明日、死神に会えたなら

雨空 リク

第1話 小望月





「人生お疲れ様でございます」


今日も今日とて私は命の灯火が消えた人のもとへと赴き、このお決まりの挨拶を告げる。


今目の前に浮かんでいる魂は、齢六十四と今時の人にしては少し短い寿命で死を迎えた。


それでも彼の人生の最後は、彼が居なくなることを悲しむ家族に囲まれながら幕を引いた。


「良い人生を送られましたね」


そう言葉を送ると、彼の魂は何かを否定するかのように明滅した。


どうやら彼にはまだこの世に対する未練があるようだ。


だが死を迎えた以上、その未練を彼は自分の手で晴らすことはできない。


ーパチン…


左手の指を弾いて、目の前の魂を正八面体の透明なガラスに閉じ込める。


「安らかな眠りを」


暗い世界に白い光が差し込み、魂を明るく照らす。


そして魂はフッと消えて、後には何も残らなかった。


この儀式の最後に流れ込んでくる彼の生きた記憶を、私はいつものように些末なものだと切り捨てる。






私の次の仕事は、ある少女の魂を成仏させることだった。


桜本 舞花

十月十六日 十四時三十六分 飛ビ降リテ自殺ス


小望月が昇る夜、手帳に記された少女の元へと向かうと、彼女は自室で携帯を用いて自殺の方法を調べていた。


今から三日後、この少女は死を迎えることになっている。


死を迎えるまでの間の二日間、その人の側に控えて最期を見守るのが死神の慣しだ。


少女の部屋の隅に移動し、私は一冊の本を手に取り出して読書を始める。


この少女の一生を描いた本だ。


これまでに生きた時間が十三年と短いために、とても薄い。


この本を読むことは義務ではないが、私はいつも読むことにしている。




一ページ目を開いたところで、私は久々に驚きを感じさせられる。


「こんばんは、死神のお兄さん」


本から顔を上げると、同じく携帯から顔を上げていた少女がこちらを向いていた。


…死を前に霊感が高まると、生前に私を認識できる人はこれまでに少なからずいた。


しかしながら、それはその人の死に対するイメージを具現化したもので、大抵が異形の姿を織り成す。


事実今までの人たちは皆私のことを化け物と恐れていた。


この少女のように、こうもはっきりと人としての姿を見られたのは生まれて初めてのことだ。


手に持っていた本を閉じて懐へとしまい、ほんの少しの興味から私はこの少女と会話をすることにする。


「なぜ私が死神とお分かりになったのですか?」


「ほんとに死神さんなんだ。じゃあ私にもお迎えが来たんだ。やったね」


何がおかしいのか、少女は笑いながらそんなことを言う。


質問に対する答えを促すように私は無言の笑顔を貫く。


「あっ、えーとなんでお兄さんが死神か分かったのか、だっけ?だってお兄さん、私のおじいちゃんが死ぬ前にもずっと病室の隅で本を読んでたじゃん。私以外他の誰にも見えてないみたいだし、おじいちゃんが死んだ後にはいなくなってたからそうなのかなあって思ったの」


