなかった。


 既存二店舗の開店実績と運営実績が経験として活かされたのだ。


 事前の告知も功を奏し、初日から大勢の客が詰め掛ける。


 開店後の接客はカイルを始め、アイリス、クルム、エリスでうまく対応した。


 クルムの姉、エリスはロムトリアの店舗から呼んで王都に来てもらっている。


 ソフィナも初日から仕事をしているが、まだ慣れていないので接客はせず、店の奥での作業をしている。


 初日の営業は無事終了した。


 夕方、店の片づけが落ち着いてきた頃、レスタやアイリスの両親などカイルにゆかりのある人たちが来店し開店を祝福する。


 カイルは全員に一人ずつ感謝と礼を述べていった。


 彼らが帰った後、今度はシフが来店する。


「シフさん」


「カイルさん、新店開店おめでとう!」


 シフには先日新たな傭兵が加入したと話している。


 彼との傭兵契約は新たな傭兵が加入するまでという条件だった。


 その為、彼との傭兵契約は本日で最後となる。


「今まで何度も助けて頂き本当にありがとうございました!」


 カイルの横に立つクルムも続けて礼を述べた。


 クルムは目に涙をためて、今にも泣き出しそうな表情をしている。


 そんな彼の頭をシフは優しく撫でると、彼は溢れる感情を抑えきれず、ついに涙がこぼれた。


 クルムが落ち着いてからシフはカイルに話始める。


「カイルさんに紹介したい人物がいるのだが、今度連れてきてもいいかな?」


「わかりました。ちなみにどういう方なのですか?」


「私の孤児院で育った子でね、外の世界を見てみたいと言っていた。彼の持つ能力はカイルさんの商売の手助けになるはずだよ」


「助かります。よろしくお願いします」


「ではそろそろ帰るとしようか」


「シフさん、帰りの馬車を手配します」


「こちらで段取りしてるから大丈夫だよ。また機会があったら孤児院に来てくれると子供たちも喜ぶ」


「わかりました。シフさん、本当にありがとうございました!」


 カイルは深く頭を下げた。


 頭を上げたカイルとシフは握手を交わし、彼は店の入口へと歩き始める。


 カイルたちは、その背中を見送った。


「よっ! 坊主! これからよろしくな!」


 レイジーンがクルムへ気さくに話しかける。


「僕は坊主って名前じゃありません!」


「さっきまでわんわん泣いてたじゃねーか。坊主だよ、坊主」


「だって……シフさんが……」


 一度泣き止んでいたクルムが再び泣き出しそうになる。


「立派な商人になるんだったらこれぐらいで泣くな、クルム」


「……はい」


 クルムは下唇を前歯で噛み締め、泣くのを必死でこらえた。


 店内で各々が自由に会話する中、カイルは一人店の奥へと移動する。


「カイル」


 後からついてきたアイリスがそっと呼びかけた。


「おめでとう」


 彼女は優しく微笑みかけた。


「ありがとう」


 互いに紡いだ言葉は短いが、苦労を労い、緊張と不安を吹き飛ばす。


 喜びと嬉しさを分かち合うには十分すぎる言葉だった。

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