悪魔の悪夢

シミュラークル

この世にて

 1

 全身が痺れるほどの恐怖。

 耳を切り裂くような風の音。

 怖くて止まりそうな心臓。

 眼下に迫るコンクリート。

 激突するっ——と思うとまた振り出しに戻される。


 僕は飛び起きた。冷や汗が首筋を伝う。寒風が吹き、体がぶるぶる震えた。連日見るこの悪夢のせいで、寝起きはひどい頭痛を催す。グワングワンと唸るような頭痛が収まるまで、気を紛らわせるために僕は遠くを眺める。ここは高層マンションの屋上だ。都市郊外の特徴のない街並みを見渡すことが出来る。

 頭痛が収まると、血色に染まった空が陰りを見せ始めた。もうすぐ日が暮れる。僕は急いで立ちあがった。今日の分の仕事がまだ残っている。真っ黒な翼を広げ、飛び立とうとした瞬間、誰かの視線を感じた。辺りを見回したが、誰もいない。そもそも人間には僕の姿は見えないはずだ。

「気のせいか」

そう呟いて僕は寒さが残る3月の空へ飛び立った。



 寒風に耐えること10分。ひいらぎ病院に到着した。白い塗装の剥げた年季の入った外観だ。僕は翼を閉じ、中へ入った。

 薄暗い廊下を歩きながら僕はポケットから『今日死ぬ人リスト』を取り出した。小さなメモ用紙で毎朝、日が昇ると同時に空中にパッと出現して、ひらひらと落ちてくるのだ。この名前は僕が勝手に呼んでいるだけである。誰の仕業かもわかっていない。範囲はここ春雨市だ。もしかしたら他の区域にも僕のような存在がいるのかもしれない。

 「205号室田中さんか」

その部屋は2階廊下の中腹辺りの部屋だった。僕は扉の前で胡坐をかいた。開けることはできるが、中の人を怖がらせないように、誰かが扉を開けるのを待つのだ。

 しばらくして、看護師が夕食を載せたワゴンを運んできた。看護師が扉を開けた瞬間に僕は中に飛び込んだ。中を見渡すと、意外と広い。4つあるベッドの内、入って左側に患者2人がいた。手前の扉側には青年だろうか。包帯や管が多く、顔がよく見えない。隣には深刻そうな顔をした女性がいた。恐らくその患者の母親だろう。何があったのかわからないが、気の毒だ。対して、奥の窓側に居るのが田中さんだ。あのリストには年齢も表記されているため、すぐに分かった——83歳、脳梗塞時の外傷悪化により死亡。

 僕は田中さんのベッドに近付いた。隣のベッドとはカーテンで仕切られており、田中さんは数人の見舞客に囲まれていた。ベッド脇の机には沢山の羊羹ようかんや本が並んでいる。見舞客は田中さんと同じくらいの年齢に見えた。ジェスチャーを交えながら楽しそうにお喋りしている。死ぬ日でもこんなに多くの友人たちと笑い合えるとは理想的な最期だなと思った。

 見舞客たちは「また来るわ」と言って去っていった。他人事ではあるが、胸が苦しくなった。

 しばらくして、独りになった田中さんに僕は近づいた。ふさふさの立派な白眉毛が特徴的だ。丸眼鏡をかけて、デスクライトで手元を照らしながら本を読んでいる。田中さんはふと本を逆さまに置き、隣との仕切りのカーテンを開いた。

「あんちゃんはまだ起きないのかい?」田中さんが先の患者の母に聞いた。

「はい。まだ……」

「そうか……」

田中さんは残念そうな顔をし、読書に戻った。

 まもなくして、田中さんは息を引き取った。毎度思うが、人間の命は儚い。さっきまで元気に動いていた人が今ではベッドの上で目を瞑って、ピクリとも動かない。田中さんがバタッと机に顔面を突っ伏して倒れた際、ナースコールを押したのは隣の女性だった。今では我が子もこうなってしまうのではないかと内心凄く心配しているに違いない。

