第一話 その2

 一文化部にしては広めの室内に、壁を隠すように配置された本棚。まるで図書室の一部だけを切り取ったような様式となっているためか、落ち着いた雰囲気に満たされている。まさに侘び寂び。千利休だってここがお気に入りとなるに違いない。

「あいつ、遅いな」

 昼休みが始まってから約十五分、俺が教室を退室してから約十分が経とうとしているにもかかわらず、神崎は未だここに顔を出していない。意外と教えることに苦戦しているのかもしれない。舞浜のやつ何してくれてんだよ。おかげで俺弁当食えないんだけど。揃ってからいただきますが身に染みついてるあたり、マイマザーの教育は間違ってないね。ボッチになっちゃった点はノーカンで。

 時計を睨みながら、侘び寂びとは無縁であろう金髪を持つクラスメイトに向けて不満を募らせていると、ついに引き戸がガラガラと音を立てた。今回に関しては神崎は悪くないはずだ。よってここは大人の対応が求められる。

「お疲れさん。遅かったな」

「……ふん」

 俺の労いを込めたお迎えにぷいっと顔を逸らした神崎。あら幼くて可愛らしい……ではなく。

「……怒ってらっしゃる?」

「どうだか」

 どうなんでしょう。質問を変えてみよう。

「理由の方は?」

「考えてみたら?」

 やっぱ怒ってんじゃないですか……。

 あと出たよ自分で考えろ。考えてもわからないから聞いてんのに教えてくれないやつ。そのくせ、自分で出した考えをもとに行動すれば、違うだの的外れも甚だしいだの文句をもらう。……詰んでるんだけど。この人生においてのバグは一体いつになったら修正されるのか。

 しかし、そう思いつつも今回の場合は心当たりがある。深く考えるまでもないな。

「人によって理解度が違うんだ。教えたことが浸透しないことにもどかしさを感じて、怒っても仕方ないだろ。舞浜よりお前が頭いいんだし、そこは汲んでやれ」

 なんで結果的に俺が舞浜のフォローに回らなくてはいけないのかが謎だが、このまま機嫌が直らないのはめんどくさい。優しい笑顔と慈愛に満ちた笑顔は何処に置いて来たんだよ、この天使は。

「は? 何言ってんの? まるで私が凛に怒ってるみたいに」

「え。……違うの?」

「そんなことで親友を怒るほど、私は小さな人間じゃないよ。にしても……ふーん。篠宮は私のことをそんなやつだと思ってたんだ?」

 あ、親友だったんだ。ならあの距離感も納得だね! ……どうしよ。不本意ながらも油注いじゃった。

 神崎は入り口付近にあるパイプ椅子を掴むと、長机のちょうど俺と対角線になる場所に置いて腰を下ろした。俺と最大の距離を置くことが目的なのだろう。てことは俺が短辺に席を移動させれば、ドラマとかで見るお金持ちの食卓みたいになるんじゃね? あの常に気まずそうな雰囲気も今回に限り再現可能である。……現実逃避してる場合じゃないわ。

「いや、そうは思ってない……ていうか他にどんな理由があるんだよ?」

「さあ? 胸に手を当ててみればわかるんじゃない?」

「俺ってことは明言してんじゃねえか」

 どうしようもないので自分に問いかける。返ってくるのは鼓動のみで感触はもろ板。夢なんて詰まってない。

「……駄目だ。全然わからん」

 そう俺がぼやくと神崎はおもむろに立ち上がり、今しがた決めた席をそこの向かいに移動させた。つまり俺と同辺だが、距離自体はあまり変化がない。

「人がせっかく『寝るな』って忠告したのに、無視したじゃん」

「あー……え? そんなことで怒ってたの?」

 拍子抜けな内容に思わず問い返す。十分小さくないそれ? 人の器量の基準がわからなくなってきた。

「何その反応。した側はわからないだろうけど、無視されたって事実は意外と傷つくんだから」

「睡魔に勝てないのが人間なんだから仕方ないだろ」

「私の『ファイト』は所詮アデノシンには及ばないって言いたいの?」

「拗らせんな。あと何その理科系で出てきそうなやつ」

「睡眠物質。まあ、寝てた篠宮が知ってるわけないか」

「さっきの授業数学だろうが。それと寝てたこととの関連性はないだろ」

「言い間違えた。文系科目だけの篠宮だ」

 だけの部分を強調した神崎。うわ、今すげえ馬鹿にしてる顔してたぞ。これは堕天してると言ってもいいのでは? さっきの男子どもに見せてやりたい。

「だいたいなんで俺が寝てたこと知ってんだよ? お前の席俺の斜め前だろ」

「そんなの見てたからに決まってるじゃん」

「いや、授業中だから。寝てた俺が言うのもなんだけど、授業聞けよ。黒板見ろよ。なんで『そんなこともわからないの?』みたいな見下した反応ができたんだよ」

 舞浜にも「え〜、授業はちゃんと聞いてたの?」って言ってたくせにである。高度なブーメランだったのか。

「私、教科書見ればだいたいわかるから」

「……このギフテッドが」

 首席様には俺たち平民の常識は通用しないらしい。なるほど。だから俺もたまに教科書読んでもわからないところがあるのか。それはしわ寄せじゃなく努力不足。

「あーどうしようかなー。このままじゃ機嫌が悪いまんまだー」

 ちらちらと意味ありげにこちらを見やる神崎。棒読みといいわざとらしすぎる。前に出て生徒が静かになるのを待ってるタイプの校長ですら、もうちょい感情隠すぞ。

「言うこと聞いてもらわないと直らなそうだなー?」

 ついには随分と大きな独り言に疑問符が付いた。つまりはそういうことだ。

「……何をすればいいんだ?」

 お望み通り問うてやると、神崎がにやりと笑みを浮かべる。めんどくさ。

「まずはこっちに来て」

「……了解」

 言われるがまま椅子ごと立ち上がり、神崎の右隣に向かった。

「はいこれ」

 見慣れた小さな保冷バッグを渡される。確かこの中には弁当と水筒が入っていたはず。いわば神崎のランチセットだ。

「……食えってこと?」

「ううん。私に食べさせて」

「いや、渾身の冗談につっこめよ。お前の弁当なくなっちゃうところだった…………今何て?」

 あはは、なんて笑ってる場合ではないものが聞こえてきた気がする。

「食べさせてって言ったの」

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