なるほど、前の仕事の時から見えていたとは。本を読むのに夢中で気がつかなかったみたいだ。


「それにお兄さん、全身黒い服でいかにも死神ですって感じだしね。あー、黒髪のイケメンに殺してもらえるのなら本望かも」


本望…ね。


「盛り上がっているところ残念ですが、私はあなたの命を奪いませんよ」


「えっ、死神の仕事って人の命を刈り取ることじゃないの?」


「死人の魂を導くことが私の仕事です。命を奪うことは業務外ですし、現実世界に直接干渉することは禁じられています」


「うわー、お兄さんって真面目すぎるってよく言われない?」


「それが何か?」


「言われてるんだ笑。じゃあじゃあ、死神に導かれた後の魂はどうなるの?」


「………」


「えっ急に無視ってひどくない?」


「生きている人に教えることはできません」


「嘘だよね?それなら無視せずに最初からそう言えばいいんだもん。それで本当は?」


意外と頭の回る少女のようだ。


「残念ながら、一介の死神である私はその先のことを詳しく知りません。…ただ優しい世界が待っているとは聞いたことがあります」


「優しい世界、ね。それが本当なら夢があるね」


この少女の偽りのない姿が一瞬垣間見えた。


何か思うところがあるのだろうか。


彼女の人生に関する本をまだ読んでいないために、私は彼女の心の内を想像することができない。


「ねえねえ、お兄さんのお名前は何ていうの?」


「生憎、私には名前と呼べるものがございません。同僚には四番と呼ばれていますが」


「わー、風情も何もないね。うーん、じゃあヨツバってのはどう?」


「ヨツバ?」


「そっ、四つ葉のクローバーからとってヨツバ。幸運をもたらしそうないい名前でしょ?」


「私は死をもたらす象徴なのですか?」


「細かいことは気にしないの。私にとって今お兄さんが目の前にいることは幸運だよ?」


「そうですか。では好きにしてください」


「私はマイカ。死ぬまでよろしくねヨツバ」


彼女はニッと笑って手を差し伸べてくる。


私は少女の小さな手をそっと握る。



「さてと、そろそろご飯作って食べなきゃ。ヨツバはご飯食べたりするの?」


「私にはこれがありますのでお構いなく」


そう言って私がポケットから取り出したのは、よくある棒状の携帯型簡易食料。


それを見たマイカはの頰が引きつっている。


「ヨツバ、いくら死神でも食事に気を使わなきゃダメだよ?美味しいもの食べさせてあげるからおいで」


自分よりも遥かに年下の少女に哀れむ目を向けられながら手を引かれる。


解せぬ。


これだって色んな味があって栄養もそれなりにあり、長期保存ができると言うのに。



手を引かれて連れて行かれたダイニングには二人分の椅子と、テーブルがあった。


「はい、じゃあここに座って待ってて。すぐ作るから」


私に椅子に座るよう促してから、マイカはエプロンをして料理に取り掛かる。


十三歳だというのに、慣れた手つきでテキパキと進めていく。


普段からよく料理をするのだろうか?


完成までの間、マイカについて書かれた本を懐から取り出して読み進めることにする。




「はい、お待たせ〜」


ちょうどマイカの祖父が亡くなった場面を読み終えたところで料理が完成したようだ。


本に栞を挟み込み、テーブルの端へと置く。


運ばれてきた料理はご飯に豚汁、卵焼きに秋刀魚の塩焼き、そしてサラダと彩り豊かなものだった。


これだけの料理を前にすると確かに食欲がそそられる。


その証拠に私のお腹がグゥーと音を立てた。


「ふふ、死神でもお腹は空くんだね。さっ、冷めないうちに食べよっか」


マイカは私の向かいに座り、手を合わせる。


「いただきます」


私もマイカに倣い、手を合わせる。


「いただきます」


初めて食べた人の手料理はとても美味しかった。


温かみがあった。


最後にまともな食事をしたのはいつぶりだったか、などと考えながら食の手を休めず進める。


そんな私の様子にマイカはとても嬉しそうだった。


食事を終え、片付けの済んだマイカはふと気になったのか、テーブルに置いてあった白い本を指差す。


「ヨツバがさっきまで読んでたその本は何なの?」


「ああこれですか?マイカの今日までを全て描いた本ですよ」



そこには少女の全てが描かれていた。


両親は仕事にのめり込んでいて、少女をほったらかしにしてその世話を祖父に任せっきりだったこと。


去年の夏、仲の良かった二人の内の片方が大事にしていたペンダントが壊れた時、もう片方の友人が少女が原因であると嘘を騒ぎ立て、その罪を被せられたこと。


ペンダントを壊された友人はしばらくした後に家の都合で転校し、後に残ったもう一人の友人が中心となって制裁という名の少女へのいじめが始まったこと。


中学二年生となり、友人だった子とクラスが変わったことで一度はいじめが落ち着いたものの、その子が想いを寄せている男の子が少女に恋しているとの噂が最近立ち、いじめが再燃していること。


そして唯一頼れる存在だった祖父を失ったこと。




居場所を失い、頼れる人がいなくなり、独りになった。


そんな心情が赤裸々に綴られていた。





「…そんなの私に直接聞けばいいじゃん」


ボソッと呟いたマイカの小さな声を私は聞き取ることができなかった。


何を言ったのか私が聞き返そうとする前にマイカが話始める。


「その本って私のことならどんなことでも書いてるの?」


「まあそうですね」


「身長とか体重も?」


「載ってますよ」


「…スリーサイズも?」


「最初のページに一年毎の記録がありますね」


「えっち」


服で隠れているというのに、僅かに膨らんだ胸を隠すように腕を組んで身体を引く。


「はい?」


思ってもみなかった反応が返ってきてそんな間の抜けた反応をしてしまった。


「中学二年生のスリーサイズ見るとか変態じゃん、ロリコンじゃん」


「ただの数字の羅列ではないですか」


何を言っているのか分からないという顔をしていると、何かを諦めたのかマイカはため息を吐く。


「死神にデリカシーを求めるのは無理があったかな」


「だから先ほどから何を言っているのですか?」


そんな私の答えにマイカは満足した様子はなく、少しムッとした表情となり話題を変えて問い掛けてくる。


「ヨツバはどうして私と一緒にいるの?」


「死神の仕事だからですよ」


「そうじゃなくて!仕事だけなら私とこうして話したりご飯一緒に食べたりしなくてもいいじゃん。ならどうして?」


「あなたに興味が湧いているからですよ」


間髪入れずに告げた答えにマイカは少し頰を紅潮させる。


「っ…じゃ、じゃあ私のことを見てよ」


「こうして見ていますが?」


「だからそうじゃなくてっ…、もういい!」


勢いよくダイニングから出ていこうとするも、扉の前で一度立ち止まって背中を向けたまま声をかけてくる。


「…これからお風呂に入るけど絶対に覗かないでよ」


「そんなつもりは毛頭ないので安心してください」


「あっそ」


そう告げてマイカはお風呂に入っていった後、私とは一言も言葉を交わさずに寝床についた。




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