 僕は田中さんの胸からふわふわと出てきた、鮮やかな紅色の魂を手に取った。僕は魂には触れられるが、生き物にはその死体も含め触れることはできない。そして窓の外に向かって、魂にふっと息を吹きかけた。すると、暗くなった空に昇ってゆき、やがてパッと消えた。あの世へ行ったのだ。僕が魂に触れずにいると、浮遊したままで、あの世には行くことは出来ない。

 その後、田中さんの家族が立て続けに駆けつけた。愛されていたんだなと思った。

 病室を出る直前、再度先程の患者を見た。ベッド脇の机には何も置かれていない。母親の他に見舞いに来る人がいないのだろうか。田中さんと比べると随分空しいものだ。


 一仕事終わり、僕は伸びをしながら病院の廊下を歩いていた。これからまたいつものマンションへ戻るのだ。

 病院の一階に降りると、わずかな明かりしか点いていなかった。それを頼りに出口へ向かおうとしたその時、僕は立ち止まった。出口付近の待合室に人がいたのだ。こんな時間になぜだろう。近くの時計を見ると8時を指している。もうとっくに受付時間は終わっているはずだ。僕は一歩後ろに下がった。

「勘弁してくれよ……」

魂は見えても幽霊は見たことがない。もう一歩後ろに下がった。全身に鳥肌が立っている。

「何やってるの?きみ」

「うわっ」

女の声だ。話しかけてきた。暗がりでよく見えないが、徐々に近づいてくる。僕は怖くて動けなかった。思わず目を瞑ってしまった。

「ねぇ」女が囁いた。

僕は驚いて「ひい」だか「へえ」だかよくわからない声を漏らした。

 数秒後、僕は恐る恐る目を開けた。するとそこには顔にはてなを浮かべた女の顔があった。いや、女というよりは女子高生くらいに見える。僕が声を発せずにいると、その子が口を開いた。

「なんで翼なんかつけてんの?」

「え?僕?」

「そんなコスプレみたいな恰好の人、君しかいないじゃん」

「ゆ幽霊?」

「何言ってるの?私見たんだよ。君がその翼を広げて、高層マンションから飛び立つ所。どういう仕掛け?」

「ぼ、僕は悪魔なんだ」とりあえずそう答えた。

僕は死人の魂をあの世へ送ることが仕事であることと、今柊病院で一仕事終えた所だと伝えた。

「そんなことあるかな」呆れた顔で言った。

「いや本当だってば」

「じゃあなんで悪魔なのに悪魔らしくないことやってるの?」

僕は返答に困った。悪魔だと言ったのは単に黒い翼から連想して名乗っただけだ。

「やっぱり嘘か」

「これは勝手なイメージでその……」

「まあいいや。明日の17時にまたここの待合室に来て」

彼女は僕の返答を待たずに、廊下奥の闇に消えていった。

 僕はいつもの屋上に帰ってきた。眠りにつこうとするもあの子が気になって中々眠れなかった。そもそもあの子は何者なんだ。なぜ僕のことが見える。恰好は制服だったが、高校生なのか。おまけに名前も名乗らなかった。明日会ったらいろいろと聞き出してやろうと心に誓った。


 翌朝、日の出とともに起きた。相変わらず頭はグワングワンと気持ち悪い。落ち着いた所で、朝の鈍った体を持ち上げた。ピキピキと関節が鳴った。既に『今日死ぬ人リスト』は足元に落ちている。僕はそれを拾い上げ、内容を確認した。今日は計9人。夕方の待ち合わせまでに7人。その後、2人だ。そして僕は冷たい空気が張り詰める空へと飛び立った。

 本日7人目の魂をあの世へ送り、近くの人の携帯で時刻を確認した。16時45分。思いのほか長引いてしまった。僕は急いで7人目の人の病院を後にし、柊病院へと向かった。

 17時より少し遅れ、柊病院に着いた。僕は駆け足で病院内に入った。入ってすぐが待合室だ。僕は中を見回した。すると、待合室の椅子に座って真剣に本を読むあの子の姿があった。今日も制服だ。昨日は暗くてわからなかったが、力強い二重瞼の端正な顔立ちだった。少し茶色がかったポニーテールが特徴的だ。僕は彼女の元へ歩み寄った。

 僕が彼女の前に立つと、彼女は上を向き、目が合うと明るく微笑んだ。

「今日も翼をつけているんだね」

「これは生えているんだってば」語気を強めて言った。

「そう。じゃあ早速だけど君が悪魔だってこと証明できる?」

「もちろん」

僕はそう言って、彼女に向かって手を差し出した。彼女はぽかんとしている。

「握手だよ」

彼女は僕の手に自分の手を重ね合わせようとした。が、当然すり抜けた。

「うわ!」目を見開いて驚いた。彼女が突然大声を発したので、周りの人が全員彼女の方を向いた。彼女は顔を赤らめ、僕に小さく手で外に出ようと合図した。

 外に出て、僕たちは病院の向かいの通りにあるカフェに入った。彼女は個室を選んだ。先程の失敗から学んだようだ。

「いや、本当に驚いた。人間じゃないなんて」

「まあ、僕も実は自分の正体がよくわかってないんだ」

「どういうこと?」

「気づいたら僕は悪魔だったんだ。それ以外は何も知らない。人間なのかもわからない」

「なら君の名前は?」

名前?そういえば自分の名前も知らない。

「もしかして名前も知らないの?」

「うん……」

「謎が深まるばかりね。じゃあ悪魔だから『あっくん』って呼ぶことにする」

「単純だね……そういえば君の名前は?」

柊楓ひいらぎかえで。楓って呼んで。柊病院の院長の娘なんだ」

「なるほど。だからあんな夜遅くまでいたんだ」

そこに楓が注文していたミルクティーが届いた。彼女はそれを一口飲むと、口を開いた。

「何も知らないのに言葉は話せるんだね」

「あっ確かにそうだ」

「って見た目はほぼ人間だし。ぱっと見コスプレヤーにしか見えない。学ラン着てるから、私と同い年くらいだと思うけど。高校生かな。死んで悪魔になっちゃったとか?」

「んー昨日も言ったけど、人間死んだら魂になってあの世へ行くんだ。元が人間ならこんな翼生えないでしょ」

「じゃあ前世に悪いことでもして、その罰でそういう使命を背負わされているとか」

僕はなるほどと思った。思い当たる節がある。楓にあの悪夢について話した。

「それはきっと前世の記憶だよ。もしかしたらそこにあっくんの秘密を解くカギがあるかもしれない」

楓は興奮して言った。

「っていうか、よく僕みたいな特異な存在をすんなり受け入れられるね」

「まあね」

そう言うと、楓は焦げ茶色の通学鞄をテーブルの上に置いた。そして鞄の中からたくさんの本を取り出した。全て小説だ。

「こういうファンタジー小説をよく読むんだ。だから現実に起きても不思議じゃないって思ってた。あっくんも本とか読むの?」

僕は一瞬黙った。知っているタイトルがいくつもあったのだ。その上内容も覚えている。が、いつ読んだのかは覚えていない。

「いつ読んだか覚えてないけど、この中の本の内容は大体知ってるよ。他にも、この世の中のことは大体知ってる」

「前世の断片的な記憶は残ってるってことなのかな。どれが好き?」

「僕はこれかな『氷の風車』。登場人物の全員が魅力的でさ、この作品に関しては悪役も好きなんだよね」

「そうそう!わかってるじゃん。私もこの作品には思いれが深くて……」

 その後、僕と楓はお互いに知っている小説について語り合い、おすすめの本を紹介したり、笑いあってとても楽しい時間になった。

 気づくと窓の外がすっかり暗くなっていた。

「申し訳ないんだけど、まだ仕事が残っているから今日はこの辺で……」

「えーっもう?残念。じゃあ明日も一緒に話さない?」

「もちろん」

「じゃあ私はあの待合室にいるから今日と同じ時間に来てね」

「わかった」

 僕たちは店の外に出た。カフェから漏れる光が僕たちを照らした。

「また明日」

「うん。楽しみにしているよ楓」僕はそう言い、飛び立った。少し空中に上がった所で後ろを振り返ると楓が手を振っていた。しかし、さっきより少し表情が暗い気がした。


5

 楓と別れた後もうひと仕事終え、いつものマンションの屋上に戻ってきた。僕は目を瞑って今日のことを反芻した。これまで今日ほど楽しい日はなかった。死人の魂をあの世に送るだけの退屈な日々に差し込んだ一筋の光。人と話すことはあんなに楽しいものだったかと思い知らされた。おまけに僕が何者なのか、楓と話している内にわかりそうな気もした。しかし、胸には不安が広がっていた。これまであまり考えないようにしてきたが、僕のこの使命はいつまで続くのだろうか。僕に最期は訪れるのか。当然人間は死ぬが、僕はどうなんだ。あの悪夢はなんなんだ。楓という僕の心の支えが出来た半面、漠然とした恐怖が浮き彫りになった。別れ際の楓の暗い表情も気になり、なかなか眠りにつくことができなかった。


6

 初めて楓と会ってから一週間が経ち、3月中旬。あの日から僕は毎日夕方にあのカフェで楓と語り合うのが習慣になった。未だに僕の正体は思い出せないままだ。でも、毎日がとても充実したものになっていた。そして今日はカフェの後、近くにある公園で夜桜を見ることになった。運よく夜に仕事がなかったのだ。僕は朝からワクワクしていた。友達と会って遊ぶなど楓のような普通の高校生からしたら当たり前のことだろうが、僕にとってはその時間そのものが宝だ。

 19時。楓と桜があるという公園に到着した。園内は広く、屋台の赤やオレンジの光に人だかりが出来ている。大勢の人がいる屋台を抜け、満開の桜の木が何本も生えている広場に出た。桜にはスポットライトが当たっており、花見を楽しむ様々な年齢層の人たちで賑わっていた。楓ははたから見れば独りなので、僕と話しやすいように人気がない所で腰を下ろした。あちらと比べると薄暗いが、桜は良く見える。枝や花びらの合間から差し込む月の光が綺麗だ。それから二人でしばらく桜を堪能し、僕は前々から気になっていたことを口にした。

「そういえば、楓は学校だとどんなことしているの?」

「大体小説読んでる」

「授業とか何勉強してるの?」

「授業……」それっきり楓は黙ってしまった。何か悪いことを聞いてしまったのか。気になったが僕は深追いしないことにした。楓の暗い顔は見たくないのだ。いつもの明るい顔のままでいてほしい。僕は話題を切り替えるため、頭の中で何を話そうか考えた。すると、静寂を切り裂くように公園の外からバンっという鈍い音が鳴った。すぐ近くの道路だ。

「行こう。何かあったのかも」楓が言った。

僕たちは急いで公園を出て、音がした方向に走った。すると、道路脇に小猫が倒れていた。轢かれた飛ばされてしまったのだろう。真っ赤な血が流れている。

「ひどい……」楓は呟いた。

しばらくするとちょっとした人だかりが出来た。だが、皆「なんだ猫か」と言って去ってしまった。2人で立ち尽くしていると、小猫の体から琥珀こはく色の魂が出てきた。人間以外の魂は初めて見た。

「あっくん、この子の魂はあの世に送れる?」

「え?見えるの?」

「うん。小さい頃、おじいちゃんが死んだときは見えなかったんだけど」

「そうなんだ。じゃあやってみるよ」

僕は浮遊している魂を両手で包み込もうとした。しかし手がすり抜けてしまった。僕がどうしようかと決めあぐねていると、別の生きた猫が近づいて来た。その小猫と似たような毛並みをしているので、多分その小猫の親だろう。その親猫は子猫の体を労わるように舐め、魂を抱え込んだ。すると次の瞬間、魂諸共、親猫がパっと消えた。2人して声を上げて驚くと、親猫だけすぐに同じ場所に戻ってきた。そして親猫は何事もなかったかのように夜の闇へ消えていった。

「行っちゃった」

「動物はこんな風にあの世へ送ってあげていたなんて、なんだか感心するなあ」

「そうね。魂は無事逝ったみたいだけど、この子の体がこのままじゃかわいそう」

「なら、公園に埋めてあげる?」

「そうだね」そう言って楓はポケットから大きめのハンカチを取り出した。それで子猫を包み、抱きかかえた。それから公園に戻り、僕が土を掘って、楓が埋めた。僕たちはその前で手を合わせた。

 立ち上がって辺りを見回すと、もう花見用の明かりは消え、花見客も居なくなっていた。屋台も閉まり、公園全体が先ほどの活気が嘘のようにがらんとしていた。

「なんだか怖いね」楓が言った。

「こういう人気がない広い場所、僕も嫌い」

近くの時計を見ると9時30分を指していた。

「私そろそろ帰らなきゃ」

「うん。じゃあまた明日」

僕たちは公園の前で別れた。楓は手を振ると、人気のない暗い道に姿を消した。


 翌朝。昼に目が覚めた。昨日の疲れで、起きるのが遅くなってしまった。重たい体を起こし、リストを手に取った。太陽に背を向け、目を擦りながら今日亡くなる人を確認した。

「今日は10人か」

僕は上から場所と名前を確認していった。そして最後の一人の名を見た時、僕は自分の目を疑った。『柊楓』そう書いてあった。いきなりのことで頭が回らなかった。冷や汗が噴き出した。顔の汗を拭い、再度リストを確認した。柊楓、16歳、春雨はるさめ女子高校、12時20分、全身の激しい損傷による出血多量により死亡。なんでもっと早く起きなかったんだ。自分を呪いたくなった。が、今はそれどころではない。

 僕は急いで飛び立った。リストは僕の経験上、上から順に死に方の酷さによって表記されている。下の方がむごい死に方ということだ。だが僕は考えないことにした。まずは楓を必ず救う。

 楓の高校に着いた。僕はこの学校を知っていた。県内有数の公立の進学校だ。こんなところで楓が死ぬのか。僕には到底想像できなかった。

 校舎から中に入った。時計は11時30分を指している。廊下には生徒の姿がない。授業中だ。楓は高2であるが、何階の教室かはわからない。まずは一階から楓がいる教室を虱潰しらみつぶしに探すしかない。

 だが、一階二階三階と覗いて見て回るも空振りに終わった。教室はどこも扉が閉まっているので、焦って見落としたのかもしれない。

「もう一度一階からだ」

 再度一階に降りると、廊下の向こうから一人の生徒が歩いてきた。顔を見たが、楓ではなかった。が、その人が歩いてきた方を見ると保健室があった。

「そうだ。保健室を見ていなかった」

 僕は保健室に入った。運よく保健の先生が扉を開けて出てくる所だった。すれ違うようにして中に入った。奥のベッドだけカーテンが掛けられていた。

 僕は駆け寄り、カーテンを開いた。

「いたっ!」

「あっくん?どうしたの?」本から顔を上げ、楓がいつもの調子で答えた。

「本なんか読んでいる場合じゃない!」楓の困惑した顔をよそに僕は続けた。「楓、このままだと君は死んでしまうんだ!」

「え?」

「ほら、これを見て!」リストを見せた。

「な、なんで?」

「いや、僕もわからない」

「どうすれば良いの?」泣きそうな声で言った。

「とりあえず、ここから逃げよう。リストによるとこの学校で死ぬことになっている」

すると楓は「行こう」と言って駆け出した。

 僕たちはまず下駄箱から校舎を出た。楓は上履きのままだ。

「校門から出よう。後、万一に備えて柊病院へ向かおう」

「わかった」

僕たちは校門めがけて走り出した。その時、チャイムが鳴った。そして、右手にある校庭からぞろぞろと生徒たちが姿を現した。体育の授業だったのだろう。よりによって、こちらに向かってくる。

「しょうがない。強引にかき分けるんだ」僕は言った。が、楓の返事がない。僕は後ろを振り返った。楓は立ちすくんでいる。

「あれ……私のクラス」

「それなら丁度いい。あの先生に適当な理由言って、早退ってことにしてもらおう」

僕がそう言うと、集団の先頭にいた男の先生が駆け寄ってきた。

「お前いつも何やってるんだ?授業に参加しなきゃだめじゃないか」

「は、はい……」楓が言った。

すると、先生の後ろから3人の女子生徒が駆け寄ってきた。

「先生、私たちが代わりに説教しときますよ」生徒の1人が言った。

「え……」楓が一歩下がった。

先生はよろしく頼むと言って、どこかへ行ってしまった。そして、3人の内のリーダーらしき生徒が楓の腕を掴み、強引に引っ張った。

「ほら行くよ」

「い、嫌だ……」

「口答えするんじゃないわよ」女子生徒はそう叫び、3人がかりで楓をどこかへ連れ出そうとした。楓は泣きそうな顔になっている。

「おい!楓、振り払うんだ」

くそっ!楓に声が届いていない。恐怖のあまり、体が硬直しているようだ。おまけに僕の存在まで忘れてしまっている。そして楓は3人に捕まり、そのまま校舎の中に戻された。 

 楓を連れた3人は屋上まで来ていた。ここまでに何回も声をかけているのだが、一向に楓は返事をしない。我を忘れているのだ。そして、楓は転落防止のフェンスまで追い詰められていた。

「あんた、嘘つきのくせに、よくも私を馬鹿にしてくれたね」女が言った。

楓は答えない。

「最近はいつも教室にいないじゃない。私たちを傷つけておいて逃げるつもり?」

楓は口をつぐんだままだ。

「なんとか答えなさいよ!」女がそう言い、楓の体を押した。すると、老朽化したフェンスが倒れ、楓の体が宙に投げ出された。

 僕は走った。急いで翼を広げた。落下する楓が手を伸ばした。僕は楓の手を掴もうとした。が、手はすり抜け、楓の手は空を掴んだ。嫌だ。失いたくない。楓の涙が宙に浮いた。

 そして、楓は地面に叩きつけられた。コンクリートに鮮血が広がった。僕は地面を殴った。僕の手も血で滲んだ。気づくと目から涙が溢れ出した。12時20分。楓は死んだ。楓の体から紅色の魂が出てきた。無力感。自己嫌悪。恐怖。様々な想いが頭の中を巡った。しかし、1つ頭の中で引っかかったものがあった。

「この手を使えば」

僕は昨日見た猫を思い出していた。確か親猫は子猫の魂と共に一瞬あの世へ行った。一瞬でも行ったのだ。もしかしたら僕もこの手を使えるのではないか?だが、恐れもある。未知の世界だからだ。もしかしたら僕が行くことで楓があの世でどうなるかわからない。つまり、死を阻止するという本来あり得ないことをやろうとすることで、楓までなんらかの罪に問われてしまうかもしれない。あちら側がどうなっているかわからない以上、迂闊に手を出さない方が良いのではないか?僕は楓の顔を見た。目を瞑り、涙が頬を伝っている。

「いやダメだ」

楓をこんな顔で終わらせたくない。僕の頭で楓が明るく微笑んだ。そして僕の心で決意が固まった。無事に連れ戻す方法を見つけ出せば良いだけだ。楓の過去に何があったかはわからない。人に恨まれることをしてしまったのかもしれない。でも、僕よりはマシだ。第一僕は悪魔だ。僕が一生このままだろうが、どうでも良い。あんなに優しくて、明るくて、僕みたいなよくわからない存在にも分け隔てなく接してくれる人間が死んで良いはずがない。

 僕は目を瞑り、楓の魂を胸の前で祈るようにして優しく包み込んだ。楓との楽しい日々が頭を駆け巡った。



 











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